第百三十二話 ネゴシエート
その日は一気に駆け抜け、夕刻にはマクリームに到着することができた。
リコレットの宿の厩務員さんには悪いけど、薬草という生鮮物を運搬している以上、処理は早い方が良いだろう。
インベントリーに入れておけば劣化はしないのだけど、目的を達成したのなら、できるだけ早く戻った方がいいと判断したのだ。
アリューシャが待っているのだから。
マクリーム郊外で着陸し、そのままリンちゃんに乗ったまま街中へ爆走する。
「おらおらー、キーヤン様のお通りだぞっ」
「ヤメロ、俺のせいにされるだろ!?」
突如地上を激走してくるドラゴンを見て兵士達が色めき立つが、ボクのセリフを聞いて納得顔で道を譲る。
彼がアムリタ採取に出た事は街中に知れ渡っているようだ。
子供連れの親子ですら道を譲ってくれたので、組合事務所までノンストップで辿り着くことができた。
キーヤンの威名は結構な効果を発揮してくれたようだ。
「ただいまー、アムリタお待ち!」
「は? え、まだ一日しか経って――え?」
今日も眠そうな目でカウンターに座っていたリコさんが、ボクの宣言を聞いて目を白黒させている。
人を掻き分けてカウンターに辿り着き、その上にドンとアムリタを詰めた袋を乗っけた。
「これで間違いないでしょ?」
「え、えーっと……少しお待ちください」
リコさんはのろのろと袋を開け、中一杯に詰まったアムリタを見て、驚愕の表情を浮かべた。
「こ、これは間違いなく――しかもこんなに!?」
「運よく群生地に案内してもらいまして。それより、少し上の人とお話できますか? 重要な発見があったので」
アムリタの栽培方法が見つかったのだ。報告しておいた方がいいだろう。
これが広まると、アンブロシアという秘薬を安定して供給できるようになる。それだけに情報の取り扱いは慎重を期したい。
なので、支部長クラスに直接話したかったのだが……
「上って支部長とかですか? いくらなんでもいきなりは無理です」
「そう言わずに。本当に重要案件ですよ?」
「無理なものは無理です」
むぅ、人目のある場所で話せないことなので、内緒のまま支部長に接見したかったのだが、リコさんに頑なに拒否されてしまった。
確かに意図不明の面会人なんて、VIPに取り継げる訳は無いのだけど……
「そうだ、キーヤン。代わりにお願い」
「は、俺?」
「そうそう。こういう時こそ、キミの知名度が役に立つのだ」
「そうは言っても……」
「キーヤン様が支部長にですか!?」
キーヤンが代わりに会うと聞いた途端、リコさんは態度を一変させた。
慌てて使いの物を走らせ、恐縮そうにキーヤンに言葉を掛ける。
「すみません、ただいまアポイントを取ってまいりますので、しばらくお待ちください」
「あ、急ぎじゃないから別にいい――」
「急ぎじゃ、ボケー!」
キーヤンの後ろ頭をスパンと叩く。
この後支部長と交渉して、その後超特急でタルハンまで戻らねばならないのだ。
それにしても、ボクだって草原迷宮の権利者なのに、対応が違い過ぎない?
「って、よく考えて見れば、権利者だって言ってなかったかも」
「はぃ、権利? なんのです?」
「草原中央の迷宮の、です。ユミル村のユミルって結構名が知れてきてると思ったんですけど」
「ユミル……あなたがあの、烈風姫!?」
「その名はやめれ」
ボクは速攻で渾名を否定したけど、その響きは支部中に響き渡ったようだ。
背後で冒険者達がざわめくのが聞こえる。
「烈風姫ってあの……?」
「東の英雄、レグル=タルハンを一蹴したって聞くぜ」
「マジかよ、まだガキじゃねぇか」
「アレなら俺でも勝てるんじゃ……ちょっと挑んで見るか?」
「やめとけ、グレンがどうなったか知ってるだろ」
「頚椎捻挫だったか――傷は治せたけど、拳を見ると足が竦むっていってたな」
また一人、トラウマを植え付けてしまったか。ボクも罪な女よのう。
「北の英雄キーヤンと草原の肉食系女……」
「おい、なんだその肉食系って」
「い、今すぐ取り次ぎますので、しばらく! しばらくお待ちを!?」
リコさんは、なんだか急に怯えた様子を見せはじめた。ボクはそんなに危険人物なのか?
「だって、ベヒモスを一人で殴り殺して、その肉を喰らったって――」
「いや、確かに殺して食ったけどさ」
「あの噂は事実だったんですか!?」
「事実っちゃ、事実だけど……」
「ごめんなさい、すみません、知らなかったんです! あなたがあの肉食獣だったなんて!」
「ヒドイ風評被害を見た……」
確かにベヒモスをソロで討伐したし、その肉は食べたけど、ここまで恐れられるような蛮行をした覚えは――ない、と思う。多分。
ボクは顔の前で両手を振り、必死に違うとアピールしたけど、リコさんの恐縮は止まらない。
「おい、キーヤン。なにウチの受付を怯えさせてるんだ?」
そこへ割り込んできた野太い声。
見るとそこにはソフトモヒカンの巨漢が立っていた。
その肉体はオークロードもかくやと言うほどの威風。髪型や体型とあいまって、肉の威圧感と圧迫感が半端ない。
「ああ、ゴルベスさん。お久しぶり……」
「だぁっはっはっは! そう恐縮するな。お前はこの街の英雄だぞ!」
カウンター越しに乗り出し、キーヤンの肩をバンバンと叩く。
そのたびにキーヤンの身体が、少しずつずれる。
キーヤンが細身とは言え、不安定な体勢なのに、なんて腕力だよ。
「で、俺に話だって?」
「ああ、はい。こいつが――」
そういってキーヤンはボクを指差した。
ゴルベスと言う男は――多分、この流れで出てくるって事は彼が支部長なんだろうけど、ボクを胡散臭げに睨み付ける。
ベヒモスをソロで討伐した噂と、目の前に立つボクでは、まったくイメージが合わなかったのだろう。
この『力こそパワー』と言う気風を持つマクリームでは、細身のキーヤンや小柄なボクは異質な存在だ。
ボクはキーヤンの言葉に説得力を持たせるため、銀貨を取り出し、それを手の中で思いっきり握り締める。
両手剣を片手で、しかも音速に迫る速度で振り回すボクの握力は、常人とは桁が違う。
開いた手の中には、無惨に形を変え、ひしゃげた銀貨の名残があった。
「ほう……面白い芸を持ってるな。いいだろう、話を聞こう」
そういって親指で後ろを示す。そこは交渉用の個室が並ぶ通路があった。
「俺はこのマクリームの支部長でゴルベスと言う。お前は?」
「さっきから聞いてたくせに。草原迷宮の権利者のユミルです」
「ああ、聞いてた。だが、こういうのは自分の口から聞かせてもらわないとな」
レグルさんとはまた違う感じの豪放磊落。
あの人の腹に一物ある雰囲気とは違い、こちらは正に力任せと言う雰囲気だ。
その分だけ交渉はしやすいかもしれない。
個室の中はタルハンより閑散としていた。
あっちが小さめの応接室だとすれば、こちらは酒場の密会所だ。
木製のテーブルにも細かな傷が入っていて、殺伐とした雰囲気を演出している。
ゴルベスはボク達が部屋に入ると、扉に鍵を掛け、椅子に腰掛けた。
茶は出ないのか……気が利かないなぁ。
仕方無いので自分で据え付けられた水差しから水を注いで、各人に配る。
「悪ぃな、気が利かなくてよ。で、俺に話だって?」
「あの場では話せなかったもので、こんな場所まで御足労して頂き――」
「前置きはいい。重大な案件だと聞いた」
テーブルに両肘を付き、声を潜めるかのように、こちらに乗り出してくる。
その重みに耐えかねたように、ミシリとテーブルが軋みを上げた。
「ちょ、近いですって。ただでさえコワイ顔なのに」
「はっきり物を言う嬢ちゃんだな」
「はぁ、話というのは……アムリタの栽培方法が判明しました」
「なんだと!?」
絶叫に近い叫び声。
その音量に扉や机がビリビリと震えた。
ついでにボクの鼓膜も。
「ぐあぁぁぁぁ……!?」
「あ、悪い」
耳を押さえて悶絶するボク。ここまでダメージを受けたのは、FPSのオックス戦以来かもしれない。
ゴルベスさんは気を鎮めるように水を一口飲み、再び乗り出してくる。
「詳細を吐け。今すぐ」
「タダでは教えられませんね。こちらだって相応の苦労をしてきたのです」
古竜王相手に手合わせとかね。
剣術だけで対応できず、魔刻石まで使わされるとは思わなかった。
「金なら相応の額を――」
「お金は要りません。こう見えても権利者ですので。それより……アンブロシアの精製法を教えてください」
アムリタは屋敷でも手に入る。ならば、後は精製法だけ知る事ができれば、センリさんが作ることが出来るはずだ。
そうなれば、アンブロシアの流通拠点をマクリーム以外に作る事ができる。
「む、だがそれは……」
さすがにこれは悩むゴルベス。
当たり前だ。アンブロシアの製造はマクリームにとっては重要な金ヅル。他に漏らすなんて、以ての外だろう。
だがこの交渉、主導権はこちらにあるのだ。
「教えてくれないなら別にいいですよ? アムリタの栽培法をタルハンに流すだけです」
そう、行き当たりばったりの運任せでしか入手できなかったアムリタが安定供給できるなら、それはマクリームにとっても大きな事だ。
だがこれがタルハンに流れるとなると話は別だ。アンブロシア流通の根っこをタルハンに押さえられる事になる。
今まで美味い汁を吸ってきたマクリームとしては、これは憂慮すべき事態である。
「ぐぅ……うぬぬぅ……」
ボク達にアンブロシアの製法を流す。それはマクリーム以外の流通拠点を作る事に他ならない。
故に、ゴルベスは苦悩の声を上げた。
ここで少しだけ譲歩の札を切ることにした。
「これは、ボク達が今回のように、ここまで足を運ばずに済むようにと思っての提案です。ぶっちゃければ自分達の分だけ、確保できればいいので」
「――判った。だが、他言無用だぞ」
「あ、作るのはボクじゃなくボクの知人ですので、その人に伝えるのは良いですよね?」
「それくらいなら構わん。ただしそいつも他言無用だ」
「了解しました。では教えますけど――」
こうしてアムリタの栽培法をゴルベスに伝える。
上位のドラゴンの糞を堆肥にして、それでクファルの実を育てるとアムリタへ変化するのだ。
強力なドラゴンの魔力を秘めたままの糞を、クファルが吸い上げ、実に凝縮させる。
それが病魔を追い払い、体力を回復させる。
それがアムリタの……ひいてはアンブロシアの秘密だったのだ。
「ドラゴンの堆肥か……試した事があるが、実らなかったぞ」
「それはドラゴンの強さが一定に達していないからだとガイエル――古竜王が言ってました」
「古竜王!? またド偉い存在が出てきたな」
「剣術バカなオッサンでしたけどね」
というか、ドラゴン族自体、お気楽な存在が多かった気がする。
多分歳を経る毎に緊張感とかそういった物が取れていくのだろう。
「だがその情報では、クファルを育てるまでは製法を渡す訳にはいかん。信じない訳では無いが万が一と言うこともあるしな」
「それはもちろん。ですがボク達も長居はできない都合があるのです」
「だからといって――」
「そこで……今夜、試してみましょう」
「は?」
このオッサンは忘れているのだろうか?
草原では一夜にして草木が茂ると言う事実を。
「そうか――草原の繁殖力を利用して!?」
「ボク達は今夜、ここに泊まります。その間に草原で実験して見ればいい」
「だが、ドラゴンの堆肥というのはすぐに用意できるものではないな」
「リンちゃんがいます。あの子は充分上位のドラゴンに匹敵する力がある。それに堆肥作りは錬金に属する作業。ならば過程をすっ飛ばすことも可能なはず」
本来ならば発酵と言う経過を経ないと作れない。だが、この世界では錬金術や鍛冶に属する作業は、その過程をすっ飛ばすことが出来る。
材料、工程、そして育成。
全てを一夜でこなす事は可能なのだ。
「いいだろう。では明日の朝、実験結果が出たならばそちらに製法を渡す」
「交渉成立ですね」
ゴルベスと固く握手を交わす。
こうして、アンブロシアの安定供給の第一歩を踏み出すことに成功したのである。