第百二十三話 マクリームの街
リンちゃんに乗って飛翔する事、八時間。
夜明け前から飛んでいたので、その日の昼過ぎにはマクリームの街に着く事ができた。
マクリームの街はコーウェル王国南端に存在する街で、タルハンと同じく草原の際にある。
このコーウェル王国と言うのが、大陸北部を支配しており、更に北にはドラゴン達の生息地が存在する。
ある意味、この国がドラゴンと言う暴威の防波堤を担っているのだ。
だからこそ、質実剛健を国是としており、大陸でも一、二を争う軍事国家となっている。
だがその軍備は他国へ向くことなく北へのみ向かっていることが、大陸の安寧をも担っているのだ。
先の一件ではボクが瞬殺したが――基本的に、ドラゴンと言う暴力の前には人間なんて無力だ。
だからこそ、コーウェル国はその全戦力を北へ向け、ドラゴン達を警戒しなければならない。
無論、その警戒網とて万全では無い。
数年に一匹程度の割合で警戒を抜け、マクリーム近辺を荒らす事態が発生している。
そういう時のためにも、軍には後方に逃れたドラゴン討伐のための余力を残しておかねばならないのだ。
そんな訳でコーウェル王国は、他国に比べて軍事力が高いわりに、余り脅威には思われていない。
こうなるとむしろ逆に侵攻されるのじゃないかと思わなくもないが、ここを攻めればドラゴンと言う天敵が野放しにされてしまうので、他国も手を出しあぐねている。
そんな、微妙な位置取りの国だった。
マクリームに直接ドラゴンで乗り込む訳には行かないので、街のそばでリンちゃんを降ろし、そのまま徒歩で街まで向かう。
このマクリームという都市は、この世界には珍しく街壁という物が存在しない。
これは街の脅威が空を飛ぶ魔獣と言うこともあり、防壁が役に立たないことと、民が逃げる時の邪魔にならない様にと配慮された故のことだそうだ。
空を飛んでブレスを吐き掛けてくる相手に、防壁なんて役に立たない。
ならば民衆が逃げやすいように、全て取り払ってしまえという、漢らしい発想の街づくりである。
それ故に、街の出入りは実にアバウトにしか管理されていない。
犯罪者であっても出入り自由。そう聞くと危険な街に思われるかもしれないが、実はそうでも無いのが実情である。
その理由として、兵士や冒険者の質の向上が上げられる。
ここは迷宮も存在し、そして天敵の魔獣達も襲来する。
なので、半端な腕の冒険者では生きて行く事すら難しいのだ。
良くも悪くも質実剛健、冒険者というならず者のイメージが生きる街なのである。
ドラゴンを連れたボク達は非常に目立つ。
地元民でも見かけないくらい防寒具でモコモコに膨らんだボクと、幼生とは言えドラゴンのリンちゃんのコンビなのだから、致し方ない。
というか、寒いのだ。
港街に慣れた身体には、この骨まで刺さるような寒さはツライ。
リンちゃんを見て、道行く人がギョッとした顔で後ずさり、子供は泣き、兵士が飛んでくる――当たり前か。
「そこのお前、止まれ! そのドラゴンをどこへ連れて行くつもりだ!?」
「あ、お勤めご苦労様です」
いかにも中年と言う感じの兵士が、居丈高に問いかけてくるので、とりあえず挨拶をしておいた。
この街で騒動を起こすのはボクの本意じゃないので、できるだけ低姿勢に応対する事にしたのだ。
上手く行けば話も聞けるし、一石二鳥である。
「いえ、これも仕事ですか――じゃなくて! お前、そのドラゴンをどうしたと聞いているんだ。幼生といえど、管理猛獣指定なのは知っているだろう!」
「そうなんですか? ボクはタルハンから来たばかりで、よく知らないんです」
その辺はボリスさんの話で聞いた事はあるけど、詳しく知っている訳ではない。
ここは知らない事にして、詳細を聞きだした方がいいと言う判断だ。
「タルハンにドラゴン……? そんな話は聞いた事が無いぞ」
「あ、この子は草原の村のダンジョンから保護したんですよ。ほら、最近見つかったっていう――」
「ユミル村か――そっちでもそういう話は聞いた事が無いが、かなり難易度の高い場所だそうだから、そういう事もある……のか?」
疑問符を浮かべながらも納得の表情を浮かべた兵士に、ボクは愛想よく笑顔を返してみせる。
どこの世界でも、美少女の笑顔は最高の交渉材料である。自分で言うのもなんだけど。
「まぁいい。とりあえず許可証を発行するから詰所まで来なさい」
「はぁい。エロい事はしないでね?」
「人聞きの悪い事を言うな!」
ボクのセリフに、街の人がひそひそと指差しているところを見ると、前科があるんじゃなかろうな?
少しばかり、貞操の危機を感じてしまったぞ?
「冗談です。リンちゃん、行こ?」
「がぉ」
了解したとばかりに首を振るリンちゃん。
ボクの後ろを大人しく付いて歩く様は、まるで子犬のような風情がある。
「よく懐いているな……竜種の調教は難しいと聞いたんだが」
「力尽くで上下関係を叩き込みましたので。ウチには肉食系の居候が多いんですよ」
スライムとか、アリューシャとか、センリさんとか。
尻尾を斬られてステーキにされると知れば、誰だって頭を下げるという物だ。
しかも再生させられて、無限に斬られる拷問まで可能なのである。実際やった事はないけど。
「そうなのか? 見た目によらず、武闘派なんだな」
「こう見えても戦闘力はタルハンでもトップクラスなのです」
エヘンと胸を張ってみせる。
ちなみにボクに比肩しうるのはセンリさんとアリューシャである。
センリさんのマシンガンとか、アリューシャの『死ぬまで【ファイアボルト】』はマジ怖い。ちょっとちびっちゃうくらい怖い。
「ま、言葉半分に聞いておく。ここは詰所になる。街に滞在するなら覚えとけ」
「長居する気はありませんけど、覚えておきます」
「裏に厩舎があるから、ドラゴンはそこに繋いでおこう」
「あ、大丈夫ですよ。リンちゃん、一人でいける?」
「がぅ」
短い腕で胸をドンと叩いて、了解を示す。
さすがにスラちゃんほど芸達者ではないけど、リンちゃんも人間臭い行動が取れるようになったのだ。
ノシノシ裏手へ歩いていくリンちゃんに、兵士のおじさんは唖然とした表情を浮かべる。
「あんなに聞き訳のいいドラゴンは始めて見たぜ……一体どうやって調教したんだ?」
「んー、生まれた時に暴れたので、三発くらい殴り飛ばしただけですよ?」
一発で数十メートルも吹っ飛ぶ一撃を、だけど。
「それだけで済むなら、王都の調教師は苦労しないはずなんだがなぁ……まぁ、中に入れ」
「はぁい」
案内されて中に入り、暖房の聞いた空間に辿り着いてやっと一息ついた。
この詰所では防寒具の毛皮はさすがに暑いので、もそもそと脱いでおく。
その間におじさんは、木札と書類を持ってきてテーブルに並べた。
「お茶は出ないのです?」
「我がまま言うヤツだな。出してやるから、その間にこの書類に記入しておけ」
「了解、了解」
書類には対象生物の出身地や飼い主を書きこむ場所があり、リンちゃんの行った行動の全責任はボクが負う旨が書きこまれていた。
これにサインして同意すれば、リンちゃんは晴れてボクの騎獣として認められる。
それはリンちゃんの責任を負うと同時に、この国での保護も認められると言う事だ。
逆に言えば、この書類に記入して無かったら街中で襲撃を受け、リンちゃんを奪われても、ボクは何の法的保護も受けられなかった訳だ。
「実は危なかった?」
「ドラゴンインファントを強奪しようって奴は、そう居ないと思うけどな」
それ以前に、ボクの無力化がほぼ不可能に近いけどね。
おじさんはお茶をテーブルの上に置いて、ついでに茶菓子も用意してくれた。
白い粉の掛かった木の実だ。
「おお、気が利くじゃないですか」
「後から『茶菓子も用意しろ』といわれたら敵わんからな。で、この街に何しに来た? 観光にしては重装備だが?」
「あー、実は子供が一人、病気に掛かってしまいまして――」
「その歳で子持ちか。南は解放的と聞いたが、想像以上だな」
「ボクの子じゃありませんよ!? それにボクは成人してます!」
アリューシャほどの歳の子供がいるとか、八歳くらいに産んだ計算になるじゃないか。何を言ってるんだ、この人は!
「それで、ですね。アンブロシアって薬がこの近辺の特産品であるって聞きまして」
そう言って、タルハンの組合で書いてもらった紹介状を差し出す。
この街でも組合は存在するのだが、彼に見せても問題あるまい。
医者のおじさんからは、誰に渡せと言う指示はなかったし。
「開けて見ても?」
「協力してくれるなら、どうぞ」
「断言はできんけどな」
おじさんはそう言って封を切り、中の手紙に目を通す。
そこには、タルハンが治療薬不足に陥った旨と、ボクへの援助協力を願い出る一文が添えられていた。
「確かにタルハンの組合の印だな。だが……正直俺の一存ではこの協力は決められん」
「下っ端ですもんね」
「一言多いよ! とにかく、夜にはここの責任者が戻ってくるから、それまで待つか、冒険者組合に向かった方がいいだろうな」
「最初からそのつもりだったんですけど――」
「悪かったな、足止めしてよぉ!?」
なんか反応良くてからかい甲斐のある人だ。
まぁ、現地の協力なんて、最初から期待していないけど。
「ボクの行動を妨げないでくれるのなら、問題ないですよ」
「それなんだが……アンブロシアは今この街にはないぞ」
「それも聞いてます。北の山脈まで行かないと、材料の薬草は取れないんだとか?」
「その北の山脈ってのがドラゴンの生息地ってのは知ってていってるのか?」
「もちろん」
ハンスの故郷で、ドラゴンの成体と一度やりあった事がある。
あの程度の耐久力ならば、ボクにとって問題は無い。
数匹程度ならまとめて相手取れる自身がある。
「それでも行くってのは……病気なのはよっぽど大事な人なんだな」
「それはもう、命よりも!」
「男か?」
「女です。しかも美少女!」
「――もったいねぇ」
何か勘違いしてる気がするけど、邪魔しないなら何も問題はないな。
「正直リンちゃんも居ますし、何とかなるんです。むしろ他の戦力は邪魔になる可能性だってあります」
「確かにドラゴンのブレスに巻き込まれるとか、こっちとしても願い下げだ」
「なので、行動の自由と、アンブロシアの材料の――アムリタって薬草の実? それの場所さえ教えてもらえれば、勝手にやって勝手に帰りますんで」
「その『勝手にやって』ってのが一番困るんだが……」
確かに他所者に貴重な特産品、しかも最高の治療薬の材料を荒らされるのは、現地の人としては困った事態だろう。
だが、ボクとしてもこれは引けない事態なのである。
「何とかお目溢し願えませんかね?」
「お前さんが生息地を突破できるツワモノだとすれば――ふむ。本当に夜まで待ってもらえないか?」
「なぜです?」
そこでおじさんはお茶を一口啜った。
これは長話になる体勢かも知れない。
「アンブロシアはこの街でも不足している。その素材となるアムリタは、こちらとしても喉から手が出るほど欲しいんだ」
「でしょうね」
なにせ、聞いた話ではセンリさんのホワイトポーションに匹敵するほどの治癒力があり、あらゆる病気に対する治療薬となるらしい。
それほどの秘薬、売り切れるのも当然であり、素材が足りなくなるのもまた必然。
しかも入手困難な場所となれば、是が非でも、と言うところだろう。
「夜には部隊長が戻ってくる。それから市長に話を通して、街から組合に正式に依頼を出す。それを受けてもらえないか?」
「アムリタ採取の依頼、ですか?」
「ああ」
つまりボクの単独行動を組合の依頼にしてしまおうと言う魂胆なのだ、この人は。
そうすれば、ボクがアムリタを乱獲しても、この街に確実にいくらか入ってくる。
そしてボクに持ち逃げされる心配も無い。
逆にボクとしても、必要分を確実に確保できる訳だし、最大限の協力を引き出せるようになる。
互いに利益ある取引、と言う流れか。
「悪くない、ですね。でもボクも先を急ぐ身ですので――」
「そこまで切羽詰っているのか?」
「ボク的には切羽詰ってます」
センリさんの足なら、アリューシャの容態は体力勝負のこう着状態まで持ち込めているはずだ。
だがそれでもボクの心配はなくならない。
一刻も早く戻りたいところだが……あとからイチャモン付けられて、せっかく採取した素材を没収されるのも業腹である。
「いいでしょう。その依頼、受けましょう。ただしそちらの話は通った物として、今から依頼を出してください。本当に時間が無いので」
「――わかった。俺的にはかなりリスクを負う事になるが、まず問題はないだろう」
こうしてボクは、マクリームでの助力を手にしたのだった。