何気ない会話の中に隠れていた、とても大事なこと、その8【P視点】
Mの表情が急激に変わること自体は、そんなに珍しいことじゃない。
むかし、同じ寮にいたころ何度も見たことがある。
なんの前触れもなく表情が消える。
面白いのは、その後だ。
表情がなくなる時間は、短くて三秒、長くて四十秒と決まっていた。その間、Mは焦点の定まらない目でどこかを見つめながら、何事かをつぶやく。
ビリビリに引き裂いた本の一片を、棒読みしているような感じだった。オレはそれを「Mの断片話」と呼んでいた。
「もったいぶらずに、最初から最後まで話してくれよ」
何度となく催促した。だがMは、自分がそういった状態に陥るはずはないと言い張った。「からかうのなら、もっと面白い奴を考えろ」
そんな言葉を繰り返すだけだったから、当然、Mは自分が喋った話の内容を覚えていない。
と言うのが、これまでのパターン。
しかし、今日は、全く違っていた。
表情が変わるのは同じ。でも、方向が逆。
これまで顔の筋肉は、たるむ方に動いていた。いわゆるふぬけ顔。
だが、今のMはきりっと引き締まった表情。人をたじろがせるような目付き。侍のような面構え。
空中のどこからか見えない手が伸びてきて、顔の筋肉を、ギューッと引っ張り上げているような感じ。
ふと、好奇心が芽生えた。
今、こいつの目の奥は、どうなっているのだろう。
オレの趣味の一つに、相手の目を見る、というのがある。
目は口ほどにものをいう。そのことわざどおり、目には、本人が隠しているいろいろな情報が現れるときがある。見ていて面白い。飽きが来ない。
むかしMが断片話を始めると、必ず彼の目をのぞきこんでいた。しかし、情報らしきものを発見したことは一度も無かった。
しかし今日の場合、過去のデーターは参考にならない。
だって、表情が変わったのは、オレと話をしている途中だった。とそこで、そんなことを考えている場合ではないことに気づいた。
この状態が、いつまでも続くとは思えなかったからだ。
あわててMの目をのぞこうとしたとき、自分が失明しかけたときのことを思い出した。
幼稚園の年少組のころだった。
内緒で持ち出した姉の虫眼鏡を、太陽に向けたことがある。虫眼鏡と目の間隔が、あと数センチ違っていたら、間違いなくオレのどちらかの網膜が焼き切れていた。
でも、いくらMの瞳が輝いていたとしても、絶対にそんなことは起こらない。そのことに気づき、思わず苦笑いを浮かべたとき、あ、そうだ、と思った。
スマホで撮って、こいつにも見せてやろう。
しかし、Mは何も言わなかった。
黙ったまま、スマホをオレの手の上に戻した。
だが、その行為が、強い何かを感じ取ったことを物語っていた。
ステーキが旨かったとか、不味かったというようなことなら、オレも黙ってスマホを受け取る。
しかし、考えなくても分かった。自分の目に、どんな感想を持ったか、今訊かなければ、オレは一生後悔する。
そこでオレは自分が感じたことを言った。
今お前の頭の中で何かが起きている。そう言った後、もう一度スマホをMに向けた。そして彼の目を見ないようにして言った。
「この映像を見て、感じたことがあるだろ」
返事が返ってくるまで数秒かかった。
「本当に、俺の目なのか?」
「もしこれが、お前の目じゃないとすると、何に見える?」
「そうだなあ」Mはしばらくしてから面白い表現をした。「アンドロメダ星雲の、ど真ん中に出現した超新星」
と、ここまでが、オレとMがステーキハウスの前で交わした会話の全てだ。
何度思い返してみても、大した話はしていない。まるで、とりとめのない会話の見本。
しかし、後にMは、こう言った。
あの日、あんな話をしていなければ、俺は自分の中に隠れていた映画館に気づいていなかった。
(ちなみにMは、その映画館に、ふくしき七回シネマ館という、実に垢抜けない名前をつけたらしい)
しかし、オレがそのことを知るのは、ずっと後になってからだ。