第百三十三話 タルハンへ帰還
翌朝、アムリタは見事に生育していた。
薬剤師組合の人達なんかは半信半疑だったけど、実際に青々と茂るアムリタを見て『歴史が変わる!』と歓喜していた。
この薬草が栽培できると言う事は、元の世界の基準で言うと抗生物質の安定供給が確立するのと同じ事。
死ぬ危険のある病気が、風邪と同レベルの怖く無い病気へと変化した瞬間なのだ。
「栽培できてよかったです。実際ボク達も人伝に聞いただけでしたので」
「いえいえ、これで多くの人が救われますよ! 世界が変わったのです!」
いまだエキサイトしまくってる薬剤師さんがボクの手を握って、ブンブンと上下に振りたくる。
少しばかり腕が痛いのでやめて欲しいところではあるが、喜ぶ気持ちも判らないでも無いので、ここは我慢しておくとしよう。
抗生物質の代用品が出来ると言う事は、今後のアリューシャの健康面でも大きな意味を持つからだ。
「それでアンブロシアの製法ですが――」
「ああ、それならこちらにメモしておきました。どうぞお持ち帰りください。判らない所があれば、ぜひこのギリアムまでお申し付けください!」
「いえ、そこまでお手数掛けさせる訳には……」
「この発見は、まさに世界が変わる大発見です! その功労者のお手伝いをできるならば、どのような仕事を投げうってでも馳せ参じますとも!」
「そこは仕事優先しろ、まじで」
そんな訳で、ボクはめでたくアンブロシアの製法を入手したのだった。
アムリタ自体は屋敷にも繁殖しているので、これでセンリさんが作れるようになるだろう。
それに、今は行き詰っている世界樹の木の実のポーション化にも役立つかも知れない。
とにもかくにも、センリさんがアンブロシアの製造を手掛けれるようになるのはまだ先だろう。
今は彼等薬剤師組合に頼るしかない。
「それとは別にアンブロシアを一瓶、譲っていただきたいのですが……ああ、代金は正規の物を支払いますので」
「いいえ、この成果に比べれば、アンブロシア一瓶程度の価格など無いも同然。作業場に来ていただければすぐにでもお渡ししますよ。昨夜精製した物ができていますから」
「それはありがたいです。先を急ぐ身ですので」
すぐさま冒険者組合の作業員達がアムリタを採集し、ボク達はギリアムさんと一緒に薬剤師組合へ向かうことにする。
そのまま街を出る予定なので、支部長のゴルベスさんに挨拶をしておくことにした。
「それじゃあボク達はこれで。先を急ぐので、薬を受け取ったらすぐに街を出る事にします」
「そうか? ゴードンの奴も顔見たがってたぞ」
「ゴードン……ああ、兵士のオッチャン――」
「忘れてたのかよ!? 一応依頼主だろ」
「えへ、すでに報酬は受け取ってましたので、つい……」
舌を出して愛想を振りまいてごまかしておく。
すでに組合から、直接報酬を受け取っている。
別に顔を出す必要も無いのだけど、会いたがっていると言われれば名残惜しくなってくる。
だがアリューシャも発病して今日が三日目。そろそろ劇症化してくる頃合なのだ。一刻も早く帰還しなければならない。
「申し訳ありませんが時間がありませんので。今度必ず遊びに来るので、その時にでも――」
「そうか、子供が待っていたんだったな。判った、ゴードンには俺から伝えておこう」
「お願いします。それで、キーヤンはどうする?」
この場合の『どうする?』とは、『一緒に来るか?』という意味だ。
タルハンにはセンリさんもアリューシャもいる。
ユミル村に向かえば、ボクだって結構な権力者になる。彼に庇護を与える事は可能だ。
ここで冒険者を続けるか、それともボク達と一緒に来るか、その意思を確認したい。
「俺は……元々鍛え直すつもりでこの街に戻ってきたんだ。だからもうしばらくここで鍛え直そうと思う」
「判りました。では協力が必要ならタルハンまで連絡ください。出来る限りは力添えしますから」
「ああ、そうさせてもらう。あんたと旅できて面白かったよ。なんだか吹っ切れた気もするしな」
「一番吹っ切れたゲームから来てるのに」
「つまるところ、ゲームじゃなく中の人が問題って事だな」
「それじゃボクが問題児みたいじゃないですか!」
「自覚ねーのかよ」
ボクの顔を見たら逃げ出していたのに、彼も成長したのかもしれない。
次に会う時は、どこまで成長しているか楽しみである。
「それじゃ、先に街に戻りますね。ギリアムさんはこちらへ」
歩いて帰るよりはリンちゃんに乗って帰った方が早い。
空は飛べないけど、それでも一般人のギリアムさんが歩くよりは早いのである。
こうして慌しくアンブロシアを受け取り、ボクはマクリームを旅立ったのだった。
それからおよそ半日以上を掛け、日が暮れてからタルハンへ到着する事になった。
三日ぶりのタルハンは相変わらず活気に溢れ、日が暮れているというのに人の姿を見て取れる。
マクリームなどでは日が暮れると酒場か家に引き篭もるものが大半なので、街の一気に活気が失われていたのだ。
「それにしても少し、いつもより騒々しい?」
そんな雰囲気を受けたけど、今はとにかくアリューシャの事が先決だ。
一直線に組合に併設されている施療院へ足を向け、担当の術者さんに面会を申し込む。
彼もボクを待ち構えていたのか、すぐに迎え入れてくれた。
「お待ちしておりましたよ、ユミルさん。アリューシャちゃんの病状は安定してますが、少し熱が上がる気配があるので心配してたんですよ」
「よかった。アンブロシアは一瓶だけですが確保してきました。製法も聞きだしてきたので、今後はウチで作る事ができますよ」
「本当ですか!? あの秘伝の製法をよくぞ……」
「口外無用を約束させられたので、こちらの組合に教える事はできませんけど、センリさんなら作れるはずですので、タルハン内部に供給する程度なら、なんとかできるはずです」
「それだけでも大きな進歩ですよ。現物を安定供給してもらえるのならば、いつかは解析してこちらで作り上げて見せます」
頼もしい言葉を発して胸を叩いてみせる。
だが、それよりアリューシャだ。
熱が上がる前兆があると言うことだし、本当にギリギリだったのだろう。
「これがアンブロシアです。早く飲ませてあげてください」
「判りました。スラちゃん、よろしく」
術師さんが一声掛けると、どこからともなくスラちゃんが滲み出て、薬を受け取る。
そしてのにょろにょろと扉を出て三階へ登っていった。
「いや、便利ですね、彼。隔離病棟に出入りしても感染の危険はありませんし、患者の体温を調節して負担を下げてくれますし」
「確かにウチでも万能選手でしたが……あげませんよ?」
「――チッ」
舌打ちしたよ、この人!?
「冗談――とは言いきれないところですけどね。なんだかんだでこの施療院も人手が足りないので。消毒、清拭、体温調整までやってくれる彼は実にありがたかった」
名残惜しそうにそう答えると、白衣とマスクを用意して、着替え直す。
そして一式をボクにも差し出し、同じく着替える様に指示してくる。
「様子を見に行きます。ユミルさんも御一緒するなら、こちらに着替えてください。病室を出たら消毒しますので」
「わかりました」
感染症に対する認識は確立しているらしい。
ここでウィルスを引っ付けたまま他の患者に接していたら、大流行しているところだった。
「そういえばセンリさんは?」
「翌朝には戻ってきてくれましたよ。でも、昨日ヤージュ支部長に呼ばれてから見てませんね」
「そうだったんですか。じゃあ、クファルは間に合ったんですね」
「はい、多めに持ち帰ってくれたので、当面は持つでしょう」
そうだ、薬草も草原の繁殖力を使えば、大量に確保できるはずだ。
クファルやアムリタは村に戻ってから栽培して、タルハンに持ち込んでおこう。
そんな、今後の方針を固めながら、階段を上がり、病室の扉を開く。
扉の向こうでは、素っ裸のアリューシャがスラちゃんに包まれながら、薬を飲み下しているところだった。
「うっ!?」
「どうしました?」
「先生、その……この姿は嫁入り前の少女としてはどうなんでしょう?」
全身を這い回り、汗を拭き取るスラちゃんの姿は正直言って犯罪的で扇情的だ。性的に。
スラちゃんが体温管理も兼ねているので、服を着ていないと言うのも問題がある。
そして熱で上気し、半ば蕩けたような表情も色々とイケない。
これで足を開いてたりしてたら、ボクは理性をかなぐり捨てて飛び掛っていたかも知れない。
「まぁ、この部屋に入るのは彼だけですので、問題は無いでしょう」
「先生も入ってるじゃないですか」
「病気が病気なので、頻繁に出入りする訳には行かないんです」
病状はイゴールさんが見てくれるし、細かい体調はスラちゃんが頑張ってくれている。
なので医者としては、投薬を済ませればほとんどやる事が無いらしい。
「あ、ユミルお姉ちゃん……」
「アリューシャ、少し良くなったかな?」
「うん、このお薬もお姉ちゃんが持ってきてくれたんでしょ? ありがと」
「こんなのラクショーだよ。だから気にせずゆっくり休んでおくといいよ」
「うん」
アリューシャはだるそうに薬を飲み干し、再び目を閉じた。
絶え間ない発熱で体力を大きく消耗しているのだ。この歳の子供に三十八度を超える熱はキツイはず。
術師の先生は目を閉じたアリューシャの手を取り脈を計った後、聴診器で心音や呼吸音を聞き取る。
そばのカルテにいくつかメモを記入して、一つ頷いた。
「熱はすぐに下がる訳じゃないようですが、早くも脈拍は落ち着いて来てますね。すごい即効性だ」
「良かった。じゃあ、もう大丈夫なんですね?」
「経過は見ておく必要がありますが、安静にしておけば、問題ないでしょう」
その言葉にボクは安堵の息を漏らした。
これでアリューシャは一安心だ。病状も、アンブロシアの精製さえ終われば、今後は安定して癒せる様になる。
その時、ドタドタと騒がしい声が聞こえてきた。
一階で看護婦と男性の怒鳴りあう声だ。この三階まで響くような大声で怒鳴りあっている。
「だから緊急の用だといっているだろう!」
「この上は患者さんの隔離病棟です。指定の服に着替えて頂かないと通す訳には行きません!」
「そんな暇あるか!」
聞こえてくる声はこんな感じだった。というか、男の声に聞き覚えがすごくある。
「この声、ヤージュさん?」
「お知り合いですか? 申し訳ありませんが、患者さんの病気が移るといけませんので――」
「判ってます、すぐ着替えて行くので待たせて置いてください」
「判りました。イゴールさん居ますか?」
「こちらに」
先生の呼びかけに壁を抜けて現れるイゴールさん。
ボクの姿を認めて、彼は恭しく一礼をして見せた。
「お帰りなさいませ、ユミル様。お出迎えに上がれず、申し訳ございません」
「いいですよ、アリューシャのための作業をしてくれてたのでしょ」
「はい、現在はクファルの調合を少々」
「彼の念動力で調合してもらうと、雑菌が混じらずいい品質の物ができるんだ」
「ああ、そういう……」
確かに幽霊の彼ならば、人がやるより衛生的に調合できるかもしれない。
この先生、ものすごくウチの子達に馴染んでるな……
「ヤージュさんにすぐ降りていくから待っておく様に伝えてくれるかい?」
「畏まりました」
一言告げると、イゴールさんはそのまま床下へ抜けていく。
彼ならば、階段すら利用する必要が無いのか。
急いで服を着替え、洗濯用の籠に放り込んでから一階に降りる。
そこで、イライラとお茶を飲んでいたヤージュさんと顔を合わせる事になった。
「ユミル、やっと戻ってきたのか!」
「これでも急いで帰ってきたんですけどね」
極北の竜の聖地まで往復三日である。
これは非常識なまでの強行軍と言えよう。
「こっちはそれ所じゃないぞ、落ち着いて聞けよ――」
「なんです?」
そこでヤージュさんは、一旦言葉を切って、唾を飲み込む。
充分に間を置いてから――
「――西のケンネル王国がユミル村に宣戦を布告した」
「はぃ?」
ボクは、そう答えることしかできなかったのである。
少しきりが悪いですが、ここで一端の章の区切りになります。
次の話から10話程度は村での動きになるので、ユミルとアリューシャの出番はありません。御注意ください。