第百三話 新しい商品
センリさんと鼻を付き合わせて設計していると、ふと背後に嫌な感覚が走った。
これはクラゲに襲われたときと同種の物だ。
振り返って確認しようとした矢先に、背中に冷たい水が勢いよく叩き付けられた。
「うっひょああぁぁぁ!?」
「あはは、やったー。お姉ちゃん変な声!」
振り返った先には、ボクの背後を取って得意満面の表情を浮かべるアリューシャの姿。
いつの間にか、水鉄砲の中身をお湯からポンプから汲み出した冷水に入れ替えていたようだ。
「こぉの、イタズラっ娘め!」
「きゃー、やだー」
白々しい声を上げて、湯船を泳いで逃げる。
十人以上が入れるように設計された湯船は、アリューシャなら本当に泳げてしまうほどに広い。
ボクもアリューシャほどじゃないが小柄なので、充分泳げるのだ。
ダバダバと水飛沫を上げて、犯人を捕獲。
そのまま洗い場に連行して、椅子に座らせ、泡まみれの刑に処す。
その時、キャーキャー騒ぐアリューシャを取り押さえるボクの背後に、黒いオーラを放つ人物が立ち塞がった。
「あんた達ね。お風呂で泳いじゃダメって教わらなかった?」
「あ、あははは……つい……」
背後で仁王立ちするセンリさんの手には、手桶が一つ。その中にはなみなみと水が満たされていた。
そう、水である。湯気は出ていない。
容赦無くその水をボクの頭の上にぶっ掛けるセンリさん。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁ! 冷たっ! 寒っ!?」
「うひゃああぁぁぁぁぁ! お姉ちゃん離れてぇ!」
思わずそのままアリューシャに抱きついたせいで、彼女まで冷水攻めに遭ってしまうが、これはあれだ……死なば諸共的な何かだ。
「くぬ、はんげきー!」
「わぁ! やるわね、このちびっ子!」
ボクに抱き付かれたまま、アリューシャはセンリさんに反撃の水鉄砲を食らわせる。
たくましくなったなぁ。
センリさんもインベントリーから水袋を取り出して、それをぶちまける。
いや、それは反則でしょう。大人気ない。
こうしてボク達はお風呂に入ったのにガタガタ震えながら上がる事になったのだった。
さて、ご存知だろうか?
井戸水と言うのは、とても冷たいと言う事を。
「ちょっとやり過ぎ――ふぇっくしょ……ちゃったわね」
「センリさん、容赦――っくち……無さ過ぎです」
「お姉ちゃん暖かいー」
そんな訳で今夜はボク達は三人まとまって、まるで雪山遭難者のような感じに、暖めあいながら寝る事になった。
お布団はお風呂のお湯をたっぷりと吸い込んだ、ホカホカモードのスラちゃんである。
右にぷにぷにのアリューシャの感覚。
左にぷよぷよのオッパ――センリさんの感触。
ボクは今、至福の感触に包まれている。
こんな環境、男だったら絶対無理だっただろうな。
これが男同士だったりした日には、一ヶ月は夢に見る……いや、今の状況も夢に見るけど。
むしろ強引にでも見る。
いや、そんなことより。
コロンと転がってうつぶせになり、インベントリーから一枚の敷き石を取り出して下敷き代わりに使う。
その上にこの世界で主に流通している羊皮紙を広げ、先ほどセンリさんと設計した水鉄砲を書き写して行った。
「設計図? 私が作るんじゃないの?」
「センリさんはすでにポーションで手一杯じゃないですか。どこかに発注を掛けた方がいいかなって」
「あー、そうね。その方がこの街の役に立つかもねぇ」
タルハンにも多少の義理はできている。
ちょっと位貢献しても、罰は当たるまい。
アリューシャはすでにボクのお腹の辺りにしがみついて爆睡中である。
子供は体力を使い尽くすと、あっという間に眠りに落ちるな。
まるで子猫のようで、実に愛らしい。高い体温も実によろしい。生カイロである。
「んっと、竹筒二本と、弁と、棒……あとはポンプ部のクッション材?」
「ゴム製のがあればいいんだけど、ここにはそんなの無いわよね」
ガラスなどは普及しているが、ゴムと言うのはまだ見かけた事が無い。
植層的にゴムの木を見かけないのもあるけど、樹木=食べれるか否かと言う即物的な考えが主流だからだろう。
下手に樹液に触れるとかぶれてしまうし、ひょっとすると役に立たない木と思われているのかもしれない。
「じゃあ、板に革を貼って代用しましょう。その分精度がシビアになっちゃいますけど」
「多少は壊れた方が流通にはいいだろうし、それでいいんじゃないかな」
これは電化製品によく言われる都市伝説に十年タイマーと言うのがある。
壊れない製品は買い替え需要が発生しないため、意図的に十年程度で壊れるようにしてあると言う、黒い噂だ。
実際のところはメーカーが保障できる精密部品の寿命がその程度と言うだけの話なんだけど。
とにかく、今回のモノは子供用の玩具である。
ある程度乱暴に扱っても壊れず、だが数が売れねば商売にならない。
そこでポンプ部の密閉部分に革張りの板を使い、磨耗する事で買い替え需要を発生させると言う考えだ。
これならちょっとしたお小遣いで買える額になり、しかも年に二、三回は買い替えが発生するだろう。
「くっくっく、センリさんもワルよのぅ」
「なに、ユミル様ほどではございませんとも」
まるで時代劇のようなやり取りをしながら、設計図を完成させて眠りについたのだった。
なお、オッパイに顔を埋めながら、夜中に鼻血を出した事はナイショである。
「いや、本当にスマンこってす」
「朝起きたときは何事かと思ったんだから……」
アリューシャを学校に送り、その足で組合に向かいながら、ボクはセンリさんに平謝りをしていた。
誰だって、朝起きてパジャマの胸元が血まみれになっていたら驚くだろう。
でも仕方ないじゃない。ふかふかだったんだもの。
馬車を牽くセイコは人並みの知性を併せ持っているので、ボクが指示するまでも無く組合までの道を歩んでくれる。
手綱は持ってるだけで、使用する事はあまり無い。
「しょうがないですね。なら今夜はボクのオッパイに顔を埋めて眠っても構いませんよ!」
「…………」
センリさんはボクの胸元にチラッと視線をやり、アメリカンな感じで肩を竦めて鼻で笑って見せた。
「――フッ」
「なっ! その態度はなんですか!?」
「だって……無いじゃない」
「ありますよ! 成長してませんけど、ちゃんと気持ちいいんですよ」
主に自分が、だけど。
「やめてよ、変な趣味の人に思われるじゃない」
「むぅ、そうですね。ボクもアリューシャ以外の人と噂になるのは困ります」
「そっち!?」
そんなバカな会話をしてる間にも組合に到着してしまった。
今回は設計図だけが荷物なので、武装以外は持ってきていない。
セイコは勝手知ったる組合の厩舎に向かって、一人で歩いて行く。
「自立心旺盛すぎませんかねぇ?」
「楽でいいじゃない」
組合の扉を押し開け、中に入るといつもの挨拶と共に、悲鳴のような声が響いてきた。
「勘弁してくださいよ。いくらなんでも二万は無理ですって!」
「いや、全額とは言いませんけど……できればでいいんですよ」
「ただでさえ開業のあれやこれやで金を使ってるんです」
様子を窺うと、カウンターでエミリーさん相手にボリスさんが派手な交渉を演じていた。
「ボリスさん、どうしたんです?」
「あ、ユミルさん。丁度いい所に!」
ボリスさんの話によると、商業組合の加入費が値上がりしていて、仲介する冒険者組合にもその火種が飛んできているとの事。
商売を行う上で必要な商業権は商業組合で入手できるが、その他の揉め事もろもろを解決するためには冒険者組合にも加入していた方がいい。
そこで、こちらに顔を出して見たのだが、商業組合の加入費釣り上げに伴い、冒険者組合も値上げを行っていたのだ。
ボリスさんは商人で冒険者ではない。
なので組合加入の試験は商業組合の加入で代用されるそうだ。
この様に複数の組合を掛け持つと言うのは、商売をやる者にはよくある事らしい。
「でも、ボリスさんならまだ余裕はあるでしょう?」
「そりゃありますけど……このあと仕入れや店の内装、それに従業員の雇用なども控えてますから、できるだけ節約したいんですよ」
「ふむ……」
そこでふと思いついた事がある。
すでに解決済みの問題かもしれないが、まだ時間はあまり経っていない。
まだ残ってる人もいるだろう。
「エミリーさん、この間の海賊船騒ぎの奴隷さん、どうなってます?」
「あ、おはようございます、ユミルさん。えっと、二十二人、全てがこの街への移住を希望してますね」
「それ、全員住居や仕事が見つかったんですか?」
「見つかる訳無いじゃないですか。昨日ですよ、運び込まれたの!」
うん、前もって手を打って置くとは聞いていたけど、さすがに一日では無理だったか。
ならばこれは好都合。
「じゃあ、その奴隷さん、ボリスさんの店員として斡旋してあげればどうです?」
「あー、でも教育とか……」
確かに奴隷では客商売のノウハウなんて学ぶ機会は無かっただろう。
だが、彼らは海賊によって拉致された人達でもある。
拉致される前は普通に暮らしていたのだ。その時の知識はまだ持っている。
「という訳で、普通の奴隷よりは博識で教養はあるはずなんですけど……」
「確かにその可能性はありますね。こちらで確認しておきますけど、ボリスさんはそれで構いませんか?」
「奴隷達を従業員に、ですか?」
「彼らを受け入れるのでしたら、三年の税率軽減などが受けられますよ」
これは一種の難民受け入れ処置の流用である。
一定期間税金が軽減され、雇用主にも補助金などの優遇措置が取られる。
難民では無いボリスさんには適用されないが、難民の奴隷達を雇用すると言うのなら話は違う。
少々教育面で難は残るが、労働力としては充分な利点があるはずなのだ。
「ふむ、それなら……悪くないですね。ですが二十二人すべてと言うのは無理ですよ」
「もちろんそれは理解してます。そうですね、まずは六人。それで様子を見てもらえませんか?」
エミリーさんも、持て余し気味だった移民希望者を処理できるとあって、なかなかに乗り気である。
奴隷達も商人の下働きならば、悪い待遇では無いだろう。
市壁の修繕業務のような労働よりも楽なはずだ。
「判りました。それで様子を見ましょう。所で登録費の方ですが――」
さすがボリスさん。ガメツイ……さらに値引き交渉に入った彼の後ろに並んで、さらに思いついた。
「そうだ、ボリスさん。実は商ってもらいたい物がありまして――」
「ほう、なんでしょう?」
グリンと顔をこちらに向ける。
なんと言うか人形じみたその動きはちょっと怖い。某名作ホラー映画のような動きだ。エクソシスなんちゃら。
「子供用の玩具なんですけどね。この間子供と遊んでて、遊具が不足していると感じたんですよ」
そういって昨日の水鉄砲を売り込みに掛かる。
しょせんは玩具。たいした額にはならないが、それでもこの街にとっては新ジャンルの商売だ。
充分に勝算はあると思う。
「なるほど。ですが私はこの街に来たばかりで、それを作れる職人と繋がりがありません」
「そこはボクがどうにかできると思います」
カザラさんなら、こういう目新しい品には飛びついてくるはずだ。
「まだ交渉はしてませんが、多分大丈夫です。最悪の場合、こちらのセンリさんがやってくれますし」
「聞いて無いわよ。まぁやるけど」
「ならなにも問題は有りませんとも! ぜひウチで扱わせてください」
こうして、ボリス商会第一号商品として、子供用水鉄砲が取り扱われたのだった。
これで今章は一端終了となります。
おかしいな、10話くらいの短い事件のはずだったのに、事後処理で6話も使ってしまった……