第百三十八話 再起
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「『我等の物』だと!? ふざけるな! この地は、この迷宮は――俺の物だ!」
テーブルの上の器具を薙ぎ払って男は怒りを顕わにする。
こめかみには血管が浮かび上がり、その怒りの激しさを現していた。
「ここは誰の物でも無い! あの女の物でも、あいつ等の物でもない! 俺だ、俺がずっとここにいる! それを――なんだ!」
拳に傷が付くのも恐れず、テーブルをガンガンと殴りつける。
多少傷を負ったところで、ここではコアが勝手に治してしまうので、気にしてはいない。
「あのヒルと言う男もだらしない。あっさり逃げ帰りやがって……こうなったら、俺が……ポイントを無駄に消費してしまうが、モンスターを外部に配置して――ん?」
そこで男は水晶柱に映る画面をもう一度見直した。
写された映像は地上の、冒険者達の動向をリアルタイムで伝えてくる。
彼等は迷宮の中に入り、いくつかの物を持ち出していた。
「なんだ、あいつ等……まさか――? 面白い、そう来るならもうしばらくは静観していてもいいな。どうせ迷宮内部では俺には勝てん。お手並拝見と行こうじゃないか」
ポットから茶を淹れつつ、再び男は席に着いたのだった。
カップの水面には、珍しく期待するかのような、楽しげな顔が映っていたのだった。
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這う這うの体でなんとか村まで帰りつく冒険者達。
その表情は皆、一様に曇っていた。
無限に召喚できるかもしれない兵力、最新の銃と言う兵器、作戦の失敗。
それらがいつもよりも遥かに重く、肩を落としていた。
村を守ると言う目標に失敗した重さだ。
「……何人やられた?」
冒険者の一人が、疲れ切った口調でそう呟いた。
これにまた別の冒険者が答える。
「俺が見た限りじゃ五人。もっとやられてるかもしれない」
「七人だよ。出発した時に比べて減った人数だ。間違いない」
七人が死んだ。
その言葉がヒルの胸に大きく圧し掛かってくる。
この死者は間違いなく、彼の指揮の拙さで失った犠牲だ。
「ヒル、てめぇ! お前の指揮が下手だから――」
「よせ、こいつの判断は間違っちゃいない」
ヒルに食って掛かろうとする冒険者を、アドリアンが制する。
斥候部隊として敵の背後に迫った彼の言葉は誰よりも重い。
そこは間違いなく、もっとも危険な戦場だったからだ。
「だけど――!」
「あんな敵、誰が想像できた? 俺だったらもっと功を焦り、犠牲を積み重ねてからじゃないと、撤退なんて判断はできなかった。あのタイミングが最適だったんだ」
「しかし……あんたは悔しく無いのかよ!」
アドリアンの胸倉を掴み上げて、その冒険者は涙を流す。
あるいは、彼の仲間が死んだからかもしれない。
「負けた事は悔しい。だがそれをヒル一人に押し付けるのは間違ってる」
「そんな正論――聞きたくねぇよ!」
ずるりと地面に崩れ落ちる男。
助けられなかった命に、カロンも疲労困憊している。
正に敗軍の様相だった。
「アドリアンさん、構いません……彼のいう通り、私にも責任はあります」
「お前一人の責任じゃない」
「それも、判っています。ですが認めなくてはならない――私たちは村の防衛に失敗した」
まるで自分に言い聞かせるかのように、絞りだした声音。
それが彼の悔しさを、十二分に現していた。
防塁での防衛がならなかった以上、村を巻き込んでの防衛線になる。
それは彼の本意ではないし、あの物量に真っ向から対抗して勝てる要素もない。
だが――
「私もこのままで終わるつもりはありません。守る事が適わないならば――あらゆる手を講じて、ケンネル王国の手に落ちるのを封じ込めて見せます」
それは彼の決意表明だった。
それから、村へ帰還したヒルは矢継ぎ早に指示を飛ばす。
敗北を糧に、その悔しさを紛らわすかのように。
冒険者に目的の素材を回収させ、それを配置させ、市民を避難させる。
その鬼気迫る指導は有無を言わさぬ迫力を持って他者を導き、夜が明ける前に迎撃の準備を整えたのである。
「『苗』の配置はどうです?」
「万事抜かりなく。いいんですかね、こんな事しちゃって」
「構いません。全ての責任はケンネルに押し付けてしまえば良い。私達の目的は彼等の思惑を粉砕する事です」
「世界地図、変わりますぜ?」
「歴史に名が残って羨ましい限りですね」
「悪名じゃないッスか!?」
冒険者の応対をするヒルの表情は、実に楽しそうだった。
まるで悪戯を仕掛ける子供のような表情。
それはかつて、レグル=タルハンが頻繁に浮かべていた物と同じ表情だった。
「避難状況は?」
「すでに市民の大半は安全地帯へ移送済みです。組合の『防火ボックス』の配布も終わっています」
「大赤字ですね。まぁ、仕方ないところですが」
「家畜の搬入も?」
「順調です」
別の職員に、今度は避難状況の確認を取る。
防火ボックスとは、組合が冒険者のアイテムを預かったときに仕舞い込む耐火性の箱で、ドラゴンのブレスにも耐えると言う売り文句が特徴だ。
ヒルは実際ドラゴンのブレスなんて見た事が無いので、正しいかどうかは判らないが、それでもちょっとした火事程度ならば内部にまったく影響を与えない。
「スライム達の繁殖具合は?」
「急ピッチで進めていますが、メルトスライムの繁殖はそう簡単には行きませんので」
「できるだけ急いでください。彼等が攻撃の要になります」
「判っています」
書類にあるチェック項目に印を刻みながら、ヒルは思考を巡らせる。
あのキシンと言う男は銃を装備した兵力の召喚まで行える。
ならば真正面からの戦闘は圧倒的に不利だ。
いくら冒険者達が腕利きとは言え、犠牲は大きくならざるを得ない。
不意を打とうにも、もはや奇襲は通用しないし、時間も無い。
この広々とした草原では、陣形を駆使して戦術で有利に立つ事もできない。
ならば――とヒルは考える。
「まともに戦わなければ良い。敵の目的を妨害する。その一点に限って思考すれば、戦う必要すら――ない」
彼等の目的は、このユミル村を手に入れ、迷宮を我が物にする事。
そうする事でこの草原の交易路を手中に収め、迷宮からの資源だけでなく、通行権すらも手に入れる事が目的なのだろう。
このユミル村は、草原内の新たな交易路として、現在は大きな意義を見出されている。
権利者のユミル自身が、利益に関して大きな執着を持っていないので、見過ごしてはいるが……この村で関税を取れば、かなりの利益が見込めるのだ。
今まで海路か陸路で大陸を半周するような貿易路が、草原内を横断して、一直線に結べるようになるのだから、多少の税は許されるだろう。
ブパルスの――いや、ケンネル王国の狙いはこの関税にあるのだろう。
これを押さえれば、冒険者支援組合の経済制裁なんて目じゃないほどの利益を見込む事ができる。
そしてそれは、冒険者支援組合の経済的支配から抜け出す事を意味する。
新たな経済勢力の誕生、それはこの大陸のパワーバランスを揺るがす存在になるだろう。
ケンネルの狙いは冒険者支援組合の権力に取って代わることだと予想できる。
「落ち着いて考えれば、目的なんてバレバレじゃないですか……まったく、混乱していたとは言え情けない限りです」
目的さえ判ってしまえば、妨害手段なんていくらでも思いつく。
今回はその中でも、特にドギツイ物を選択しただけだ。
「死んだ七名の無念と、私の受けた屈辱。まとめて受けてもらうとしましょうか――」
ニヤリと邪悪な笑みを浮かべて、ヒルは職員と共に避難する事にしたのだった。
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クラヴァンが野営地を出たのは、結局日もかなり高くなってからになった。
この草原で火を放つと言う暴挙の後始末が長引いたからである。
「まったく、村に火が回ったらどうするつもりだったのだ、あの愚か者め。今度出会ったら皆殺しにしてくれる」
「ふん、どうせ最初からそのつもりなのだろう?」
「……キシンか。それは、まぁな」
「皆殺しは俺が困る。報酬を忘れてはいまいな?」
じとりと陰気な視線を向けられて、クラヴァンは腰を引かせてしまう。
この男の能力は国王も知るところである。
金さえあればほぼ無限に兵力を呼び出せる。しかも最新の銃を装備した鉄砲隊まで呼び寄せるとあれば、軽んじる訳にはいかない。
「ああ、奴隷に屋敷、それと金だろう? ユミル村を押さえさえすれば、莫大な関税を取る事ができる。お前の望みを叶える位は容易い事よ」
出会った当初はおどおどした青年だったが、年月を追うごとにその性質は歪み、横柄さが表に出てきている。
本人もそれを理解しているのか、人付き合いはとことん悪くなってきていた。
だがそれでも、オックスという銃使いの男より遥かにマシだった。
あの男は銃という武器を自在に操り、彼の同僚すらあっさりと蹂躙してみせたのだ。
オックスが未だ生存していたら、クラヴァンの立場も危うくなっていただろう。
それだけ単独での戦闘力が優れているのだ。
このキシンは逆に軍での戦闘力が激しく高い。
彼の言うところの『戦国歴史シミュレーションゲーム』とやらの能力で、兵力を配置する能力は戦争にうってつけと言えた。
しかもオックスほどではないにしても銃火器を装備した兵を呼び出せる上、彼自身の能力も、一般人のそれより遥かに高い。
将軍と言う立場にいるクラヴァンにとって、将来的にライバルになりうる存在なのだ。
だからこそ、キシンを取り込むべく、この作戦に参加した。
自分が指揮を取り、キシンに武功を上げさせて恩に着せる。そして彼の望みを叶えさせれば、敵に回る事はない。
この青年の性格ならば、オックスよりは遥かに御しやすいのだ。
「資金はどうだ?」
「後三千ほどならば、問題なく呼び出せる。それを指揮する将がいないのだが……」
軍勢を指揮するのは才能がいる。
それを持つ者は、総大将のクラヴァンの他には、コムとドルフという副将がいるだけなのだ。
そしてキシンは、意外にもその指揮能力に劣る。兵を率いる視界の狭さが原因なのだ。
彼は地図を見て戦術を立てるのは得手だが、実際の戦場に立つと兵の配置を理解する能力に欠ける。
彼がオックスよりも出遅れたのは、そのせいだと言えた。
もっともコムとドルフでも、指揮できる限界はせいぜいが五百。
クラヴァンでも千を超える兵団を指揮するとなると、あまり経験がない。
戦乱の少ないこの大陸では、そもそも数百の兵を率いる経験ですら少ないのだ。
北のドラゴン退治か、大氾濫の時くらいだろうか?
「戦えて、二度か三度だな」
「どうせ次で村は陥とせる。問題ないだろう」
村さえ陥としてしまえば、そこにある資金で兵力は補充できる。
攻めた先で補充した資金で兵力を補充できる。
イナゴのように資産を蹂躙しながら進軍できるキシンの能力は、正に脅威と言えた。
「転移者というのは、皆お主のような能力を持っておるのか?」
「人によって色々だな。オックスのように個人戦闘に優れた者もいれば、タモンのように限定された状況での蹂躙にしか能力を発揮できないものもいる」
「タモンか……」
ケンネル王国の抱える、もう一人の転移者。
その殲滅力はオックスすら軽々と凌ぐ。だがあまりにも破壊力が高過ぎるため、利用用途は激しく限られる。表に出る事はないだろう。
つまりこのキシンさえ取りこんでおけば、彼の栄達を邪魔するものはいない。
まだ見ぬ未来図を描いて、クラヴァンが含み笑いを浮かべる。
そうして二百名の兵がユミル村に進軍を始めてまもなく――
不意に彼等の目前に、鬱蒼とした大森林が現れたのだった。
水曜が休日なので、3日連続投稿予定です。
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