第百三十五話 迎撃準備
ケンネル来襲。
その急報に、ヒルの脳内はあっさりと混乱に陥った。
だが次の瞬間には即座に建て直すことに成功。ここでパニックに陥る訳にはいかない。
すでにパニックを起こした職員たちはバサバサと書類の束を落とし、お茶を淹れた湯のみを溢し、仕事の手が止まってしまている。
やらねばならない事はたくさんあるというのに、だ。
ここで指導者が混乱してはいけないのだ。
――何か、何でも言い。指示を出して仕事を与え、落ち着かせねばならない。
ヒルは即座にそう判断し、矢継ぎ早に声を上げた。
「手空きの斥候職に依頼を出してください。西方、ケンネル軍の動向の監視! それから市民に警報を。最悪今村を出る事になります、最小限の荷物のみ用意して自宅待機するよう指示してください」
「は、はい!」
「腕利きの冒険者で帰還している者は居ますか? 彼等にも依頼を。迷宮内の冒険者に帰還命令を出して村へ戻らせないと。それから、防塁の守護は? 冒険者達をすぐさま向かわせてください」
「わ、判りました!」
この五年で村もかなり大きくなっている。
村を囲う防壁だけでなく、その周囲二キロ地点に防塁を作り上げ、外敵の侵入を防ぐ壁を作っていたのだ。
だがそれは、あくまで野犬や蛇などの有害な獣に対して。
防塁の高さはせいぜい三メートル程度しかないため、軍の侵攻を留めるほどでは無い。
それでも、これを拠点に守らねばならない。
村の外壁も似たようなレベルであり、ここで戦えば一般市民に被害が及んでしまうのだから。
「各組合の要職にいる者は組合の会議室へ呼び出してください。いかなる理由があっても欠席は認めません」
「はい、連絡してきます!」
「連絡員はタルハンへ報告を。それと転移陣を封鎖してください。最悪、敵に悪用される恐れがあります」
「了解です。すぐ行います」
タルハンへの転移陣は最近設置された物だ。
これがあればタルハンへ一瞬で移動する事ができる。だが、これを利用するには各地方の領主の許可がいる。
だがこの草原地帯には領主がいない無主地だ。そこで代役に出てくるのがユミルである。
すなわち、この地の管理者であるユミルと、受け入れ先のタルハンの許可が必要なのだ。
「ユミルさんに連絡は?」
「それが、昨夜からアリューシャちゃんが熱を出したとかで、コーウェル王国へ向かったようです」
「くっ、この大事な時に! いや、彼女の病とあれば、動くのも仕方無いか――」
ユミルとアリューシャの絆については、ヒルもよく知っている。
ならば、これは不可抗力である。
そもそも転移陣で移動できるのは一日にせいぜい十名程度。それ以上は魔力が持たない。
それに数名逃がした程度では、残された者達に不満が募るばかりである。
市民に退避の準備をさせる、冒険者を防衛に向かわせる、戦力を確保する、各組合と連携を取る、タルハンに救援を申し入れる……
打てる手は全て打っておきたい。
他にできる事は無いか、見逃した点は無いか思案しながら、会議室へ向かったのだった。
「それで、報告をしてください。なぜ敵の侵攻を見逃したのですか?」
ヒルは重々しい口調で、防衛に当たっていた冒険者にそう問いかけた。
彼もここまで四十キロに渡って逃亡してきただけに、疲労の極にある。
それでも会議の準備が整うまでの一時間は休憩できたはずだし、例え休憩できなかったとしても、報告はしてもらわないといけない。
「それが、最初に発見した時は二百程度の小部隊に見えたんです。それで、どこかの隊商かと思い、接近して問い質そうとした所、奇襲を受けました」
「二百……その程度なら――」
この村の戦力でなんとか対処できる。
現在の村の人口はおよそ五百。うち冒険者は百五十ほど存在している。
冒険者の戦闘力は一般人の数倍にも及び、常に戦闘を繰り広げているため、正規の兵士よりも高い事がある。
ましてや、このユミルの迷宮は高難易度ダンジョンだ。そこで鍛えられた冒険者は最精鋭と言っていい。
同数での戦闘ならば、引けを取る事は無いだろう。
そう安堵の息を漏らそうとした所で、冒険者が驚愕の事実を突きつけてくる。
「奇襲を受けて中継点に篭城しようとした所、気が付けば千を超える大軍に包囲されていたんです」
「な、なんだって!?」
ありえない。その言葉をかろうじて飲み込む事ができた。
この草原で、大規模戦闘はほとんど起きない。それはこの草原独特の地形効果による物だ。
根が強く、一晩で繁茂する雑草が馬車の運用を妨げる。
そして軍を運用する上で、輜重の存在は不可欠。大勢を食わせるために、大量の荷物を運搬せねばならないのだ。
そしてその為に必要な馬車が使えないので、小規模な部隊しか動かせないと言うのが、今までの常識だった。
最近では橇が運用され、かつてよりも遥かに大量の物資を運べるようになったとは言え、運搬できる量は馬車のそれより遥かに少ない。
これではまだ、大軍を運用するのは不可能なのだ。
せいぜい百と数十。限界でも二百を動かすのがやっとだろう。
「それなのに、千を超える兵が草原を渡ってきただと?」
「ええ、俺も最初は目を疑いましたよ。なんとかこの村に連絡しないとと思ったのですが、通信用の魔道具が作動しなくて……」
「通信妨害の魔法ですね。それは戦術の基礎として当然の処置だったのでしょうね」
「それで仲間達が、せめて俺だけでも逃げて、伝えてくれって……くそっ!」
「心中お察しします。よくぞ、ここまで情報を持ち帰ってくれました」
軍隊の進行速度はそれほど早くない。
彼個人が一昼夜駆け抜けてきた距離は、軍にとっておよそ二日は掛かる距離だ。
アドバンテージはせいぜい一日。
こちらが冒険者を掻き集め、迎撃に出たとしたら――
「防塁の辺りでかち合う事になりそうですね」
「そうなると先遣隊が心配ですね」
この村の商業組合のトップに当たるトーラスがそう口を挟む。
彼は冒険者の先遣隊を出すに辺り、真っ先にその食料の供給を申し出てくれた。
「すぐにでも援護に向かわねぇと、間に合わなくなっちまうな」
「そうですね……」
アルドは愛用の斧を叩きながら、そう主張する。
彼は工業組合の長だ。
「そんな、それより民間人の避難を優先してもらわないと! その護衛も必要ですし――」
農業組合の長は迎撃に反対する。
それもそのはずで、彼はついこの間までは小作農をしていた平民である。
真っ先にこの村に訪れ、水耕農業を一から開発した要人でもあるのだ。
だが、彼とてこの村を捨てる事はありえない。
ここに来るまでに全てを捨ててきたのだから、この発言とて、苦渋の選択の末の事だろう。
「とにかく、今は迎撃に向かいましょう。敵の真意も判らないでは、手の打ち様がありません」
この村を攻めると言う事は、組合を敵に回すと言う事になる。
確かにこの村は交通の要衝であり、高い資源回収率を誇るポイントではあるが、世界でも最大級の大組織を敵に回す価値があるかと言えば、疑問が残る。
何か他に目的があるかも知れないのだ。そこを上手く交渉できれば……
「冒険者の様子はどうです?」
「およそ百が即時出動可能です。二十は怪我で動きが取れません。残り三十は――」
「逃げましたか」
「……はい」
元々根無し草の冒険者達だ。
アルド達のように、この村に愛着がある訳では無い。
戦乱の危険があると聞けば、身を守るために逃げ出す者も多い。
彼等とて、仲間の命を預かる身である。
ここでぐずぐずしていては、防衛の機会すら失ってしまう。
ヒルはそう判断して、決断を下す。
「その百を動かしましょう。怪我人の五十は組合の施療院を総動員して癒してください。治った者が避難民の護衛に付くように」
「そのように手配します」
「残った者で一番腕が立つのは?」
「おそらく、カロン達のパーティでしょう」
「彼か……」
カロンはここでも古株の冒険者である。
発見当初よりここの迷宮に出入りし、日々研鑽を積んできている。
五年前は未熟極まりない若者ではあったが、現在では若手の有望株に目されるほど、腕を上げているのだ。
ただし、当時を知るヒルからの印象は――あまり良くない。
「少々不安ではありますが、彼のパーティを主軸に第二陣を結成しましょう。それと、防衛には私も出ます」
「そんな、危険です!」
「相手の目的がわかりませんし、交渉の場には私の力も必要でしょう。カロン君は武闘派ですから、そういった事は苦手なはずです」
ヤージュによりひたすら技術の研鑽を指示されてきた彼は、こういうややこしい事態への対応が甘い。
リビやアドリアンと言うベテランが脇を固めているので、そう迂闊な事にはなら無いと思うが、状況が余計こじれる事も考えられる。
それに新しく入ったカインは少しばかり頭に血が昇りやすい。
ここは街の最高責任者である自分が出て、直接交渉した方が早いだろう。
「この村まで攻め上がる気が無い可能性だってあるのです。それに、組合を敵に回す覚悟があるとも限りません。交渉の余地はある……」
それは自分に言い聞かせるかのような言葉だった。
だがこの場にいる人間にとって、ユミルの代役である彼が、率先して最前線に出る事に感銘を受けた。
彼は身を挺して、この村を守ろうとしている、そんな風に見えたのである。
「トーラスさん。申し訳ありませんが……」
「判りました。糧食の提供ですね? 倉庫の全ての食材を提供します」
「申し訳ありません。この補填は後日必ず――それからアルドさん?」
「ああ、うちの若いモンを集めて戦力の穴埋めにさせる。それと武器やら資材も提供させてもらう」
「助かります」
防塁を強化するためには様々な道具が必要になってくる。
それに戦力もあまりにも少ない。
こちらが百、相手は千を超える。
冒険者単体の戦力が二倍程度あったとしても、遥かに追いつかない戦力差だ。
少しでも戦える者は欲しい。
そして、戦場で戦うだけが戦闘では無い。
戦場を『作る』ためには、工兵の存在も重要になって来る。
彼等職人にはその代役になって欲しいと、ヒルは考えていた。
「わ、私も……私の所も腕自慢の者を募集してみます。ですがあまり期待はしないでください」
農業組合の長も、そう提案してくれた。
彼も全てを投げ出し、この村へ入植してきたのだ。できるならば、村を守りたいと思っている。
「感謝します。ですがあまり時間はありません。三時間後には出発したい」
「判りました。それまでに意見をまとめてきます」
転げるような足取りで会議室を飛び出していく農業組合長。
時間はあまり残されていない。こうしている間にも、敵はこちらに押し寄せてくるのだ。
「ワシも人を集めてくる。三時間後だな?」
「この組合前に集合でお願いします」
「了解した」
アルドが、そしてトーラスが次々と退室する。
この村ができて、まだ五年。
それなのに、彼等はこの村を守ろうと命を張ってくれるのだ。
ヒルはその行動に感謝の念を捧げていた。