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おばちゃんの決めの言葉。そして次の章へ

 おばちゃんの様子に、不自然なところは一つもなかった。

 予想が外れたのだろうか。

 店内を眺めるふりをして、さりげなく運転手に視線を向けてみると、すがるような目が僕を待っていた。

 観察力も洞察力も備わっていない僕にも、彼の心の中が透けて見えた。

 この運転手が、夢のような体験をしたのは間違いない。そしてそれは、今も続いている。しかし彼自身は、今自分は夢を見ているところ。ここは夢の世界。そう思い込んでいる。

 つまり、これまでの出来事におばちゃんは、何も関わっていない。完全に僕の思い違い。早とちり。

 だとすれば、Pとの会話はこのあたりで終了。

「じゃあ、また後で電話するよ」

 運転手と真剣に向き合うことに決め、電話を切ろうとすると、受話口からあくびをかみ殺したような声が聞こえてきた。

「できることなら、明日にしてくれ。眠くてしかたないんだ」

 そういえば、僕たちは二日連続の徹夜だった。僕のこの電話で、寝ていたPを起こしてしまったのかもしれない。

「あ、悪りぃ、悪りぃ」と謝った僕は、大きめの声で、もう一度あの名前を口にした。「アパートでトリエステが待っていたとしても、その報告は明日にするよ」

 

 携帯を仕舞いながら、運転手を納得させる方法を考えてみた。

 一連の出来事を、他人に知られたくないようだから、ここ以外の場所がいい。しかし、現実の世界にいるという物的証拠が欲しい。それには桜島が見えるところ。まわりにある程度の他人がいた方がいい。となると、見晴らしの良いファミレス。

 そこでコーヒーでも飲みながら、スマホの映像を再生させる。

 でも彼は、鉄棒でくるくる回る姿を見ても、それが自分だとは信じないはず。しかし僕は、何も言わずに彼の様子をうかがうだけ。

 口を挟むのは、映像の最後の部分。僕がアイマスクを取りだした場面に差しかかったところ。

 見てもらいたいものがあるんです。動画を停止状態にして下さい。と言いながら、内ポケットから取り出したものを、彼の目の前に置く。

 このアイマスクが、ここに映っているアイマスクなんです。

 そのあと、こう言う。

 つまり、僕たちが居るここは、夢の中ではなく、現実の世界なんです。間違いありません。

 それでも信用しない場合は、僕の携帯の出番。発信履歴の日時を示して、彼に言う。 

 覚えていますか。この携帯から奥さんに電話したことを。

 携帯を使ったのは、数時間前。たぶん彼は、ハイと答える。

 でも、何の反応も示さなかった場合は、こんな提案をする。 

 じゃあ、この携帯で、奥さんをこの店まで呼び出してみたらどうですか? 

 しかし、僕の頭の中で組み立てたものを、口にすることはできなかった。

 カウンターの向こうから、おばちゃんが声をかけてきたのだ。

「ねえ、外国人の彼女がいるの?」

 興味深そうな目をしていた。おばちゃんが、どの部分を、どんなふうに勘違いしているのかは明白だったが、運転手の反応をみるために、その理由を訊ねることにした。

「どうして、そう思ったんですか?」

 返ってきたのは、希望通りの答えだった。

「だって、今言ったでしょ、外国の女の子みたいな名前を……」

 そこでおばちゃんは、いとこにあたる運転手に視線を移すと、同意を求めるような声で言った。

「サトル兄ちゃんにも、聞こえたでしょう?」

 しかし運転手は、何も答えなかった。戸惑ったような表情で、おばちゃんと僕の顔を見比べたあと、何か考えるような目をして、天井を見上げただけだった。

でもおばちゃんが、トリエステという言葉に食いついてきたおかげで、話の筋道を立てることができた。

「残念ながら、僕には彼女なんていません」そう言ったあと、さり気ない口調でつづけた。「トリエステというのは、僕の夢の中に出てきた女の子の名前なんです」

 運転手が、ゆっくりとこちらに顔を向けた。そして小さな声で言った。

「夢の中? トリエステ?」

 そのつぶやきだけで、十分だった。この先、話がどうなるか分からなかったが、僕は夢という言葉を印象付けるために、前のセリフを繰り返した。

「そうなんです。トリエステというのは、僕の夢の中に出て来た女の子の名前なんです」それから彼の目を見つめて、思いついた言葉をつづけた。「でも、夢の中にトリエステが現れなかったら、今回の東京行きはありませんでした。つまり、あなたのタクシーに乗ることはなかったし、後方支持回転を見ることもなかった。あなたの聴力が奇跡的に蘇ったことさえ知らなかったということになります。夢と現実は、ある部分で繋がって、」

 と言ったところで、おばちゃんが割り込んできた。

「今、なんて言ったの? もう一度言ってみて」

 おばちゃんが、何を確認したいのか分かっていた。でもわざと、そこを外して答えた。

「トリエステというのは、僕の夢の……」

「違う、違う、それじゃない。サトル兄ちゃんの耳の話よ」

 願った通りの展開に、思わず頬が緩んだ。

「ああ、それでしたら、ご本人に訊いてください」

 

 思い悩んだような顔をしていたタクシー運転手が口を開いたのは、それから数分後だった。

 彼は最初に、こう言った。

「お前は、本物の百恵か?」

 長い沈黙の後の第一声がそれだったのに驚いたのか、おばちゃんは僕に顔を向けた。

「ここに来るまでに、何があったの?」

 眉間に深い皺が寄っていた。いとこの表情と言葉に戸惑っている顔だった。 

 僕は表情を引き締めて答えた。

「夢のような出来事を体験されたみたいなんです。たぶん、今も夢の中にいると思い込んでいらっしゃるんじゃないでしょうか」

 それから、本人に訊ねた。

「そう言うことですよね」

「はい、おっしゃる通りです。今も、そう思っているところでございます」

 はっきりした声だった。でも、言葉づかいからすると、やはり夢の中の神様と話をしていると思っているようだった。

「でも、ですね。ここは本当に、現実の世界なんですよ」

 言い含めるように言ったのだが、彼は力なく首を振った。

「信じられません。あり得ない話です」

 すると、そのやり取りを見ていたおばちゃんが足早にカウンターから出てきた。

「だったら、ちょっと私の方を見て」

 おばちゃんは、そう言うと、店の奥にあるトイレの前で足を止めた。そして鹿児島弁のイントネーションで、彼に呼びかけた。

「サトル兄ちゃんは、誰がこの店の名前を付けたか、知っているよね」

 やっと聞こえるような小さな声だった。にもかかわらず、運転手ははっきりした声で答えた。

「百恵の旦那さん。山口自転車紹介のオーナーが付けた」

「うんだもしたん。こげなこめ声が聞こゆっとな」(こんな小さな声が聞こえるの)

 おばちゃんが、鹿児島弁で驚きの声を上げると、運転手は急に生き生きとした表情をうかべて、椅子からスックと立ち上がった。

「ほら、みてみれ。よかんなったたあ、耳だけじゃなかど」(ほら、みてごらん。良くなったのは、耳だけじゃないぞ)

 そう言うと、高く上げた両手を頭の上で、パチンパチンと勢いよく打ち鳴らした。

 それがきっかけとなって、僕たちは、自分が体験した変わった出来事を披露し合った。

 僕は、三日続きの夢から始まった出来事の一部を。

 おばちゃんは、土いじりの途中で聞いたという、地中のバクテリア同士の会話と、苗字が山口に変わったことで、親が付けてくれた百恵という名前が、より人の注目を引くようになったことを。

 ある意味、その日の主役だったタクシー運転手は、筋肉が固くなる症状が出始めた頃から、今日に至るまでをかいつまんで話してくれた。


 しかし運転手が、今、自分は現実の世界にいると自覚したのは、もうすぐ日付が変わるという頃になってからだった。

 彼は両手をグルグル回しながら、僕に言った。

「我々は、やっぱり夢の中で喋っているんですよね。ほんの一瞬で、数十年続いた症状が消えるなんて、あり得ませんもんね」

 後ろ向きの発言を、自信に満ちた声で否定したのは、僕ではなく、おばちゃんだった。

「あるよ。いくらでもある。こんなこと珍しくもない」

 気迫に押されたのか、運転手は十数秒たってから口を開いた。

「そいなら、証拠を見せっみれ」(だったら、証拠を見せてみろ)

 おばちゃんが出した証拠は、自分の旦那だった。

「サトル兄ちゃんは知っちょっどがな。うちの人を」(知っているでしょう。うちの人を)

 運転手は、クックックッとおかしそうに笑った。

「知っちょいも、ないも。ここあたいで、あん人を知らん人は、だいもおらん」(知っているも何も、この辺りで、あの人を知らない人は誰もいないよ)

「ないごて、有名だと思うね」(どうして有名だと思う?)

「あん言葉じゃろだい。あげな妙な言葉を使こ人間は、あのっさーばっかいじゃっでじゃろだい」(あの言葉だろうよ。あんな変な言葉を使う人間は、あの人だけだからだろうよ)

 自分の結婚相手の言葉づかいを笑われたというのに、おばちゃんは嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「そいはそいとして。ないごて、あげな喋り方になったか知っちょったけ?」(それはそうとして、どうして、あんな喋り方になったのか、知っていたっけ?」

「うんにゃ、知らん」

 するとおばちゃんは、僕が以前聞いた『ふくしき七回シネマ館 2 夢と現実と妄想が意味するもの』( 44話。上には上が。一生分を数秒で)の後半部分の話を始めた。


 それは、若いころの自転車屋のおじさんが、大学受験のために、初めて大阪を訪れたときの話だ。

 方向音痴のおじさんのために、親戚の叔母さんが待ち合わせ場所に指定したのは、梅田駅。

 大阪駅を出たところでポケットベルを鳴らしてね。それを合図に家を出て梅田駅に向かうから。でも、梅田の改札口を出たら、私が来るまで、絶対にそこを動かないこと。

 これなら道に迷う心配はない。安心したおじさんは新幹線の中で、ぐっすり眠ったわけだが、大阪駅に着いたところで、あることに気づいた。

 どこを探しても、ポケットベルの番号を書いたメモ用紙が見つからないのだ。

 困ったな、どうしよう。

 ポケットベルの番号はもちろん、叔母さんの家の番号も覚えていない自分に、愕然とするおじさんに閃きが走った。

 自分の家に電話をかけて、叔母さんの番号を聞くか、家から叔母さんに、今大阪駅に着いたと電話してもらえばいい。

 冷静になれば、誰でも考えつくような簡単なことだったが、そのときのおじさんは、我ながらグッド・アイデア。この調子でいけば、明後日の試験も合格間違いなしと喜んだ。 ところがそのおじさん。公衆電話を探そうと階段を駆け下りようとしたところで、何かにつまずいて頭から真っ逆さまに転げ落ちた。

 アッ、しまった。頭を打って死んでしまう。一瞬そう思ったおじさんの頭の中に、映しだされたのは、自分が、おぎゃーと産まれたときから、大阪駅に着いたところまでの出来事のすべて。

 そしてその映像が終わると同時に、どこかで声がした。

『これで、今回のお前の人生は終わり。異存はないな』

 命令口調の割には、威圧的な声ではなかった。もしかすると、他にも選択肢があるのかもしれない。

『イヤだ』咄嗟にそう叫んだおじさんは、願いを聞いて欲しいあまり、つい余計なことを口走ってしまった。

『何でもします、もっと長生きさせてください』

 おじさんに言わせると、神様の決断は、早いらしい。

『よし分かった』

 次の瞬間、誰かがおじさんの体を優しく受け止めた。

『大丈夫か、にいちゃん』

 目の前にいたのは、粗末な身なりのおじさんだった。

 てっきりこれは、神様が化けていると思ったおじさんは、その人に向かって、

『ありがとうございます。神様』

 と言ったつもりだったが、口から出てきた言葉は、自分の思いとはずいぶん違ったものだった。

『おおきに、おっちゃん。おっちゃんが、おらへんかったら、わし、頭かち割って死んでたで』

 今はおばちゃんの旦那さんになった山口自転車商会のおじさんが、鹿児島弁なまりの関西弁しか喋れなくなったのは、そのような出来事があってからだった。

 その話をおばちゃんは、こう締めくくった。

「人生は、人それぞれ違うと思うの。ゆっくり変わる人もいれば、ある瞬間に劇的に変化する人もいる。良くなることもあれば、その逆もある。パターンは無数。サトル兄ちゃんの場合、小学生のある日を境に言うことをきかなくなった体が、この歳になって元どおりになっただけ。そう考えると、今回のことは何の不思議もないでしょう」


 『太平洋上空32000フィートでの出来事』 了






        ★★★★★




 ここから先は、本編とは関係ありません。


『太平洋上空32000フィートでの出来事』(ふく七シネマ3)を書き始めたとき、次のような目標を持っていました。


 文章は短く、分かりやすく。


 でも、身に染みついた。というより、僕の致命的欠陥の一つ。話が本題から外れる癖は簡単に治りそうもありません。

 どうすればいいんだろう。

 この一ヶ月間、書くことをやめて、第一話から何度も読み返してみましたが、解決法は見つかりませんでした。

 でも、読者の気持ちで読んでいるうちに、新しい発見をしました。しかし、それは僕にとって嬉しいものではありませんでした。

 

 話の展開が遅い。のろい。読んでいるうちに、イライラしてくる。


 そんなわけで、次の章からは、


『話の展開の速さ』


 も課題に入れることにします。でも、手は抜きません。もし、そのように見えたら、僕の文章力のなさだと思ってください。

 

 次章タイトルは『お一人様専用映画館』(ふく七シネマ4)となる予定です。

 

 今後ともよろしくお願いします。

 

                   南まさき。


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