第百三十六話 異能者
夜半過ぎ、ヒルはなんとか敵より早く防塁に到着する事ができた。
到着早々、斥候能力を持つ冒険者に指示を飛ばし、敵の現在位置を探らせる。
先に到着できたのだから防備を整えたい所だが、防塁の高さは三メートル程度しかない。
元々獣避けの意味しかなかったのだから当然なのだが、戦闘用には作られていないのだ。
その為、乗り越えようと思えば、すぐにでも乗り越えられる。
商人達の通行用に門を設置しているが、防壁の役割を果たすには物足りない。
これで敵の侵攻を防ごうとするならば、防壁の手前を掘るなどして、防御力を強化したいのだが、敵のいない場所を強化しても仕方ないのだ。
正確に敵の位置を知り、その敵の進行上の場所を強化しないといけない。
「それだって、回りこまれれば防壁の強化は間に合わない。結局ここで守りに入るのは不利になりますか……」
「なら、先遣を出す意味はなかったんじゃないのですか?」
「いえ、それは必要です。まず敵の真意を知るための交渉を行う必要がありますから」
ヒルと同行していたカロンが、先の行動に異論を唱えてきた。
だが、この先はユミル村の領地として国際的に認められている。
そこへ軍隊が足を踏み入れると言う事は、明確な戦争行為として認められる。
そうなれば、その国への冒険者支援組合の協力は全面カットされるのだ。
冒険者達の助力を得られなくなるだけでは無い。
貨幣の鋳造比率まで握る組合を敵に回せば、貨幣経済も根底から崩壊してしまうだろう。
それでもここに軍を進める真意を、ヒルは知りたかったのだ。
程無くして斥候達が戻ってくる。
敵軍はこの防塁の存在を知っており、その十キロメートル手前の地点で夜営を行っていたそうだ。
「早朝に出発すれば、昼にはここに到着するな」
その報告を受けて、アルドは到着時間を割り出してくれた。
個人なら三時間もあれば踏破できる距離だが、軍隊の侵攻となれば、それだけ時間が掛かる。
「こちらに防戦戦力がいる事を想定して距離を置いていたのでしょう。ある意味助かりました」
「そうだな、位置もここが一番近い。つまり連中は明日の昼にはここに来る」
「それまで、この防塁を少しでも強化しておきましょう。まずは手前を掘り下げて――」
明日の昼には敵が来る。
ならば夜半を掛けて防塁を強化し、午前中に疲れを抜く。
それだけの時間を、なんとか捻り出すことができる。
ほんの僅かな幸運を感謝しながら、ヒルは指示を飛ばし続けたのだった。
「来たぞ! 敵影発見、距離四千!」
臨時で組み上げた物見台から監視に付いていた冒険者が報告を上げてきた。
本来あの高さならばもっと遠くまで見通す事ができるのだが、一メートル近い雑草が茂るこの草原では四キロ先を見通すだけでもせいぜいと言うところだろう。
「四キロ……徒歩なら一時間、進軍なら倍という所かの」
「二時間後、ですか。ついに来ましたね」
「弓兵用の矢を配っとけ。来るぞ!」
「アドリアンさんとリビさんは防塁の上へ。敵の足止めお願いします!」
各冒険者のパーティがそれぞれのメンバーへ指示を飛ばす。
一気に慌しさを増した防塁でアルドだけは安堵の息を漏らした。
「少なくとも徹夜作業が無駄にならなかった事だけは感謝だな」
「私は無駄になって欲しかったですよ。今すぐにでも引き返してもらいたい」
「アンタぁ民間人だからな。ビビんのも無理ねぇ話だ」
矢を配る、魔力やHP回復ポーションを配る、剣を取り出し予備を背負う。
それぞれが戦闘の準備を整え終えた頃、ケンネルの侵攻軍が防塁まで到着した。
少数とは言え軍隊である。その陣営の威容に、ヒルは足が震える思いがする。
「数は……二百くらいか。これならこの数でも相手できる」
「甘いぞ、カロン坊。報告じゃ、連中の総数は千を超えるって話だ」
アルドとカロンが防塁の上から敵陣を見て、そんな感想を漏らす。
ヒルはその横でリビに指示を出していた。
「それではお願いします、リビさん」
「承知した」
短く答えて、素早く魔法陣を宙に描く。
小さな詠唱の後、続け様に彼は魔法を起動した。
「――【拡声】、【集音】」
ヒルの声を大きく拡大する魔法に、敵の声を漏らさず聞き取る魔法。
これを掛けておけば、離れた距離でも負担なく会話する事ができる。
敵軍の後方にも同じような魔法陣の輝きを認め、ヒルは会話できる前準備が整った事を知った。
【拡声】の魔法で拡大された声を、敵陣に向けて放つ。
敵の将はおそらく後方に控えている、体格の言い男だろう。先程の魔法も、その男に向けて放たれていた。
「我々はユミル村冒険者組合支部長のヒルである、諸君等は何者か! これより先はユミル村の領地である、軍事力の介入は断じて許可しない!」
「我等はケンネル王国所属、草原解放部隊長クラヴァンである! この草原は古来より我がブパルス市に所属している。諸君等こそ不法に占拠する事をやめ、即座に退去しろ!」
ケンネル王国とは、ブパルスを含む草原西方地域を支配する国家である。
だがこの草原自体は、過去どの国も支配下に置いた事はない。
呆れた言い分だが、無主地であるが故に、この草原に侵攻する国家は常にこういう主張を繰り返してきた。
つまり想定内の返答であり、敵将にまったく退く気がない事も窺える。
「この村の権益は冒険者支援組合によって認可されている。それを侵犯すると言う事は、貴国に重大な損害を与えるという事実は承知の上か?」
「ふん、冒険者の寄り合い風情が如何なる影響を持つというのだ。増上慢も甚だしい」
「――わかりました、その意見は承っておきましょう。ですが、村には民間人も多数います。すぐに退去と言うわけには……」
「たわけ! 不法侵入の犯罪者に譲歩する余地などないわ。即座に検挙するに決まっておろう!」
「なっ!?」
完全に交渉のテーブルに着く気が無い。
これでは時間稼ぎすらできないではないか。だが、まだ手はある。目に見える戦力差は、実力的にはほぼ互角なのだから。
「それでは我等としても、抵抗せざるを得ない。見たところ、戦力はほぼ互角。こちらの言い分も考慮する余地はあるのではないですか?」
「フン、生意気な。おい、キシン。お前の力を見せてやれ」
「承知」
遠目にしか見えないが、そばに控える男が軍勢の最前線まで歩を進める。
そして手を前方に掲げ――
「ユニット配置。歩兵五百、指揮官にコム。騎兵三百、指揮官はドラフ。陣形、魚鱗」
微かに聞こえてくる、その声に呼応するかのように、総勢八百の兵士が突如として現れた。
彼等はそれほど優れた装備を持っていたわけではないが、その数は明らかに脅威だ。
「な、なぜ――!?」
「見たか? これが我がケンネルの力よ! 無限に兵を召喚する無敵の兵団!」
「バカな……転移魔法には、転移元と転移先の魔法陣が必要で、そこにいる術者の承認が――」
「これは転移魔法ではないわ、愚か者め!」
これが中継点がいきなり包囲された理由か。
この草原を渡る限界である二百の人員で進軍し、現地で兵を召喚する。
そんな事が可能になれば、世界の軍事バランスが崩壊してしまう。
「いや、だがそれなら……二百の兵すら必要ないはずです。いきなり村まで個人でやってきて、そこで兵を召喚すればいいのですから」
呆然と言葉を失ったヒルに、カロンの声が届く。
そして、その発言は的確に的を射ていた。
確かに個人で村に侵入してから兵を呼び出す方が、こちらは混乱しただろう。もしその手を打たれていたら、体勢を整える間もなく村は制圧されていたはず。
「ひょっとしたら、召喚するのに条件があるのかもしれません」
「そうですね。ですけど、今はまずあの兵力の相手を考えねば……」
敵の数は一気にこちらの十倍に跳ね上がった。
この防塁で百と少々の兵力では、まともに戦っては足止めすらできないかもしれない。
戦力では、まともに敵わない。ならば、別の条件を提示すれば……
「フハハハ、どうだ? 今ならまだ降伏も受け付けてやるぞ」
「そうですね、確かにこの兵力差は如何ともしがたいです。なので我々はこの防衛線を放棄しようと思います」
「ほう、だが我等がそれを見逃すとでも――」
「その際はこちらの資材に火を放って、死に物狂いで抵抗するまでです。ここで見逃してくれるならば、その資材はあなたの手に入る事になりますね?」
含みを持たせるように、言葉を遮るヒル。
ここに持ち込んだ、百名を超える冒険者を支える糧食、予備の武装、そして工事用の資材。
それは売り払えば結構な額になるはずだ。
今戦えば、それらは手には入らない。そう明言してやる。
「ぐ、むぅ……」
「どうです? 私たちは結局のところ村を手放す事になるでしょう。あなたとしてもその結果は変わらない。ならばこそ、手に入る物は多い方がいいのでは?」
村を制圧した資材はやがてケンネルという国そのものに接収されるはずだ。
だが、この僻地での攻防で手に入った資材までは、管理していないかもしれない。
「おい、ヒル! お前、この期に及んで命請いかよ!?」
ヒルの護衛としてそばにいたアルドが、その袖に手を掛ける。
だが、彼は声を潜めてその意見に反駁した。
「今はこの兵力を維持し続ける事が先決なんです。ここでの決戦は意味が無い」
「しかし……」
「敵は兵力を召喚できる。問題はそれがどれほどかという事です」
「な、まさか……あれ以上呼び出せると――」
「その可能性はある。だから、ここで戦うのは意味が無いのです」
敵の召喚能力がどれほどか判らない以上、無駄に戦力を減らす訳にはいかない。
少しでも無事に冒険者を後方に下げ、撤退するにしても抵抗するにしても、戦力を温存しておかねばならない。
兵力召喚なんて言う無茶な能力を持っているなんて、想定外の能力だった。
「ここにある資材を放棄するのは惜しいですが、冒険者の命の方がもっと惜しい。ここはこれで手を打ってもらわないと――」
「お前ぇ……いや、確かにそうだな。あんな訳の判らない連中と戦うのは確かにゴメンだ」
対して、クラヴァンと言う将軍も苦悩していた。
彼はこの遠征をあっさりと片付け、昇進を手にする心積もりでいた。
その為に転移者であるキシンを預かり、配下にする事に成功している。
だがこのキシンの『ユニット配置能力』は召喚する兵力に応じた資金を消耗するのだ。
しかも召喚できる時間はせいぜい三時間。
つまり彼を戦力化するには大量の現金を輸送する必要がある。
この兵力は、その金を護衛するための物とも言える。
戦うたびに大量の金を消耗する能力者を抱える身としては、ヒルの申し出た資材を代償に命乞いする案件は、非常に魅力的に見えた。
結果、彼はその申し出を受ける事を決意する。
資金にはまだまだ余裕がある。
だが、ここで冒険者達を殲滅するつもりで召喚させたが、このままでは彼のポケットマネーまで侵食しかねないのだ。
「判った、その申し出を飲もう。我等はこの防塁にて一夜を過ごす。それだけの猶予は与えてやろうではないか」
「了承しました。では、その証明に兵を退いていただけませんか?」
「――キシン、退かせろ」
「御意に」
ぼそりと呟くその声が、魔法によってこちらまで届いてくる。
同時に八百の兵力がまるで霞のように消え失せた。
「……私共はこれにて失礼を。総員武装解除の後、撤退する!」
「マジかよ!?」
「戦わずに逃げるってのか――!」
「だけどお前、あの兵力と戦う気か?」
「そりゃ……くそ!」
ヒルの撤退宣言に冒険者達から、様々な意見が飛び出した。
だが今は彼等の命がある。その事こそが、ヒルにとって重要なのだった。