第百二話 イゴールさんの理由
ちょっと怖い顔で、真摯にこちらを窺うイゴールさん。
唐突に斥候技術を教えろと言われても、こちらが戸惑ってしまう。
「いきなりですね、何か理由が?」
「私はこの屋敷の管理者を自称していましたが、先の一件で自身の管理能力に疑問を抱きました。屋敷内に何者かが侵入し、専門の技術で隠蔽を行った場合、それらの知識が無い私では見破る事ができません」
「アレは……仕方ないんじゃないですかねぇ」
彼の感知範囲だって万能な訳では無い。目の届かない場所でプロの技術を使って隠蔽された隠し部屋なんて、見つけろと言うのが無理な話だ。
逆に彼がもし万能な管理能力を持ち、他者を排除する戦力があり、あらゆる異常を察知できるとしたら……
おそらくボク達が来る前に『駆除』されていただろう。
彼は言うなれば、無力だからこそ見逃されていたようなものだ。
明確に有害な存在であった場合、組合が動かない方がおかしい。
彼がいて組合が困った事と言えば、屋敷が売れなかったと言う一点だけである。
それだって、次の領主が決まってこの屋敷が住居になるならば除霊しようと、後回しにされた結果に過ぎない。
もし、彼が侵入者を排除できるほどの戦力を持っていたら、近隣の住人にも物理的な被害が出ていただろう。
幽霊屋敷に子供が冒険にやってくるなんて事はよくある事だ。
その子供が軒並み実害を受け、死亡事件にまで発展していたら……それこそ速効で彼は消されていただろう。
「正直イゴールさんが有効な能力を持つのは……お勧めしないんですけどね」
「無害な幽霊が、有害な存在に変わる事を憂慮されておりますか?」
「ええ、まぁ。今までの『愛すべき近所の幽霊屋敷』から、『実害のある幽霊屋敷』へと変化するのは、怖いです」
例え管理者としてボクの存在が認知されているとしても……いや、だからこそかもしれない。
この屋敷には、眉を顰めているご近所さんがいない訳ではない。
メルトスライムにスレイプニール。
それに今後はドラゴンの幼生まで飼う事になる。
モンスター屋敷。
それが現在のこの屋敷の評価。
そこへ斥候知識を持った幽霊執事が加わるとなると、恐れを抱くご近所さんが必ず出るだろう。
そもそも斥候知識と言うのは、実はあまり外聞がいいモノではない。
野外活動や冒険に必須の技能と言えば聞こえはいいが、その技術は盗賊のそれとほぼ同義である。
忍び込み、罠や鍵を解除し、内部を探る。
そういった専門職である彼らは、アーヴィンさんの様な純粋な剣士などより市井の評価が低い。
むしろ危険にすら思われている。
しかも壁をすり抜ける事すらできる幽霊がその技術を持つとなると、危険視する人材は必ず出る。
無駄な騒動を呼びこむ危険性すらある。
ご近所の秘密を覗いて回れる幽霊が住み付いた屋敷、と噂されるのは、気分のいいモノではない。
「誓ってユミル様のご迷惑になるような事は致しません。と言った所で何の確約にもなりませんね」
「そうですね。いや、ボクはもちろん信頼してますが」
「……無理を言ってしまいました。先ほどの件、お忘れください」
「まぁ、ヤージュさんにでも相談してみます。イゴールさんの管理能力が上がるのはボクも歓迎したい点ですし」
ご近所の観点にのみ絞って評判を推測してみたが、屋敷の内部から見れば、彼の能力が上がるのは歓迎したい。
組合支部長の御墨付きでもあれば、見る目は変わるかもしれないし。
「是非お願いいたします。あの一件は私にとっても屈辱の出来事でしたので」
「はいはい」
ボクとしては不可抗力と思って済ませた事件だったが、彼にしては見過ごせ無い大問題と判断したようだ。
もちろんその認識は正しい。
だが、『警備を雇え』では無く、『技術を教えろ』と来たか……
向上心ある幽霊ってのは、珍しいな。
「そんな訳でございますのよ」
「いきなり何事かと思えば……」
食事の席でセンリさんにイゴールさんの希望に付いて相談してみた。
現在イゴールさん本人は、屋敷の見回りで食堂にはいない。
あれ以降見回りを強化しているらしいので、顔を合わす機会は確実に減っている。
「でもユミルには斥候知識なんて無いものね。ヤージュさんに相談して、ダニットさんでも呼び付けるか、それともアドリアンさん?」
「でも変にそう言う知識のある人に来てもらうと、逆に不安ですよね」
ヒョイと隣の席のアリューシャを抱き上げ、膝の上に移す。
最近彼女との触れ合い量が減ってる気がしたので、ほとんど無意識の行動だった。
食事の皿も引き寄せ、膝の上で食事続行。
「行儀悪いわよ。まぁ、確かにある事無い事探られるのは困るわね。理解ある人に来てもらえればありがたいけど、あの人達にも秘密は多いからね、私達」
「これはスキンシップの一環です……そこなんですよねぇ。でも倉庫が解放されてるので、ある程度のやばいブツは隠せると思いますけど」
「整理整頓とか、私がもっとも苦手とするところよ!」
ナイフをぐっと握り締めて力説するセンリさん。
ちなみに今日の夕食は、先日作ったローストビーフとジャガイモのスープである。
芋と肉はどうしてこうベストマッチするんだろう……太る組み合わせだけど。
「そこは頑張って『してください』としか。アリューシャもお片付けは苦手っぽいので、二人で勉強しましょう」
「えー」
「んぅ?」
あからさまに不服そうなセンリさん。
対してアリューシャは理解してないのか口元をべとべとにしながら首を傾げている。
その子犬のような風情が、ボクの感性を直撃する。
「あーもう! あーもう! アリューシャは可愛いなぁ!」
「みぎゃ!?」
唐突に背後から抱きしめられ、奇声を上げるアリューシャ。
その頭頂部に遠慮なく頬擦りするボク。
こういう過激で過度なスキンシップは男の時にはできなかった事だ。お巡りさんが来てしまう。
こういうのは女体化したメリットと言えるなぁ。
「アンタ達は……時と場所を弁えなさい」
ヒョイと手を出したセンリさんの手には、いつの間にか拳銃らしきものが握られてていた。
こういう、一瞬の装備交換が可能なのは、彼女のインベントリーの特徴である。
「って、ちょ、待っ!?」
とは言えボクの膝には今アリューシャが乗っている。
至近で発砲されたら躱しようが無い。
慌てるボクにお構いなしにセンリさんは引き金を引く。
ぶしゃー。
そんな間の抜けた音と共に打ち出されたのは、生温い水だった。
「わっぷ、えほっ……って水鉄砲?」
「きゃうっ、お水ー?」
センリさんは水鉄砲を指先でガンマンよろしくクルクル回す。
「そうよ。この世界にもポンプはあるんだし、これくらいはオーバーテクノロジーにはなら無いでしょ?」
「確かにそうですけど……ああ、もう水浸しだ。スラちゃん、ちょっと清掃頼むね」
水鉄砲から床に水が撒き散らされてしまったので、そばに控えていたスラちゃんに清掃を依頼する。
彼(?)はぷよんと一跳ねして、床の水のみを捕食し始めた。
「このままだと風邪引いちゃうから、食事は一時中断してお風呂に入ってきます」
「あ、待って。私も行くわ。あなた達二人だと性犯罪が起きかねないもの」
「失敬な!」
ボクはキチンとYESロリータNOタッチの精神を持ってます。
でも、頬擦り位はいいですよね?
この屋敷のお風呂はすさまじく豪華……ではないけどかなりの広さを誇っている。
これは先代の主人が使用人達がまとめて入れるようにと、心を配った結果だとか。
ちなみにイゴールさんは、主人用の風呂も用意しようとしたらしいのだが、こちらは先代に『もったいない』と言って却下されたそうだ。
使用人達と一緒に風呂に入るとか、剛毅な貴族もいたものである。
まとめて十人が入れそうな風呂なので、本来ならお湯を張るのにかなり時間が掛かる。
だがボク達は、面倒なのでお湯は常に張りっぱなしにしてある。
こう言うと不潔に思われるかもしれないが、我が家にはスラちゃんと言う万能選手がいるのだ。
彼にお湯の清潔を保ってくれとお願いしておくと、お湯の中に入って湯垢や雑菌のみを捕食してくれる。
この結果、下手な水道水よりも遥かに清潔に保たれる事になった。
しかもセンリさんが火属性を付与したファイアメイスを作り、これを湯に沈めておくことで、常に適温が保たれているのだ。
火属性装備は一定の発熱を続けているので、こういう湯沸しにとても便利である。
衣服を洗濯用の籠に放り込んでおくと、湯船からお風呂用スラちゃんがずるりと這い出し、洗濯に向かってくれる。
「いつもありがとうね?」
「――――」
ボクの感謝の言葉に、スラちゃんがぐにょりと触腕を伸ばしてサムズアップを返す。
彼としても、これは食事の一環なので、嫌な気はしていないはず……多分。
軽く体を洗ってから、アリューシャとセンリさんの三人一緒に湯船に沈む。
センリさんの身体はほっそりしてるわりにメリハリが効いていて、実にアレだ……男なら前屈み必須である。
アリューシャの手足も最近すんなりと伸び始め、成長の跡が見て取れる。
できればもう少し肉付きがいい方が健康的かな? 彼女は運動量が激しいので、あまり太らない。
「それにしても水鉄砲ですか。どうしてまたこんな物を?」
「んー、この間のバーベキューの時に思ったんだけどね。この世界ってそれなりの文化レベルは持ってるけど、子供の遊具が少ないのよね」
ふむ……言われてみれば、浜辺では子供達が使っていた遊具と言えばボールくらいの物だった。
浮き輪もあったが、あれはボクが作ったものだ。
「大人用の道具類はそれなりにあるんだけど、子供用――というか、趣味の品物って少ない気がしない?」
「確かにそれは感じますね。というか、生活に余裕が無いなら、それも仕方ないことじゃないですか?」
「趣味や遊具は生活の余裕に比例するもの、か。確かにそうかもね」
センリさんから水鉄砲を受け取り、造りを確認する。
内部にモンスターの骨を削って作った小型ポンプを埋め込んだだけの、古き良き水鉄砲だ。変な工夫はされていない。
「これ、売り物になるかもしれませんね」
「そうねかもね。でも小型ポンプの精度ってどうかしら?」
センリさんはモンスターの骨を利用して小型ポンプを作っているけど、鉄で作れば遊具としては少し重くなりすぎる。
それに細かい部分をこちらの鍛冶師に作れというのも、酷な話だ。
彼女と同じように、モンスターの骨を利用すれば可能かもしれないが、それだとコストが高くなり、子供の遊具には向かない。
「いっそ旧型の竹筒式の水鉄砲にしちゃいます?」
「それだと一回ごとに給水しないといけないでしょ」
いつの間にか、商品化を目指してセンリさんと会議を始めている。
その脇で、アリューシャは物欲しそうにこちらの手を見ていた。
「お姉ちゃん、それ貸して? わたしもやってみたい」
「ん?」
珍しいアリューシャのおねだりに、視線をセンリさんに流して許可を求める。
これはあくまでセンリさんの作品なので、彼女の許可を得るのが筋だろう。
「いいわよ、実際に遊んでみて感想聞かせてくれる?」
「やった!」
早速僕の手から水鉄砲を取り上げ、お湯を給水し始めるアリューシャ。
その様子を見ながら、ボクとセンリさんは水鉄砲の商品化会議を続けるのだった。
「太目の竹筒をタンクにして、細めの竹筒を繋いで発射筒にすると言うのはどうでしょう?」
「それだと水が駄々漏れになるから、逆流防止の弁が必要になるわね」
こうして二本の竹筒を繋いで、発射口と接続部に逆流防止弁を使った、昔ながらの竹筒水鉄砲を設計したのだった。
まるで両手持ちのキャリコマシンピストル見たいな外観になってしまったけど、まぁそれもいいだろう。