第百二十九話 歪む空
数十頭にも及ぶドラゴンの群れ、それが凄まじい勢いでこちらに迫ってくる。
ボクはそれを理解すると一瞬で我を取り戻し、リンちゃんに退避命令を出した。
「あんなの相手にしてられない。リンちゃん、逃げるよ!」
「が、がぅ」
「あ……ああ…………」
今だ呆然と絶望の表情を浮かべるキーヤンの横っ面を張り倒し、強引に正気に引き戻す。
「なにぼうっとしてる! キーヤンは後を追ってくるドラゴンを牽制して。キミの目潰しが命綱だ」
「あ、わ、判った!」
絶望したい気持ちは判らないでもない。
ドラゴン一匹ですら対応するのに百近い兵士が必要だというのに、それが軽く二十を超える。
しかも先ほど相手したドラゴンよりも遥かに大きな個体が、半数以上を占めている。
いくらボクでも真正面から勝てるような相手じゃない。
ドラゴン達は図体が大きい分、速度はそれほど出ないのか余裕で退避することができた。
後方にその影が消えて、一息ついたその時――再び前方にドラゴンの群れを発見する。
「な、なんで!?」
「ぐぎゃぅ!」
キーヤンはもちろん、ボクもリンちゃんも驚愕を禁じ得なかった。
さっき明らかに振り切った、その群れが――そう、群れごと引き離したはずなのだ。それが前方に存在する。
何が起きた……それを把握するよりも早く、リンちゃんを回頭させた。
「とにかくこの方角はまずい。ターンして」
「が、がう」
半ば力づくにも近い手綱捌きで、強引に方向転換する。だがその先にも、ドラゴン達の姿が存在した。
背後を振りかえると、そこにもドラゴン達の姿。
「わけが……わからない」
「ひょっとして倍の数に包囲されているとか、か?」
「ま、まさか、そんな……いや、それはない。いくらなんでもそんな数が近付いたら、ボクが察知できる」
接近してきた気配は、数でいうなら間違いなく一群れ分。
なのに前方の群れにも、後方の群れにも、その気配は存在している。
「なんだ、これ……本当に訳が……」
こちらが戸惑っているうちに、ドラゴンの群れは距離を縮め、こちらを半包囲していく。
後ろのドラゴン達は動く気配が無い。だが、その陣形だけは横に広がり前方の群れと同じく――同じ?
「まさか、前も後ろも同じ群れ――」
「はぁ? なんだよそれ?」
「つまり、空間を捻じ曲げて、前の群れを後ろに投影してる……いや、違うな。後ろの途中の空間が前に繋がってる?」
「バカな、テレポータを空間に設置してるってのか?」
「ほう、罠に気付いたか。なかなか知恵の回る者も居るようじゃな」
そこに落雷のような声が響く。
その声に秘められたプレッシャーは凄まじく、聞いただけで筋肉が萎縮してしまいそうになった。
現にキーヤンなどは完全に硬直してしまっている。
「――くっ!」
「我が【威圧】にも耐え切るか。人にしては珍しく強い個体の様だな」
思わず手綱から手を伸ばし、背負った大剣を引き抜いた。それも二本。
【パワーアーム】はパッシブスキルじゃない。ドラゴンとの距離も相当開いている。
なのに、ボクは『全力』で戦闘準備を整えてしまった。
その間にも包囲は完全に完成してしまう。これではもう逃げる事は叶わない。
そして、一頭の巨竜がボク達の前に進み出てきた。
その大きさは軽く五十メートルは超えているだろう。明らかに他の個体よりも大きく――そして、大きさに見合う力を秘めていた。
おそらくは、このドラゴンが群れの長だ。
「気圧された――?」
「まぁそう荒ぶるな。我としてもお前達が早々に立ち去ってくれるのならば、事を荒立てるつもりは無い」
「これだけの数を揃えて威圧しておいて、それを言う――」
「先に三頭、仕留められたからな。もし命まで奪っていたら、同様の処置をしていたところだが」
それは……リンちゃんの温情に救われたか。
だけどここでいう通りに退く訳にはいかない。抗生物質の無いこの世界では、アリューシャの病を治す特効薬が必要なのだ。
そのためにアムリタのという薬草がいる。
「ボク達としても事を荒立てるつもりはありません。ですが、どうしても薬草が――秘薬の材料になる薬草が必要なのです」
「だから、穏便にここを通せと? ここから先は我等にとって安住の地。簡単に通す訳にはいかん」
「それは理解しています、ですがどうしても手に入れなければならない物があるんです!」
巨竜はボクをじろりと眺め、何か思案する風な素振りを見せた。
その鋭い視線にリンちゃんはビクリと身体を震わせる。
「良いだろう、ただしタダという訳には行かんぞ?」
「代償が必要なら……なんとしても用意してみせます」
ドラゴン二十匹以上、そして明らかな上位種が一頭。
正面から戦って勝てるかどうか、まったく判らない。
だが確実に言える事は……後ろにいるキーヤンは、まず生き残れないだろうと言う事。
だから、ここは話に乗るか、逃げ帰るしか選択肢が存在しない。
キーヤンを見捨てると言う選択も存在はするけど、さすがにその選択は無い。
自分から巻き込んでおいて身捨てるとか、どこの外道よ?
「なに、そこまで無茶な事は要求せんよ。我と一手手合わせしてもらいたいだけじゃ」
「はいィ!?」
ドラゴンと手合わせ?
要はタイマンで勝負して勝ったら先に進んでいいって事?
「別に我に勝つ必要は無い。お主たちはこの聖域を荒らす輩とも思えんしな。だが、それだと我が大損だろう?」
「いや、損とか言われましても……」
いきなり俗っぽい事を話だしたな。
でも、勝っても負けても先に進ませてくれると言うのなら、こちらとしても願ったり叶ったりだ。
「手合わせは別に構いませんが、命のやり取りはゴメンですよ?」
タイマンならともかく、長を殺した復讐とか言われて、周囲のドラゴンに袋叩きに合うのがゴメンだ。
「それは我もゴメンじゃ。お主はかなり強そうじゃからな」
「それなら……」
ボクの同意を受けて、ドラゴンは近くの山の山頂付近に舞い降りた。
その山は山頂部分がテーブル状に平たくなっていて、まるで武闘場のような形になっていた。
だが、それほどの広さであっても、ドラゴンの大きさがあると狭苦しく感じる。
「なかなかいい稽古場じゃろ? 山の天辺を削って作ったんじゃよ」
「あんたが作ったんかい」
山の頂上を削り取るとか、ダイナミックな事してくれる。
それができるだけの力があると言うことだが……少なくとも【ドラゴンブレス】並の破壊力は持っているという事か。
「さて、少し準備するから待っておれ」
そう声を掛けると、ドラゴンの長の体長がシュルシュルと縮んでいった。
見る間にその大きさを縮め、やがて二メートルに満たない、中肉中背の男へと変化して行く。
「な、なな……」
「別に驚く事は無いぞ、普通の【変化】の術じゃ」
「そんなのあるんですか……?」
「この術を使ってよく人里に降りるんじゃよ」
つまり人に化けたドラゴンが、ほいほい人里に降りてきてると?
なにそれ、コワイ。
「最初にお主等を襲った若造共は理解せんけどな。人というのは、なかなかに面白い。特に小手先の『技』――特に剣技を開発させれば天下一品じゃ」
「はぁ……」
「かくいう我も、地上に降りてはそういう技を学んでおってな。だがここではその技を試す相手も居らん」
「まさか、その試し斬りをボクでやろうと?」
「大人しく斬られるタマでもなかろ? 我の修練に付き合う程度の気分で構わんぞ」
その言葉と同時に、二十頭超のドラゴン達が同じように舞い降り、人へと姿を変じていく。
半数程度の小さめのドラゴンは周囲を飛んで邪魔にならない様にしていた。
小さな個体は【変化】の術が使えないのだろう。
「よし、じゃあ俺、長に二百コルな」
「俺も長にクミンの実四つ」
「長に金剛石一欠け」
「俺、あの子嫁に欲しい」
「じゃあ、俺あっちの男」
「お前ホモかよ!」
「バイと呼べ」
人に変じたドラゴン達は、いきなり賭け事を始めた。
しかも一部ボクを嫁に欲しいとまで言いだしている模様。
「あ、悪いけどボクは売約済みですので」
「なんだ、彼氏持ちかよ!」
「いえ、彼女です」
「百合の世界キター!?」
ボクの返事になぜかテンションを上げる一部のドラゴン。
「じゃあ、そっちのお兄さんは今フリー? 今フリー?」
「なぜ二回聞いた?」
「大事な事なので」
「ふ、フリーだけど男は勘弁してください」
「大丈夫、女にも【変化】できるから!」
「そういう問題じゃない」
キーヤンは情けない表情でボクを見た。それはもう、すがるような視線で。
安心しろ、タイマンならそう負ける気はしない。
「すまんなぁ、山奥ゆえ、娯楽が無いのじゃ」
「それは判りますけど、嫁にはなりませんからね? 後キーヤンも上げません」
「それは残念じゃ。所で我も嫁に先立たれていての。後添えを募集して居るのだが?」
「いりません」
「ここも少子化が問題になっておっての」
「いりません」
「我、優しくするから――」
「いりません!」
「そうか……」
あからさまにしょぼんとした表情を見せる長。そこには先程の威厳が欠片も存在しない。
だがおもむろに、どこからともなく剣を取り出し、ボクに向かって突きつけてきた。
自身の身長よりも長いその剣は、黒く染まり、禍々しい気配に満ちている。
この世界で出回っている品とは明らかに格の違う、一線を画した一品と人目で判る。
堂にいった構えで相対する。一転、そこには漲る戦意と、期待に満ちた表情があった。
「さ、戯れもここまでじゃ。少しばかり付き合ってもらおうかの!」
「その剣はどこから出したし?」
「ちょちょいと魔法でな」
物質の具現化までこなせるのか、このドラゴン。それとも転移系?
なんにせよ、その能力が桁違いなのは明らかだ。
大人しく剣の勝負に出てくれたのが救いかもしれない。
「ちなみにこれまでの戦績はいか程でしょう?」
「剣ではここ七百年ほどで負けた事は無いな。ちなみに何でもありなら二千年負け無しじゃ」
「もう、連勝期間が人のそれと比較にならねぇ……」
七百年無敗の剣士とか、なにそれ。どこの格闘マンガかと。
「それ、ボクと手合わせする意味あるんですか?」
「技は鈍るモノじゃからなぁ。かといってそこらの相手じゃ、撫でただけで死におるし」
「そりゃドラゴンの力で撫でたら死ぬでしょ……ところで魔法は無しですか?」
「剣の力を試したいので無しがよいかな? まぁそちらは使ってもらっても構わんが」
「いえ、ではボクも使いません」
これはただの手合わせだ。ならば相手と五分の条件でやるのがふさわしい。
それにこの世界の『七百年無敗の剣技』に『今のボク』がどこまで通用するかも興味がある。
アイテムボックスを使用し、背負っていたマナブレードをムラマサに変更する。
この武器は高いクリティカル能力を有し、ストームブレイドほどでないけど、攻撃速度上昇効果まであるのだ。
この剣とクニツナという、偶然にも刀二刀流で挑む事になった。
「そういえば、まだ名前を聞いておらんかったな」
「ユミルです。あいにく姓はありません」
「そうか、我は古竜王のガイエルじゃ」
なんかただのドラゴンにエンシェントやら、ロードやらが付いてたし。
こりゃ、普通に戦ってたら、どうなってたかなぁ?
タイマンなら勝てると思うんだけど、取り巻きまでドラゴンだからな。
とにかく、剣だけならば充分戦り合えるはずだ。
ここは勝って、気持ちよく先に進ませてもらうとしよう。
空間を捻じ曲げる敵といえば、この名前ですよね。