第百十三話 ハンスの役目
扉から出たクマ――もとい、ハンスは結構傷だらけな姿だった。
それにしてもデカイ。
元から大柄な少年ではあったけど、たった三年でここまで育つものなのか?
「お、大きくなったね、ハンス君。ボクの事覚えてる?」
「ユミルさん、お久しぶりッス」
まぁ、ボクはまったく成長して無いので、覚えているだろう。
それにしても……身長、二メートルくらいあるんじゃないか?
「大きくなったねぇ。今身長どれくらい」
「百九十ちょっとですかね。今日はどんな御用で来られたのです?」
三年前でもすでに声変わりはしてたけど、更に野太く、低音になった声は、獣の唸り声のように聞こえる。
身長も百九十ちょいと言ってるけど、どちらかというと二メートルの方が近いだろう。
ボクとは五十センチくらいの差があるのか。
「今日はさ、タルハンで行われるお祭のお誘いに来たんだよ」
「祭……ああ、噂で聞いた事がある」
「…………」
どんな噂か言ってくれるのかと思って待ってみたが、続く言葉は無い。
相変わらず朴訥というか、言葉が少ない性格のようだ。
「ここじゃなんですから、中へどうぞ。散らかってますけど」
「うん、ありがとうね」
「おじゃましまーす」
招き入れられた小屋の中は、まさに男部屋と言う感じだった。
わりと広々と作られた小屋なのだが、あちこちに道具類が投げ出されていて、外観以上に狭く感じる。
中央部には暖房を兼ねた囲炉裏のようなものが配置されていて、山特有の肌寒さは無い。
放置されている道具類も、鉈、斧、毛皮のジャケットなど無骨な物が多いが、その中でも特に血で汚れた包帯と薬草が目に付いた。
「なに? 怪我、してるの?」
アリューシャはそれ目敏く見つけ、首を傾げて尋ねる。
ハンス君はそれ見て、小さく笑って頷いた。
「少し。ドジを踏んだ」
「治してあげるね、【ヒール】!」
アリューシャが凄まじい速さで魔法陣を展開して【ヒール】を発動させる。
元々ヒールの魔法陣展開速度はかなり高速なのだが、彼女はこの三年で更に早くなっている。
「ありがとう。相変わらず凄いね。詠唱が必要ないんだから」
「まぁ、ボク達の固有スキルってことで。それで、どうしてそんな怪我してるの?」
怪我を治したことより、怪我をした理由の方が気になる。
わりと深い傷もあったんじゃないか?
「俺、防人やってるんス。だから怪我多い」
「防人? この山で?」
「今、この山にはドラゴンが住み付いてるッス」
「な!?」
ドラゴン。
ファンタジーでも、最もメジャーな幻想生物。
リンちゃんの例もあるように、多種多様な種が存在し、その強さは千差万別。
だが共通しているのは、『強者』であると言うことだ。
この世界でもドラゴンは強者であり続け、討伐しようとすれば軍隊の動員が不可欠なほど。
レグルさんほどの英雄クラスでも単独での討伐は難しく、同じ力量の冒険者数人とパーティを組む必要がある。
もっとも、それを遥かに超えるボクは単独で狩れるだろうけど。
なんにせよ、一般人に毛が生えたようなハンスでは、対応できるようなモンスターじゃないのだ。
「それ、一人で?」
「見張りだけッスから。見かけたら逃げ出して、村に知らせに走る程度です」
「それでも危険は変わり無いよ!」
囲炉裏に火を入れ、そこにケトルを掛けて茶を沸かすハンス。
本人は平然としてるが、それこそ命懸けの毎日を送っているはずだ。
あの怪我は、それが原因だとすれば納得も行く。
「俺、よそ者ッスから。こんな役でも負わないと村には居られないんスよ」
「そんな無茶な!」
ドラゴンの監視なんて、死ねと言われているも同義だ。
それを強要している村人に、ボクは強い憤りを感じた。
それにここは彼の故郷じゃないのか!
「いや、そんなに長くじゃないんです。今村には竜殺しが来てるんで」
「竜殺し?」
「はい。ほら、聞いた事ありませんか? 少し前に、マクリームでドラゴンが退治されたって」
知ってます。しかもその卵を孵してます。
しかも騎竜にしてます。
「知ってる。その人が、今この村に?」
「ええ、村の人が説得に当たってるそうです」
ボク達に茶を差し出しながら、穏やかに笑って見せるハンス。
まるで心配するボク等を安心させるかのような、優しい笑顔だ。
「だから後少し待てば、きっと倒してくれるはずッスよ」
「……それ、いつから?」
「え?」
「いつからいるの、その人」
だが、彼の傷は結構古い物もあった。
治りかけているものすらあったのだ。ここ数日の怪我ではない。
それは、彼がこの環境に長く放置された事を意味する。
「そうですね、村に来たのは半年くらい前ですかね」
「半年!? ドラゴンが来たのは?」
「一年前くらいッスよ」
半年も依頼を受けてくれていないという事は、受ける気が無いも同然じゃないか!
「なんで、半年も――」
「ここは冬が長いッスから。そろそろ動くんじゃないですかね?」
もう初夏に入ろうかと言う時期だ。いくらここが北に位置する寒い地方だとしても長すぎる
何か理由があるのだろうか?
「一度、話を聞いて見る必要があるかも。一度村に戻ってみよう」
「そうね、これは少し……酷すぎるわ」
センリさんもアリューシャも、腹に据えかねたようにふくれっ面をしている。
「ボク達は一度村に戻るよ。ハンスも、ボク達がいるんだから無茶はしないで。なんだったらドラゴンが村に向かってもいいから」
「それは……いえ、判りました。お任せしますよ」
ボクがいるのだ、ドラゴンの一匹や二匹、瞬殺してやるさ。
……剣の届くところまでくれば。
飛んでいる敵と言うのは、ゲームと違って非常に厄介なのだ。
迷宮内部ならその行動が制限できるのだが、外に出ると攻撃できる範囲が極端に狭くなる。
いや、回避できる空間が広くなりすぎるのだ。
まぁ、それもリンちゃんに乗っていればフォローできる範囲なので、きっと問題は無い。
なんにせよ、彼の状況は早く解決しないと、彼の命に関わる。
顔見知りがドラゴンの餌になるなんて事態は、ボクとしても避けたい。
ボク達は挨拶もそこそこに彼の家を辞し、急いで村へ戻ることになった。
村の中でも力を持つ、いわゆる村長の家にほとんど殴りこみ同然に駆け込んで行く。
息子と昼食を取っていた壮年の男性は、ボク達の乱入に混乱し、大声を出した。
その反応も判らないでもないけど、今は解決が最優先だ。
「これは一体、どういう事ですか!」
「どう、とは? むしろあなた方はなんですか? いきなり人の家に押しかけて、無礼な」
「飯時だ、後にしろガキ共」
家の扉を叩き開け、その先のテーブルで食事をしようとしていた二人が、乱入して来たボク達を見て目を白黒させている。
無礼極まりない来訪だが、一応の礼儀を守ろうとする村長とは違い、息子の方は不機嫌を隠そうともしていない。
「ハンスの事ですよ! なぜ一人で山の監視なんてさせてるんです?」
「それは――」
「アイツはよそ者だ。その程度の役にくらい、立ってもらわないと困るんだよ」
村長の言葉を遮って、息子が吐き捨てるように口走る。
彼も年から言うとハンスと同じか、少し上くらいか?
ひょっとすると幼少時の確執とかもあったのかも知れないが、その確執に命が関わるなんて、いくらなんでもやり過ぎだ。
「なら、あなたはどうなんです? 彼は今も傷だらけで山を見張っている。あなたはここで暢気に昼食を取っている。少しくらい代わってあげたらどうです?」
「生意気なガキめ! 次期村長の俺がなぜそんな危険を犯さねばならん!」
息子が激高してボクの襟首を掴み上げてくる。
村長はその仕草をのんびり見てるだけだ。おそらくは、生意気な旅行客を懲らしめるつもりなんだろう。息子をダシにして。
「あまり人の事をガキガキと腐すなよ? こう見えても、ハンスと同い年なんだよ、ボクは」
だが、ボクはその手首をあっさりと掴み返し、軽く力を入れてやる。
両手剣を小枝の様に振り回す魔導騎士の握力を甘く見るな。
みしり、と骨の軋む音がして、手の中でプチプチと何かのちぎれる感触がする。
「がっ、あああぁぁぁ!?」
「それと、次期村長なら相手の力量を見抜く目を養え。さもないと今後もこういう目に合うぞ」
「ヨハン! お客人、なにをするんですか!」
「先に手を出したのはそっち。すっ込んでるよう言っておかないと、このまま手首を握りつぶすけど?」
「わ、判りました。ヨハン、ここは引くんだ!」
「あああぁぁぁぁぁ……」
あまりの激痛に涙と鼻水と涎を垂れ流しながら、息子――ヨハンが一歩下がる。
それに呼応して、ボクも手首を離してやった。
「戦闘専門の冒険者を甘く見たね? さて、貴様等の性格はよく判った。もう何も期待しない。大人しく竜殺しの居場所を吐け」
「な、なにを――」
「なぜ依頼を受けないのか、問いただしに行くんだよ」
そうだ、ヤツは依頼を受けない。
ハンスが犠牲になろうとしているのに、見捨てようとしている。
その真意を問い詰め、場合に寄ってはボクがドラゴンを制圧すればいい。
面倒ごとは嫌いだし、他所の村の事に口を挟む気は無かったが、頭に血が昇ったボクには、そんな自重は存在しなかったのだ。
半ば脅し同然に竜殺しの冒険者の居場所を聞きだし、その先へ向かう。
彼はこの村に冬の間閉じ込められ、今までやる事も無く、一日中酒を喰らっていたらしい。
その冒険者の名前はキーヤンという男だそうだ。
これはおそらく、元の世界の名前をもじった愛称かもしれない。
とにかく彼は、働く様子も無く、ドラゴン退治の準備をするでもなく酒を飲みクダを巻いているのだ。
これが許されるはずが無い。
「ここにキーヤンと言う男はいる?」
酒場の扉を押し開け、大声でそう宣告する。
ここに来るまでに、ボク達は完全武装を済ませておいた。
これから会う男はおそらく転移者で、敵か味方かも判らない存在なのだ。
警戒しておいて、損は無い。
酒とタバコの臭いが充満した、薄暗い店内。
冬の間仕事がほとんどできないこの寒村では、時間を持て余した男達が、昼真っ赤ら酒を浴びるように呑んでいる事も、珍しい光景ではない。
店内には数人――八人の客とバーテンが一人。
そのほとんどが、賑やかに酒を楽しんでいる。
悪いけど、これから一騒動起こさせてもらうよ。そう覚悟を決め、店内を見回す。
すると、ボクの宣告にビクリと震えた男がいた。
奥のテーブルで酒を呷る、細面に針金のような細身の男。
一見腕利きの印象は持てないが、その潜在能力の高さは窺える。
ボクはその男にずかずかと歩み寄り、向かいの席に腰を降ろす。
ボクの後ろには、センリさんとアリューシャが控える。
彼女達は席に着かず、立ったままだ。これは相手を警戒して、すぐに動ける体勢を取るため。
ボクが席に着くのは交渉のため。そして、ボクなら一度や二度の攻撃では戦闘不能にならないからと言う自負のためだ。
「あなたがキーヤンさんで間違いないかな?」
「あ、ああ、そうだ。俺がキーヤンだ」
男は、ボクに視線を合わさず、震える声でそう告げた。