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何気ない会話の中に隠れていた、とても大事なこと、その7【M視点】

 どうだ、簡単だろう。 

 Pはそんな目で僕を見ていたが、僕にとって、それは禅問答でしかなかった。

 俺にこんな難しい話が理解できるわけがないだろう。しかも、徹夜明けだぞ。

 本当はそう言いたかった。でも、Pにできることを、分かりませんの一言ですませるわけにはいかない。第一、しゃくに障る。

「ちょっと、待ってくれ」

 頭の中に、透明のグラスを思い浮かべた。

 そして、声に出さずに、常に満タン、常に空っぽ。常に満タン、常に空っぽ。と唱えてみた。

 だが、どうしても無理だった。常に、と言う言葉が邪魔をして、何回試しても、そのような状態をイメージすることはできなかった。

「時速100キロで走っている車のブレーキとアクセルを同時に踏んだら、どうなると思うと言われたのなら、体を張って試してやる。でもこれは、無理」

 悔し紛れのセリフを口にして、考えることをやめた僕に、Pは励ますような声で「がっかりしなくても大丈夫」と言ったあと、想定外のセリフを付け足した。「うちの会長だって、まだできていないんだから」

「何だよ、おい」ムカッとしたような、ほっとしたような妙な気分。「じゃあ、お前にもできないってことなのか?」

 するとPは悪びれた様子もなく「そりゃそうさ」と答えたあと、急に真顔になった。「でも努力はしているよ」

 努力だけで、それが可能になるのなら、このまま聞いてやってもいい。

「一つのものを、多角的に見るように心がけているんだ。例えば、新しい商品を売り出す場合、買う側の立場になるのはもちろんだけど、その商品が店頭に並ぶまでに関わった人々の気持ちになって物事を考える。すると、それまで考えもしなかったアイデアが浮かんでくることがあるんだ。いや、それだけじゃない」

 具体的な例を並べて説明するつもりらしいが、そんな話は、どうでもいい。

「俺が知りたいのは、無と有が抱き合って喜んでいる世界なんだ。その方法を知らないのなら、知らないと、はっきり言え」

 話を遮られた恰好になったPは、ちょっと戸惑ったような顔をしていたが、僕の質問を聞くと、にやっと笑って「ございますとも」と言った。「これから、その極意を伝授いたすつもりでおりました」

 時代がかったセリフの割には、実にシンプルな極意だった。

「脳を酸欠状態に追い込んだあと、新鮮な酸素を一気に送り込む」

 その言葉を映像として捉えることができなかった僕は「わるいけど、具体的な例で教えて欲しいんだけど」と言った。

「了解」Pは快い返事をした。「自分の思考回路が働かなくなるまで、考えに考え抜くんだ。車で言えば、いくらアクセルを踏み込んでも、これ以上スピードが上がらないという状態」

 その例えなら、僕にも何とか理解できた。

「そのような状態になったとき、大量の酸素を一気に送り込んでやれば、エンジンは通常以上の力を発揮する」

 原理的には、ターボチャージャーと似ているらしい。

 そこでPは、間合いをとるように咳払いをした。

 ここから最も重要な部分が始まる。

 たぶん誰もがそう思う。しかしPが口にしたのは、実にくだらない事だった。

「体内に新鮮な酸素を取り入れる方法は、いくつもある。大あくびも、そのひとつ。だが俺たちは会長直伝の、肺呼吸と腹式呼吸を使い分ける」

 体中の力が抜けたような気がした。

 極意が呼吸法だって?

 でも、極意を知りたいと言いだしたのは自分。

「考えてみれば、俺は無職。斬新なアイデアが浮かんできたとしても、使い道がなさそうだから、呼吸法の話は、次の機会にしてもらおうか」

 どうやって話を軟着陸させようかと考えながら、そんなことを言ったわけだが、なぜかPは、驚いたような顔をして「そのまま動くな」と言うと、スマホを取り出し、それを僕に向けた。

 カシャッ、

 シャッター音がしたのは、顔すれすれのところ。

「どうしたんだ、びっくりするだろ」

 慌てて顔をそむけた僕には目もくれず、Pは睨むような目でスマホを見つめているだけだった。

 Pが僕の手の上にスマホを置いたのは、十数秒後。

「これを、見て見ろ」

写っていたのは、僕の右目。ピントは隅々までビシッと決まっていた。

 映像をやっていたころ、Pの得意技に、接写と、クローズアップがあった

「ほんの数秒で、お前の目つきが変わった。こうなるのが分かっていたら、店を出たとき、一枚撮っておくんだったよ」

Pが何を言おうとしているのか、僕にも分かった。

 そいつが何を考えているかは、目を見れば分かる。目をクローズアップすれば、そいつの頭の中が見える。

 それは、むかしPが良く使っていた言葉だった。

 鋭い目。ステーキハウスの鏡で見た腫れぼったい目とはまったく別物。たった今、アイメイクを終えたばかりの時代劇の主人公のような目。

 何も言わずにスマホを返すと、Pは自分の足もとに視線を落として、こう言った。

「お前の顔を、まともに見ることができなくなったよ。怖じ気ついたと言った方がいい。今お前の脳の中で、何かが起きているんだ、きっと」

その言葉は、僕が感じたものと、まったく同じだった。


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