第百三十七話 敗走
トボトボと、だが迅速な足取りで村へと帰還する冒険者達。
一戦あると覚悟して出てきただけに、戦わずに逃げ帰る、その足取りは重い。
防塁から村までは二キロ程度。
徒歩や鍛えた冒険者達ならば、纏わり付く草を蹴散らして、一時間もせず帰還できる距離だ。
だが軍隊となるとそうはいかない。
大きな荷駄が進行を遅めるので、二時間は掛かるだろう。
そして敵の指揮官は防塁での一泊を宣言してみせた。
これで一夜の時間を稼げた事になる。
「ヒルよう、本当にこのまま帰っていいのか? 俺たちは戦う覚悟を決めて、ここに来てるんだぜ」
「ですが、あの兵力は侮れません。ヒルさんの判断は間違っていないと僕は思います」
アルドとカロンが撤退に際して口論をしている。
人の命を預かる身のカロンは撤退を支持し、交戦を覚悟していたアルドは、撤退を批判している。
そこへ飄々とヒルは口を挟んでいった。
「確かにあの場は撤退が最善策だったはずです。二百の兵力だけならば、交戦も考えていましたが……本当に兵が沸いて出るとは計算外でしたから」
「あれは……確かになぁ」
召喚できる兵力の限界量が不明な以上、無策で戦うのは危険だと判断したヒルの考え自体は間違っていない。
それはアルド達も認めるところであった。
「ましてや、ここは草原……多少草が茂っていて視界を遮るとは言え、基本は正面からのぶつかり合いになってしまいます。そこに策を弄する余裕はありません」
「策って言ってもよ。こんな地形なら正面から潰すしかないじゃねぇか」
一メートル弱の雑草が生い茂っているが、基本は平坦な土地である。
水も多少深めに掘れば湧いて来る。
地形を活かした戦術を活用する余裕は、ここにはない。
「そうですね。正面からなら、ぶつかるしかない。ですが――私がいつ、『村まで戻る』と言いましたか?」
「……は?」
アルドが思い返して見れば、確かにヒルは『この場を去る』とか、『防塁を放棄する』とは言っていたが、『村へ戻る』とは一言も口にしていない。
「地形的な策が弄せないならば、時間的な物を利用するまでです」
「夜襲か!」
アルドの声に、周囲の冒険者達もざわめきだす。
敵の野営地ははっきりと判っている。そして追撃も無い。この地では、茂った草が姿を覆い隠してくれる。
罠や奇襲に長けた冒険者ならば、これほど簡単な夜襲は存在しないだろう。
「敵将が無能で助かりました。彼等の戦力、その基点はあのキシンと言う男です。あの男が兵力を召喚する。逆に言えば、奴さえ倒してしまえば、兵力は失われる」
「夜襲でキシンって奴だけ倒しちまえば……勝負になるな」
「ええ、暗殺用の部隊と囮の奇襲部隊、その二つを用意すれば可能なはず」
ヒルの作戦を聞き、にわかに沸き立つ冒険者達。
指揮官が勝てないと判断した、そう思い込んでいただけに、その反動は大きかった。
「ならば敵の輸送部隊も一緒に焼けばどうでしょう? 兵糧がなければ兵は戦えませんし」
「いや、それは逆効果になる可能性があります。この先には、それを補給できる村があるのですから」
ここが平原での遭遇戦ならば、それも有効な手だっただろう。
だが糧食を焼く事で後が無くなれば、彼等は逆に猛って村に襲い掛かってくる可能性がある。
敗走するにしても、ここから彼等の帰還地であるブパルスまでは、徒歩で二週間分の距離があるのだ。
背水の陣になってしまえば、交渉の余地すら無くなる。
「よし、やるぞ――野郎共、あのイケ好かねぇ将軍に吠え面掻かせてやろうぜ!」
「おぅ!」
アルドの激に拳を振り上げ応える冒険者達。
こうして夜襲作戦が決行される事となったのだった。
深夜――
宣言通り、敵はやはり防塁からは動いていなかった。
防塁は強化してあるとは言え、基本監視塔くらいしか存在していない。
門はすでに解放され、敵部隊は村側に侵入済みである。
そこでヒル達の放棄した糧食を使って、贅沢な夜食を楽しんでいる所だった。
「暗殺部隊は?」
「すでに出発している。こちらは三十分後に出れば、タイミングが合うはずだ」
マントに雑草を貼り付けただけの、簡単なギリースーツに身を包みながら、ヒルは草むらに潜んで指揮を取っていた。
「門の向こうに残ってる兵は?」
「先行部隊の報告ではいないようだな。全てこちら側に入り込んでいる」
「村へ伝令は?」
「すでに出した。今は【通信妨害】の術式を展開されているようだが……タルハンへ連絡を入れるくらいはできたはずだ」
草原に潜むヒルの横で、リビが冒険者の動きを管理していた。
暗殺のための部隊は、一番の腕利きであるアドリアンが引き受けている。
彼とパーティを組むリビならば、呼吸も合うだろう。
それにヒルには実戦的な経験がまったく無い。知識の面で大雑把な作戦を立てる事ができるが、それを実行させる指揮力不足は自他共に認めるところだ。
なので、補佐としてリビを参謀に置いている。
「いいですか、皆さん。こちらはあくまで陽動です。敵だって馬鹿じゃない。この奇襲はおそらく予見されているでしょう。だからこそ、別働隊の存在を覆い隠さねばならない」
こちらが退いたとは言え、防塁に夜営すると宣言した以上、この奇襲は察知されていて当然だ。
だからこそ敵の警戒も厳しい。
「暗殺部隊がキシンと言う男を倒すまで、こちらに注意を引き付ける。それが目的です」
こちらの打った手が奇襲である。そう思いこませる事ができれば、暗殺部隊の侵入がより楽になる。
その為には派手に攻め込まねばならない。
少しでも兵力を多く見せかける必要がある。それがヒルすらこの前線に出て、数を水増しさせている理由である。
「……時間だ」
「判りました。それでは――襲撃開始です」
ヒルの宣言と同時に、冒険者達は草を掻き分けて敵陣へ迫る。
見張りが数名いたが、それは弓を装備したドワーフ職人達の手によって狙撃され、倒された。
器用だが近接戦闘の経験の無い彼等は、弓兵として後方支援に回されている。
一息に敵陣に接近できる距離まで近付いて、ヒルは突撃命令を下した。
やおら草から立ち上がり、鬨の声を上げて敵陣へ迫る。
「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「なんだ――て、敵襲か!?」
こちらが予想以上に接近できていたのか、この襲撃に敵兵は大きくうろたえていた。
一気に懐に喰い付き、野営地を分断し、最奥へ侵攻していく。
門のそば、一際大きなテントが視界に入ったとき、ヒルは奇妙な違和感に囚われた。
「いい調子です、この調子なら――いや、好調過ぎる?」
「誘いこまれていると言うのですか?」
そばに控えるカロンも、その違和感に追従する。
回復魔法の使用できる彼は、指揮官の安全を確保するためにヒルのそばに控える事が多い。
カロンも同様の違和感を感じ取ったようだが、ヒルの違和感はそれよりも激しかった。
「それだけじゃなく……なんだ?」
前方には二十名程度の守護兵。
その向こうにあるテントに敵将クラヴァンは居るだろう。
ひょっとしたら、キシンもそこにいるかも知れない。
だが、その前に立ち塞がる守護兵の装備がおかしい。
なぜ、彼等は剣や槍すら持たず、鉄の棒らしき装備を持っているのか?
平たい円錐のような見慣れぬ兜は、どこで見た物だったか……?
「あれは――銃!? リビさん、最優先指令の信号弾、続いて撤退命令!」
「な、ここまで来て!?」
そのカロンの声に被せるように、リビが信号弾を打ち上げる。
そして間を置かず――銃声が響いた。
銃と言う装備の存在は、三年前のタルハンより世界中に広がった。
その高い殺傷力は各地の冒険者組合を魅了し、量産が試みられ……そして失敗している。
機構の複雑さ、素材の強靭さ、高品質の火薬の安定供給。
それらのハードルを乗り越える事ができなかったのだ。
今目の前で使用されているような単発式ならば、なんとかなる。
だが実戦に耐える事のできる連射能力を持たせる事ができなかったのだ。
単純な鉄では火薬の爆発に耐える事ができず、幾人もの技師が暴発に巻き込まれ、その才能を無駄に散らした。
それでも、試作品を完成させる事はできた。
だが量産となると、コストや技術がまったくおい付かず、その目処が未だ立っていないのが実情だ。
目の前の兵士達は、きわめてシンプルなタイプの銃を構えていた。
雑な作りの単発型のライフル。
いわゆる火縄銃と呼ばれる類の物だ。
そして構える兵達の無表情なそれは――
「召喚兵――銃装備の……!?」
それは戦国シミュレーションゲームなどで馴染みのある、鉄砲隊と言う存在だった。
左右のテントから二十人ずつ、さらに四十人の召喚兵が現れる。
合計で六十人。それぞれ二十人ずつ三段に構えてローテーションで銃撃を加えてきた。
周囲の冒険者達が悲鳴を上げて撃ち倒されていく。
ヒルが無事だったのは、単に運が良かったからだろう。
「全員散開! 各自、自由行動で退却してください!」
また――見誤った。
まさか銃を実用化していたとは思わなかった。ケンネルの技術力がそこまで進んでいたとは、完全に想定外である。
そのせいで損害を受け、何名かの冒険者が倒された事実に、忸怩たる思いを噛み締めた。
実際は鉄砲隊を召喚した際に付随してくる個別兵装なのだが、ヒルはそう判断した。
「クハハハハ! 確かにキシンの兵は常時呼び出せる物ではないがな。それでも百以下の数を交代で配置させる事は可能なのだよ! 判るか、無能な指揮官め!」
テントの中から悠々とした足取りで出て来るクラヴァン。
確かに今回の一件は自分の無能が招いた事だ。如何様に謗られても仕方が無い。
だが、だからこそ、冒険者達を一人でも多く帰還させねばならない。
今後の防衛で、彼等の戦力は必要なのだ。
「野郎!?」
「構うな! 今は生き延びる事を考えろ!」
絶え間なく響く銃声。
単発式と言う非実戦的と切り捨てられた機構を、ローテーションで利用してくる思考。
その戦術はどことなくユミルを連想させた。
クラヴァンのそばにはキシンの姿もある。
こちらの撤退が早すぎたのだ。暗殺は間に合わなかった。
「私の実戦経験の無さが、ここで響きましたか……」
周囲ではカロンが頻繁に回復魔法を飛ばしている。
大怪我を負った冒険者達を癒して回っているのだろう。
「油を撒け! 火を放って追撃を阻止しろ!」
ここは草原だ。
際限なく火の手が広がる危険はあるが、ここで全滅させられるよりは遥かにマシ。
そんな判断から、この世界では禁忌とされる火計を実行させる。
そして何より、敵の視界を塞ぐ事ができる。銃という武器は標的の視認が必須な武器だ。
敵の視界から逃れさえすれば、周囲は背の高い草原。監視の目を逃れて、逃げる事は可能なはず。
直後、テントのすぐ裏手で火の手が上がり、今度はクラヴァンが慌てふためく事となった。
暗殺部隊はその場所まで来ていたのだ。
もう少し待っていれば、暗殺も成功したかもしれない。
「クソ……なにもかも、ちぐはぐな!」
いつに無く、吐き捨てるような口調で呟くヒル。
初戦は完全な敗北。
それも、未知の能力と装備を持つ相手に、軽くあしらわれた結果である。
「リビさん、村への帰還信号を上げてください。ここでの迎撃は完全に諦めましょう」
「いいのか?」
「構いません。今、あの敵には……勝てない」
かつてユミルの戦闘を見せ付けられた衝撃。
それと同種の驚愕が、ヒルの心を蝕んでいたのである。