第九十九話 倉庫
再び奴隷達に船を漕がせる訳にはいかないので、彼らには洞窟でしばらく待機してもらう事になった。
海賊どもが飲み食いしてた食料があるので、街から迎えが来るまでの間くらいは大丈夫だろう。
事情を知る水夫とアーヴィンさん達、それに精神的に壊れてしまった女性達を連れてタルハンに戻る事にする。
女性を連れて行くのは、解放されてテンションの上がった奴隷達に何をされるか判らないのが不安だったからだ。
大半は体力まで削られて、物を食べるのがやっとと言う有様だが、元気な連中はどう行動するか判ったものではない。
商人の人には、悪いが残ってもらう事にした。
これはボクの要望である。もちろんその要望とは……
「と言う事でですね。売ってもらいたい物があるのです」
「いきなりですね。まぁ私も助けていただいた身の上です。できる限りのお手伝いはさせて頂くつもりですとも」
調子のいい事を言っているが、眼光が鋭くなったのはこちらも見逃さない。
これを商機と見て取ったのだろう。
まぁ、間違いではないが。
「あ、ボク――わたしはユミルと言いまして、タルハンで冒険者をやっている者です」
「私はボリスと申します。交易商人をやっております」
軽く握手を交わし、視線で牽制を加えあう。
分厚い手の平の皮膚が、旅の長さを物語っている。
「実はですね、海賊達が『ドラゴンの卵』を入手したと聞きまして。それはもちろん確保させていただいたのですが、元はボリスさんの取り扱っている物だったとか?」
「おお……そうです! まさか取り返していただけるとは思いませんでした」
ボクは背負っていたかばんから、一抱えもある濃いベージュ色をした卵を取り出した。
まずは交渉のカードを一枚。
「これで間違いはありませんか?」
「ええ、ええ! 間違いございませんとも。私が苦労して取り寄せた一品です」
「ところで、ドラゴンの卵と言うのは合法的に扱われるものなのでしょうか? ほら、親が襲ってきたりしたら危険じゃないか、とか思ったりする訳ですよ」
「え、いえ……一応これらは北のマクリームを中心とした国家の許可が必要でして――」
即座に口篭もるボリス。
解放前後のヒステリックな言動といい、この態度といい、どうにも感情が表に出すぎるな、この人。
とにかく、これは彼の弱点に違いない。
口先三寸で許可がない事を引っ張り出し、卵は海賊の持ち物で、戦闘中にボクが確保したと言う口裏を合わさせる。
卵はボクが預かっておき、後日格安の代金を引き渡すと言う事で合意させた。
組合のカードを利用するなら、その場での支払いは可能だったのだが、彼はこれから組合の取り調べを受ける身である。
もちろん被害者として、だが。そこに不審な金銭の出入りが存在しては、彼自身が不用な疑いを招く可能性があるのだ。
たとえば、海賊の内通者とか?
海賊に襲われ、無事に帰還し、そのタイミングで大金が振り込まれていると判れば、そりゃ怪しまれる。
そこで支払いを後日に行うことで、組合の監視の目から逃れようと言う小細工を施す事にしたのだ。
あくまで口約束になってしまうので、彼としては不満だっただろうが、ここで証書なんかを作ってそれを組合に見咎められるわけには行かない。
証書が見つかってしまっては、金銭の受領が行われたも同然だから。
まぁ、彼としても海賊に奪われ、一度は無くしたも同然の卵で商いができるのだから、これ以上の贅沢は言えた物ではない。
そもそも非合法と言う弱点を握られては、ただで寄越せと言われても仕方ない身分である。
ここは割安とは言え、利益が出るところで妥協するしかないだろう。
ボクとしても、そりゃ安い方がありがたいのだが、変に恨みを買うのも馬鹿らしい。
ましてや、相手は北の街にまで足を伸ばす交易商人。
その人脈の広さは、かなりの物があるだろう。
そんな相手に恨みを買って、見知らぬ所から暗殺者――なんてのは勘弁してもらいたい。
お互い納得したところで再度握手を交わし、交渉を成立させた。
商人にとって、握手は契約と同じくらい重要な意味があるらしい。
「こらー! これから何日いるか判らないのに、そんなにご飯たべちゃダメでしょ!」
「あ、なんだこのガキは……俺は腹減ってんだ、余計な口出しするんじゃねぇ!」
そこに響いてきた、アリューシャと奴隷の怒鳴り声。
乱痴気騒ぎを起こして、無節操に食料を貪り食っていた奴隷をアリューシャが嗜めたらしい。
ここから街までは半日も掛からない距離だが、数十人の奴隷を受け入れるとなれば、街側にもそれなりの準備がいる。
街としても見捨てるわけにはいかない以上、宿泊施設や食事の手配は必要になってくる。
そして、場合によっては、その後も街に留まる可能性もある。
その時は職の斡旋なども必要になるだろう。
そんな事を考えていると、奴隷の一人が、あろう事かアリューシャに手を振り上げやがった。
とっさにその場から駆け出し、振り降ろされる腕を掴む。
その速度は通常の限界を遥かに超えていたため、彼からすれば、ボクがいきなり現れたように見えただろう。
「なっ、お前、どこから!? 離せ――いででででで!」
寸前でその腕を掴み、殴られることは阻止した訳だが……ここはコイツ等にどっちが上か思い知らせておいた方がいいかもしれない。
日本人として、身分に上下を付けるのはあまり感心できる事では無い。
だが、ボクにとってアリューシャは、少なくともこいつら全員の命よりも大事だ。
「君達……言っておくけど、この子に手を出したら――潰すよ?」
背後にアリューシャをかばいながら、男の腕を押さえたまま、右足を地面に叩き漬ける。
ドゴンとまるで大型の杭打ち機が地面を叩くような音を立てて、足首まで石畳にめり込んだ。
男が恐る恐る下を見て、状況を把握した途端、ぶるぶると震えだす。
ちょっとやり過ぎたかと思わないでもないが、まぁいい。アリューシャに手を出す奴は、総じてボクの敵だ。
ゆっくりと手を離し、離したその手を、背負った長剣に添える。
その動きを視線で追い、男はがくがくと首を振った。
男だけでなく、打撃音に腰を抜かした多数の奴隷達も、こちらに視線を貼り付けている。
「これから街の救援が来るまで、数日は掛かる。食料は大事なリソースだ。無駄に消費するような真似は避けてくれるかな?」
「わ、判った。もうしない」
「ボリスさん。ここにある資材の管理、してもらえますか? このままだと救援が来るまでに喰い尽くしかねない」
「承りましょう」
こうして、一瞬でボクは奴隷達のボスに収まったと言う訳だ。
夜、ボリスさんとその部下の護衛達が奴隷に食事を配っていた。
その量は多過ぎもせず、少な過ぎもし無いと言う無難な量だ。
主食の乾パンに、水、干し肉、干し果物と言った保存食に、少量の酒まで付いている。
ここまで粗末な食事をして来た奴隷達にしたら、ご馳走の様なメニューである。
だが体力を残している新参の奴隷達は、少しばかり不満そうだった。
「面倒が起きないうちに、迎えに来て欲しいなぁ」
「お姉ちゃん、あの人達ちょっと怖い」
「まぁねぇ。これまで苦労して来た人達だから、少しくらいは大目に見て上げないと。でもダメな事はダメって言わないといけない。だからお昼のアリューシャは凄く偉かったぞ」
「ほんと!?」
「でも、危険な事になるかもしれないから、今度からはボクにこっそり知らせるようにしてね?」
「はーい」
そんな風に暢気に食事をしていると、センリさんがコソコソとこちらに近付いてきた。
彼女も奴隷達に性的な冷やかしを受けている一人だが、それとは少しばかり様子が違う気がする。
「ユミル、今いい?」
「アリューシャも一緒でよければ、いいですよ?」
「構わないわ。多分無関係じゃ無いだろうし」
そう言って彼女は懐から一枚のコインを……いや、割符を取り出した。
「これは……」
「屋敷に侵入したゴロツキ――確か誘拐犯と繋がってる連中も持ってたんだってね?」
コインは銅製で、表面にはグリフォンを象った……半分しか無いので、おそらくだがグリフォンを模した図案が刻印されている。
後ろ盾になる権力は存在し無いので、このコインには貨幣としての価値はほぼ皆無だ。
「つまり、これは割符としてだけの為に造られた銅貨って事になりますね」
「そして、後ろにいる組織は、あの誘拐犯どもと繋がっている」
「この海賊達も、おそらく?」
「でしょうね。海賊船じゃなくて私掠船だった訳ね」
私掠船というのは国家などの権力が後ろ盾に付き、堂々と、と言うのは語弊があるかも知れ無いが、大っぴらに海賊行為を働く連中の事である。
これは敵国や反対勢力の力を削ぐための戦略の一つとして、利用された歴史がある。
「確かこの間の事件で絡んでたのは……」
「北のマクリームと西のブパルスでしたね。そして、ボリスさんは北の街でドラゴンを仕入れてきた、と」
「いきなり怪しくなってきたわね、あの商人」
センリさんが視線を鋭くして、離れた場所で食事するボリスさんを眺める。
アリューシャはその気配を感じたのか、ボクの脇に擦り寄ってきた。
「お姉ちゃん、また変な人が来るの?」
「大丈夫。街はレグルさんが掃除してくれたから、安全だよ。それに組合にはヤージュさんもいるし」
レグルさんが組合長を辞任した事で、ヤージュさんが跡を継いだ。
これはすなわち、彼がタルハンに張り付くことに繋がっている。
レグルさん自身も街から離れた訳では無い以上、タルハンの街には有力な戦士が二名、常駐している状態となっているのだ。
「まさか、これを睨んでたとかじゃない……よね?」
「レグルとヤージュの事? あの二人が街にいてくれるのは本当にありがたいわね」
タルハンは大きな街だが、近隣には他の街だって存在する。
根無し草の冒険者であるヤージュさんをタルハンに縛り付けるには、支部長に据えると言うのはいい手だったかもしれない。
「あの状況を利用して、後付けの理由でヤージュさんを縛り付けたとしたら……恐ろしいわね、あの狸親父」
「いやー、多分利用したんでしょうね。あの狸親父」
確かに引責と言う大義名分はあったが、それにしては退き際が鮮やか過ぎた。
混乱がまだ続くと見て、ヤージュさんを縛りつけ、引いてはカロンやアーヴィンさんを街に縛り付けて置くのが目的だったか。
「とにかく、このコインはヤージュさんに渡しておきましょう。そうすればレグルさんにも伝わるでしょうし」
「あの海賊達、いっそ討伐の名目で皆殺しにしておいた方がよかったかしら?」
「いえ、もし干渉して来た勢力があれば、そこが犯人とバレる事ですし、動かないと思いますよ」
と言うか、この状況では動けまい。
ここで名乗り出るような頭では、前回の騒動は仕組めない。
少し陰気な雰囲気になったのを察したのか、その時アリューシャが声を上げた。
「そうだ、お姉ちゃん。また『スキル』が増えたんだよ!」
彼女の言うスキル……それは通常の物とはまた違う意味合いを持つ。
「お、ひょっとして、アレ?」
「うん。今度はね、『ぱーそなるすとれぇじ解放』だって」
「『パーソナルストレージ』?」
個人用保管領域って事かな?
ん、個人用?
「それって、ひょっとして……」
「ほら、こういうの」
人目が無いのを確認してから、アリューシャは『ステータス』を操作し、こちらに窓を移動させた。
そこには『保管倉庫一』から『保管倉庫三』の文字があった。
「そ、倉庫……きたあぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁああああ!!」
「ちょ、ユミル!?」
「ひゃわ!?」
センリさんが猛るボクの口を慌てて押さえる。
アリューシャも視線が集まるのを恐れて、急いで保管窓を消した。
ミッドガルズ・オンラインでは倉庫は三つのエリアに別れている。
これは初期のアイテムが少なかったころに比べ、二十年の歳月で様々な要素やイベントが追加された結果、多彩なアイテムの保存が必要になって追加されて行ったからだ。
各倉庫は七百種、一枠最大三万個と言う保存量を誇る。
これが三つあるので、合計二千百種のアイテムが保存する事ができるのだ。
「あ、ねぇアリューシャちゃん。私のは?」
「うん、あるよ! ほら」
「おおぉぉぉぉ……私が必死に集めた製造素材達! 会いたかったよぉ!」
この倉庫機能、ボク個人が使えるのではなく、あくまでもアリューシャを経由して利用できるだけのようだ。
つまり、アリューシャはゲームのサポートNPCの能力を併せ持つ事になる。
「ああっ、もうアリューシャちゃんから離れられない! お嫁に来ない?」
「なっ、ずるいですよ! アリューシャはボクの嫁です!」
「わたし、お姉ちゃんのお嫁さんになるー」
ひしと抱き付いてくるアリューシャを抱き返すボク。
その親バカ振りにセンリさんは肩を竦めていた。
「振られちゃった。でもこれで今後の冒険なんかが楽になるわね」
「そうですね、ボクの戦力は数倍に跳ね上がりますよ!」
倉庫には魔刻石の在庫と、魔刻石の素材になるアイテムが満載になっていて、その数、各種数千に届く。
ボクはエリクサーを貯め込んでも、ラスボスを倒すまで使わないタイプの人間なのだ。
こうしてアリューシャの活躍で、陰気な食事の場は、一気に賑やかになったのだった。
ようやくユミルの本領の一端が解放されました。
ここまで長かった……
後、これで序章を含め、本編百話達成です。
半竜の文字数も超えました。
これまでお付き合いいただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。