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美しすぎる客室乗務員 【M視点】

 観光シーズンの合間。しかも平日。

 そのせいなのか、たまたま発着便の谷間に差しかかっているだけなのかは、分からない。でも、モノレールを降りてから、ずっと走り続けていた僕には、空港全体が閑散として、静まりかえっているように見えた。

 時間ぎりぎりに、息を切らして搭乗口にたどり着いた僕を出迎えてくれたのは、三人の客室乗務員。いずれも、永年勤務表彰を受けたか、もうすぐそれに該当しそうな感じ。

「すみません。遅くなってしまって」

 頭を掻く僕に、三人はにこやかな笑みを浮かべて、やや大げさに見えるお辞儀をした後、真ん中の一人が、「まだ十分に時間はございます」と言った。

 この便の乗客は、僕ひとり。

 そんな状況になった場合、パイロットや客室乗務員たちは、どんな気持ちになるのだろう。

 こんな時だからこそ、最大限のサービスをしなくてはいけない、だろうか。それとも、この客さえいなければ、全員ゆっくりできたのに、だろうか。

 Pから聞いた話が、まだどこかに残っているらしく、そのようなくだらないことが、浮かんできた。

 それらを頭の隅から追い払いながら、客室乗務員の後ろについていくと、嬉しいことに他にも乗客がいた。

 いずれも、五十歳前後。経営者風の男性が、真ん中の最前列。有名ブランドのバッグを抱えた女性は、僕と反対側の窓の横。

 二人は旅慣れているらしく、客室乗務員になにやら指図をしていた。

 僕の座席は、右側の前から三番目。

 Pに言わせると、この座席から見る富士山が一番美しいらしい。

 32000フィート上空からだと、どの窓から見ても、景色は変わらないだろう。

 先ほど言わなかったことをつぶやきながら、腰を下ろしたところで、Pの心遣いのありがたさを感じた。

 どうせ、寝るだけ。ファーストクラスは必要ない。エコノミーにしてくれ。

 ステーキを食べながら、そんなことを言ったが、あれは訂正する。

 やはり飛行機はファーストクラスに限る。

 体をやさしく包み込んでくれるシート。気兼ねなく伸ばせる両足。まるで、少しぬるめの温泉にゆったり浸かっているような気分。

 ファーストクラスとエコノミークラスの料金の違いは、座り心地と、専有スペースの広さだけではなさそうだ。眠り心地。このシートで見る夢は、特別のものがあるに違いない。 しかし、そこで疑問が湧いた。

 来るときもファーストクラスだった。機内に乗り込むと同時に、眠りに落ちた。でも、夢は見なかった。爆睡しすぎて、覚えていないだけなのだろうか。

 窓の外に視線を移すと、空港内でしか見ることができない特殊車両が、のろのろと移動する様子が目にはいった。

「何か、お持ち致しましょうか?」

突然、耳元で声がした。やわらかな声だったが、思わず腰を浮かしそうになった。

 咳払いをして気持ちを切りかえた後、顔を向けると、すぐ近くに客室乗務員の笑顔があった。

「僕に、ですか?」

 分かりきった質問に彼女は、真面目な顔で答えた。

「はい、左様でございます」

 落ちついた声と釣り合いが取れないような、若い女の子だった。

 先ほどの三人だったら「ありがとうございます」の後に「でも、結構です。何もいりません」と付けくわえて丁重に断っていた。

 しかし、僕の口は、勝手に後の部分をカットした。つまり、ありがとうございますと言ったまま、彼女をじっと見つめる恰好になってしまったのだ。

 ここにPがいたら。間違いなく、住所、指名、電話番号、メールアドレスを聞き出していただろうな。

 そんな想像が、すっと出てくるほど、彼女は女性としての魅力に満ち溢れていた。

 時間にして、十数秒後だと思う。

「しばらくお待ちいただけますか?」と彼女が言った。「メニューを持って参ります」

 ファーストクラスには、滅多に口にできない食べ物や飲み物がある。それも料金に入っているんだから、遠慮しないで全部試してみろ。

 そんなことをPは言っていた。でも、ざんねんながら僕の胃袋には、食べたばかりの450グラムのステーキとサラダと、パンとコーヒーと野菜ジュースが、消化されないままの状態で詰まっている。

 これ以上、胃袋に何かを入れることは、罰ゲームに等しい。というか、もう何も入らない。週刊誌を、という手もあるが、表紙を捲る前に、眠ってしまうはず。そうなると、結果的に、この子を傷つける。

「ちょっとだけ、待ってください」

 客室乗務員の視線を受け止めながら、何か必要なものがないか考えてみた。しかし、そんなことより、目の前の彼女のことが気になってきた。

 初々しい感じの女の子だった。化粧はほとんどしていない。マニキュアも薄い。しかし、笑顔の中に、少しおどおどしたものが感じられる。

 ふと、先ほどの、Pの話を思い出した。

 この便は、彼女にとって初フライト。そしてこの僕が、記念すべき最初の乗客かもしれない。

 だとすると、事は重大。迂闊な返事はできない。きっとどこかで誰かがチェックしている。目を光らせている。

 この子の一生は、この後、僕が口にする言葉で決まる。

 もしここで、何もいりませんと断ると、あなたの接客態度が悪かったから、断られたのです。あなた自身に問題があるのです。と、お門違いの注意を受けるだけでなく、最初のページに記されたその言葉は、永遠に彼女の勤務記録に残る。

 という気持ちになる一方で、そんなことは絶対ない。考えすぎ。という思いも湧いてきて、その二つが僕の頭の中で、言い争いを始めた。

 どうして、こんなことで、と十秒ほど思い悩んだとき、ある解決法を見つけた。

 僕の視界の向こう側の女性客が、シートを深く倒すのが見えたのだ。

 あ、そうだ、あれがあるのを忘れていた。あれなら、胃袋に負担がかからない。

 連続宙返りをするジェット戦闘機の中でも、ぐっすり眠る自信があるが、それに加えて、あのアイテムを使えば、もっともっと深い眠りの世界を体験できるかもしれない。

 よし、あれを頼もう。

 そして、ファーストクラスで見る夢が、料金に見合っているかどうかを、じっくり検証してやろう。


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