第九話 別れ
「そっか、ここだったのか」
自分の頭で作り出した状況なのに本当に覚えていない。
唯香に導かれ俺達が辿り着いたその場所、そこは終焉を迎えることになるであろう場所であり、そしてこのストーリーの原点でもある場所。
「唯香、奴はいる?」
「はい、気配を感じます」
お互いに隠していた銃を取り出し、構える。
神社入口に聳え立つ三メートル程の鳥居。そこから続いている階段を下り右に少し行くとある木の陰に、俺達は今身を隠している。
約一ヶ月前、ここで俺が妄想したことから全てが始まったんだよな。
「さて、どう出るか、もしくは出てくるかですね」
唯香が鳥居を見つめながら言う。
ここからは境内の様子を覗くことは出来ない。その上、街から外れ物音が全く無い静謐なこの空間では、俺には人の気配を感じる取ることは不可能だ。それは本来お互い様。だが代わりに互いに相手の位置を把握することが出来るアドバンテージを持っている。だから、結局お互いに優位性は無い、五分な勝負ということになる。不用意に動くのはかなり危険だ。
「相手も俺達が自分の位置を知っているということを知った上で、俺達の位置も掴んでいる。既に対策は強いてるとみて間違いないな」
「そうですね。やはり私が感知出来ない人で周囲を固めている可能性は高いでしょう」
「そうなんだよな……」
そう、だから俺達は迂闊には動けない。だが、相手も警戒してか動いてこない。不意打ち不可能の均衡状態という訳だ。
「それでもやっぱり、私が今先に行った方が良さそうですね」
「えっ、でもそれは危険だよ! 一気に集中砲火されて終わる可能性がある!」
「でも、もたもたしていたらどんどん不利になっていく。それは疾太さんも分かっていますよね」
分かっている? ああ、そうだ。当たり前だ。
さっきのはただの俺の希望的観測だ。
五分というのは現状だけの話であり、情報戦だけでの話だ。相手が動かない現状は五分と言えるが、ずっとこの状態な訳がない。時間が経てば相手には援軍を呼ばれるだろう。そうなったら力を得たといっても流石に二人じゃ絶望的だ。あまりもたもたしている時間は無い。そういう意味では、こっちが不利だろう。
いや、最早多少ですらないかもしれない。そもそもこっちは人数的に不利なのかもしれないのだから。
それに実はお互いに、相手にはばれずに動くことが出来る者がいる。
感知されているのはこっちは俺、相手はボス様だけなのだから、つまりそれ以外の者が動いても、五感で捉えられるまでバレることはない。だがこっちは、その人数が圧倒的に少ない可能性がある。相手の人数を正確に図ることは出来ないから所詮予測なのだが、まず人数がいるとみて間違いないだろう。
「そうだけど……」
「それに、ただ無策で突っ込んでいく訳じゃないから大丈夫ですよ」
「えっ、何か策があるの!」
「まあ、見ていてください」
そうして立ち上がる。駆け出し、その勢いのまま階段を登っていく。
去り際に、「サポートは任せましたよ」と重役を担わされてしまった。全く疑いがない、信頼しかない目をしていた。
ったく、戦闘経験ゼロの俺なんかの何を信頼しているかは分からないけど……しょうがねえ。頼られた以上はビビッてなんかいられねえだろ。唯香が暴れられやすいようにしてやる。
「誰か来るぞ!」
野太い男の声が聞こえた。唯香が階段を登る音を聞いて気付いたようだ。その声を聞いた唯香は階段途中で足を止める。
何やってんだ、と普通は言いたいところだが、今はそれで良いだろう。敵は普通に考えて、分散した上で身を隠している筈だ。となると、これで敵を誘き寄せるのが作戦だろう。
だが、そんなの相手も分かっている。これで敵が動かない可能性は当然視野に入ってくる。そうなったら、どうする気なのだろうか。
そうして暫し待つこと、二分といったところか。相手に動く気配はない。しかし、唯香に動きが見えた。
ポケットから何かを取り出した。
あれは、スプレーだ。虫除けの為に俺が家から持っていったスプレーを何故唯香が持っているんだ。というかいつの間に、そもそも一体何に使う気なんだ。
っと、全く現状に追い付いていない俺の頭に更なる追撃が仕掛けられた。あろうことかそれは突如宙を舞ったのだ。銀色に光るその鉄の筒は、空高く放り投げられ、神社境内上空を進む。そして爆発した。その残骸が辺りに落下してする。
俺は唖然としてしまっていた。何が起きたのか、状況が掴めない。
だが、その後一瞬唯香に目をやると上空に銃を向けているのが見えた。そして唯香の位置辺りからも轟音は聞こえた。つまり、あれは唯香が銃で撃ち抜いたのか。
そんな俺の頭がようやく状況に追い付いた頃には、既に唯香はまた走り始めていた。それを見て、俺もいつの間にか走り込んでいた。
唯香は隠れていても敵のボスの位置だけは捉えることが出来る。俺が階段を登り始めた頃には既に階段を登り終えていた唯香は、そのまま銃を構えたまま奥に走り出す。そうして俺の視界から消えた所で再び銃声が発生した。
全力で動かしている足をより速く。一秒でも速く。その音を聞いて、焦る気持ちを更なる動力にしてひたすら駆け登る。
そして登り切り、境内の様子を見た瞬間用意していた銃を発砲させた。
その一撃が敵の一人の銃を撃ち抜いた。
「すっ、凄え……!」
心の声が口に出た。本当に凄え。
弾の軌道、到達点。そういう本来どうやっても分かりえることは不可能な情報が頭の中で描かれた。それは確かにただの想像なんか等ではなく、経験による理解のそれだ。撃てばどうなるか、はっきり頭に浮かんできたのだ。
しかもそれだけではない。反動を感じない。元々そういうのが無い銃なのか、俺の技術によるものなのか。それは分からないが、描いたイメージ通りに進む為には阻害になる反動が無いのはありがたい。
さて、ということで……これで全員完了っと。
一人撃ち抜いた後、即座に連続で撃って、全弾命中。敵の武器の破壊に成功した。
「ナイスです、疾太さん」
ニコッと一瞬笑顔を左側にいる俺に向ける唯香。
だが顔はすぐに戻され、自分の正面に存在している敵の一身のみを捉える。
今俺がいる階段を登りきった地点から五十メートル程行ったところに社があり、周りには疎らに大木が生えている、決して規模は大きくないこの神社。その狭い敷地内の中で敵八人に唯香は囲まれていた。
だが形勢逆転、武器を失った上で未だに俺と唯香に銃を向けられ、敵の集団は迂闊な動きは出来なくなっている。それだけじゃない。さっきの俺の銃撃による伏線と唯香が銃を向けているのは自分達のボス。相手は余計動きづらいだろう。
といっても、実際のところ俺がさっき撃った弾数は八発。既に二発しか残っていないから武器を失ったとはいえ一斉に動かれたら、所詮一高校生と女性しかいない俺達には正直やばいなんてもんじゃない。まあしかし、動かないところを見ると、敵に弾数制限の情報は無いとみて間違いないようだ。
「もしかして、俺がすぐにサポートするってのも策の内だったり?」
「さて、どうでしょうかね」
「おいおい、話していて良いのかい。余裕だね、君達」
背中にぞくりとした感じが一瞬走った。
今の言葉は、俺から見て左手十メートル程進んだところ、唯香からは正面に聳える大樹の前に立つ、抵抗する素振りを見せずに両手を挙げている男が発したものだ。
見た目通り、奴は銃を向けられ、本来追い詰められている筈だ。なのになんだ、あの不敵な笑みは。それに今の言葉、何言ってるんだ。どう考えても俺達が敵を追い詰めている状態だろ。多少の余裕があっても普通じゃないか。気持ち悪い。どうも、胸騒ぎがしてしょうがない。
「とりあえず全員、手を後ろに組んでしゃがんでもらう」
俺の言葉に、敵八人は一斉に従う。
しかし、唯香の父親を名乗る男は、敵のボスだけは従わない。
「何してるんだ、しゃがめ!」
「いやー、君、一体どうしたんだい」
「はあっ、何の話だ!?」
その時、敵の一人がピクリと動きを見せた。
「動くな!」
牽制で一発、そいつの服を掠らせる。貴重な一発を使ってしまったが、これで相手は尚更動きづらくなった筈だ。価値ある一発になっただろう。
「動いたら撃つ!」
「そう、それだよ、それ。君にそんな狙撃技術があったなんて知らなかったよ。素人どころか並のテクニックじゃない。でもおかしいね。朝に会った時は、銃を向けるどころか戦う素振りすら見せなかったのに。そんな技術があって、どう考えても不可解だ。それに君の素性はとっくに調べたがそんなものとは無縁といっていいものだった。一体、どこでそれを学んだんだい」
「黙れ!」
くっ、こいつ、この状況で冷静に分析しやがって。
「それから、さっきの銃撃だけど、何故君は私の部下を撃たなかったんだ。君達がそいつらを生かすメリットは無い。それに当てないで威嚇するよりも、実際に撃って殺した方が効果も大きい筈だ。だが、そうしないっていうのは何か理由があるんだろ。例えばそうだな、得たのは技術だけでまだ人を撃つ、殺すという覚悟が――」
「良い加減に黙れ! 本当に撃つぞ! いいから言う通りにしゃがめ!」
これ以上言わせてはまずい。それは抑制力を失わせてしまう。
しかし、こいつ間違いなく俺の技術の理由に気付いている。ということはまさか、弾数制限のこともばれているのか。
いや、その心配もあるがそれよりも大きな問題がある。俺に覚悟がないことがばれているとみて間違いないことだ。そりゃ、そうだ。俺はついさっきまで何の変哲もない一般人だったんだぞ。そんな俺が人を傷つけたり、ましてや殺すなんて出来る訳がないじゃねえか。やりたくない。そんなこと言えない状況だっていうのは分かる。それでも普通の人間でありたいから、俺は人を撃つことは出来ない。だが、それに気付かれたら、隙を突かれちまう。
そんな俺に喝を入れる為なのだろうか。一際大きく聞こえた銃声が一つ、鳴った。
「くっ……」
「すいません、さっきから戯言ばかりでうるさいので思わず撃ってしまいました」
苦痛の表情を浮かべる敵のボス。今のは、唯香が当てたのか……。
「でも、言ってましたよね、しゃがまないと撃つって。他の人も妄言に唆されて勘違いしてると困るので、もう一度言っておきますが――動いたら、心臓ぶち抜きますよ」
その唯香の一切の温もりの無い顔と声に、一瞬こちらまでぞくっとしてしまった。
今の唯香の行動は間違っていない。いや、どころか確かに正しい筈なのに……。何だ、この気持ち。違和感というか、妙な感じがする。
「分かった。言う通りにしよう。おとなしく、しゃがませてもらうよ」
唯香の銃撃を受けて、ようやく素直に座ろうとする敵のボス。挙げていた手を後ろで組み、そのまま――一回頷いた。そこで何かを感じ体がいつの間にか動いていた。と共に響いた銃声。
「うあっ! ……いっ、いってー!」
「疾太さん!」
痛みが走った。
手だ。銃を持っていない左手。咄嗟に避けたというか、動いていたから直撃は免れることが出来たが、おそらく掠ってしまった。掠っただけとはいえ、銃撃を受けるなんて初めてだ。手が痛い。
その痛みを感じ、反射的に自分の手を見てしまった。そして、自分の顔から血の気が引くのが分かった。血が出ている。恐怖感が一気に襲い掛かってきた。
「ぐあっ!」
だが、その声に視線を強制的に移動させられた。見ると見覚えのない黒服の男が腹を抑え込んで倒れていた。その腹からは血が流れ出している。一体、何が起きたんだ。
「大丈夫ですか、疾太さん!」
「あっ、うん、大丈夫――えっ」
状況を掴めず、混乱したまま答えながら声のした方に目をやった。
そこにはさっきの遥のようにボスである男に首を締められている唯香がいた。その手に握られた銃はこちらを向いている。もしかして、この血を流して倒れて込んでいる男を撃ったのは唯香なのか。そんな、まさか……。
しかしそんな俺の動揺が落ち着く間もなく、男はその銃を唯香から取り上げ、そして唯香の頭に突き付けた。
「唯香!」
「ふっ、誰が敵はこいつらだけだと言った」
そうか、この見覚えのない男、今まで潜んでいたのか。それが何かの合図――さっきの頷きか。あれで出て、俺に銃を撃ったのか。クソッ、油断してた。唯香が出てきた時点で、全勢力を注ぎ込んで捕らえに来ると思い込んでいた。まさか、一人潜んでいたなんて!
俺は急いで銃を敵に向ける。
「すいません、疾太さん」
違う。謝らなければいけないのは、俺の方だ。唯香は、俺を助ける為にボスから目を離した隙に捕まってしまったんだ。それに……。
くそっ、俺の所為だ。
「お前ら、動くなよ。下手な動きを見せたら、仲間の脳天をぶち抜かなければいけなくなる」
男は唯香の頭から銃を離し、今度は俺と唯香、交互に銃を向け出す。
腕が震える。あの野郎。唯香を盾にして、俺に攻撃させづらくしてやがる。くそっ、一歩間違えれば唯香にも危険が及ぶ可能性がある。今までのように銃のみを狙うなんてことも出来ない。それに外したら唯香が殺されてしまう可能性もある。一体、どうすれば良いんだ。
「さて、君には銃を置いてもらおうか! それから後ろで手を組め!」
「……っ!」
……従うしかないのか。
多分、言う通りにしたら、それは負けになってしまう。悔しい、無力だ。でも、今の俺にはそれしか出来ることがない。
「ダメです、疾太さん! 置いちゃダメです!」
寸前。もう置こうとした時に唯香が声を荒げた。
「疾太さん、置かないでください! それじゃ、ダメだ。撃ってください! 私は気にせず撃ってください!」
「黙れ! 喋るな! 私が君を殺さないと思っているのか。いざとなったらやむを得ない、本当に撃つぞ!」
嘘ではない。本気で撃つ気だ。そう、聞いていて直感した。
「お前も良いから置け!」
「……ああ」
それしかない。
気持ちとは裏腹に、俺の手は地面に向かって動き始める。
「撃ってください! 疾太さん、こいつを――殺してください! 所詮いなかった人間ですし、元から消える運命なんです。いなくなっても何の影響もありません。構わず撃ってください!」
「黙れ!」
再び、いや今度は力を込めて男は唯香に銃を突き付けるのが見えた。
動いていた手が、膝辺りで自然と止まる。そして俺は、腕を上げ、銃を前に向けた。
「貴様……!」
驚愕の表情を見せた後、男が即座にこちらに銃を向けた。
だが俺は気にせず発射する。
――弾は男の二十センチ横を過ぎ去っていった。
「ダメだ。やっぱり俺には出来なかった」
銃を持っていた腕を下げる。
「今更、降参か!」
「何やってるんですか!」
「俺は誰も殺せない。……誰も撃てない!」
「何言って――」
「俺は人を傷付けたくない、殺したくない! 何があっても人は殺さない。例え、妄想で出来た人だとしても、何の影響が無いとしても、あっちが俺を殺そうとしても決して殺したくない。人が人を殺したらもうそいつは人では無くなる!」
俺は人を助ける為とはいえ、人を、自分を捨てることなんか出来ない。この手に握られた道具は人を傷付ける為なんかに使いたくない。守る為だけに使いたいんだ。
俺の叫びに、唯香は何も言わない。男も撃つ素振りは見せてこない。
「唯香、さっき言ったことを取り消せ! 君があんなことを言うな! あれじゃ、君も死んで良いって、消えて良いって言ってるのと同じじゃないか。せっかく生まれたのに死んで良い訳がない。例え短いと分かっていたとしても、死んで良い人なんていないんだよ。唯香、君はそんなこと俺が言うまでもなく分かってる筈だ」
唯香がさっき敵を撃った時正直かなり動揺した。
唯香も自分と同じく人を傷付けることはしないと思っていたからだ。
でもその時に感じた違和感。あれは冷酷に、それが当然のように撃った唯香の中になんとなく躊躇いの心が見えた気がしたからだ。いや、多分気のせいなんかでは無い。さっき遥の家で唯敵に銃を向けた唯香の手は震えていた。唯香は全部俺の為に、無理矢理心を殺して撃っていたんだ。
「でも、」
「――人が人を殺したらもうそいつは人では無くなる、か……」
唯香の言葉を遮り、しかし一人言のように男は小さく呟いた。
その目は前を向いていないのが分かった。
「……そんな当たり前のことを俺はいつから忘れてしまっていたのだろうか」
唯香の首に回していた腕をそっと離して、唯香は男からようやく解放された。
突然の男の奇怪な行動に唯香は困惑していたようだが、即座に好機と見るや距離を取り、男に向けて銃を構えた。が、すぐにその手を下ろした。
「一体何の真似ですか?」
静かに、だが強張った声で唯香は問う。
「俺も最初は同じだった」
何の話だ? そんな唯香も思ったであろう疑問。それに答えるかのように、淡々と男は続ける。
「昔俺は比較的裕福な生活を送っていた。だがお前が生まれてすぐに事業に失敗して財産を失い、妻を病気で失い、手元に残ったのは借金と唯香、お前のみだった」
突然自身の過去を語り出す男。
その表情は暗澹としていて、決して明るいものではないことが分かる。口調も今までより暗さを増している。
「自分が生き残る為、それに何よりお前を養う為には手段を選ぶ余裕なんか無かった。だから、普通とは違う裏のルートを進んだんだ。最初は上手くいっていた。だが結局それは娘であるお前を危険に晒すことになってしまった。だからお前を捨てた。やむを得なかった、っと言ってもただの言い訳になるだろうが、本当にあのまま私と一緒にいたらお前は危なかったんだ」
男が語り出す過去。それは衝撃的なもので、唯香は驚愕した顔になっている。多分、俺も。
「しかし私はそんな人を守る為に進んだ闇の道でたくさんの人を傷つけ、後戻り出来なくなってしまった。最初は酷く精神が不安定になることもあった。なのに、今じゃ淡々と平然とやってしまう。おかしくなってしまったんだ、私は。人を守る為に人を傷付けて来た私と人を守る為に人を傷付けない君。本来どちらが正しいかなんか知らないが、少なくとも今回誤っている方など等分かりきっている。私は何一つ守れないどころか、守ろうとしたものまで傷付けるところだったんだからな。……何をやっているんだ、私は」
過去を悔やんで、唇を噛み締める男。
誰かの為に進んだ道が誰かを傷付けてしまうだけのものだった。それに気付いた時にはもう元に戻ることが出来なかった。それを本当に悔やんでいる。それは口調からも分かる。
俺も同じだったかもしれない。いや、そこまでではないとしても、一歩間違えれば同じだったかもしれない。人を守るということを履き違えていたかもしれないんだ。
「でも、多分私がお前を追っていたのは利益なんかよりも、お前にもう一度傍にいてほしかったというのが本音なのかもしれないな」
手に持っていた銃を捨て、男は唯香に近付いていく。
それをただ、悲哀に満ちた目で唯香は見つめる。
「……お父さん」
「お前を傷付けてきた。お前の仲間を傷付けてきた。だから、今更かもしれない。でも、本当に申し訳ないことをしてきた。自分を見失って、もう何が正しいことか分からなくなっていた。ごめんな、唯香。でも今なら、思い出せそうなんだ。だからお願いだ。もう一度だけ、抱かせてくれないか」
唯香の目の前で、真剣な眼差しを向け、男は頼んでいる。
しかしすぐにその頼みに応えは返ってこず、沈黙が続く。その間唯香が見せた表情からは色々な感情が見て取れた。怒り、悲しみ、困惑。それは仕方がないことだ。綺麗に流すというのは到底困難な、色々な出来事があったのだから。
その沈黙が一分ほど続き、ようやく唯香は口を開く。
「大切な仲間を殺され、更に色々な危険にもあわされてきた。正直今でも許せません。それでも、憎んでいるだけじゃ変われないから。それに、あなたも色々な葛藤があって苦しんできたんですね。そして多分、私が危険に冒されないように、私が生きていられるように、私を捨てた後も色々手を回してくれていたんですよね。苦しみ続けてきたんですよね。だから、今度は私が苦しみから解放してあげます」
そうして、唯香は父親の体に腕を回した。
やっぱりこの子は本当に強いなと、心からそう思った。
「ごめんな……ごめん、唯香」
暫しそれを続けた後、不意に男は唯香を体から離す。
「ありがとう、唯香。これでやっと元の道に戻れる。もうお前を傷付けなくて良いんだ」
「そっか、良かった……」
「疾太君、ありがとうな。それから唯香、良い仲間を持ったな」
「はいっ!」
その短い返事はとても力強く、そしてとても嬉しそうだった。
俺はつい、頬をポリポリと掻いてしまう。
「だが、どうやらまたお別れすることになりそうだ」
顔を綻ばせ嬉しさを表現していた唯香の顔が、徐々に寂しげなものに変わっていく。
「行くん、ですね」
「ああ、私は自首するよ。たくさんの人を傷付けてきた罪を贖わなければいけない。なあ、皆も一緒に来ないか」
最初は戸惑った表情を見せた仲間達も、数秒後頷いた。
「それが良いと思います」
「だがもしそれが終わったら、その時は一緒にやり直して行かないか、唯香」
言葉を聞いて驚いた顔を見せた唯香は、
「うん、待ってるよ、お父さん」
戻った笑顔でそう答えた。
「そうか……」
男が見せた最初で最後の笑顔は、何処か儚く見えた。
っと考えていたら、男の体が光を発し始めた。周囲の男達もだ。
その光は無数の小さい粒となって、上空に上がって消えていく。そしてその粒が生み出された体の部分の色が薄くなっていっている。まるで、体が光の粒となって消えていくように。それは止まることなく、徐々にしかし確実に男達の体は消えていく。
何だ、これは。思うが口には出さない。そんな雰囲気では無いから。それにそう思うのと反面、何となく理解している。これが、この人達のシナリオの最後なのだろう。
「さて、じゃあ私は行くとしよう」
「お父さん!」
「じゃあな……明日香」
その言葉を最後に父親の姿は完全に霧消した。
さっきまでその場にあった体を掴んでいた唯香の両腕は虚空で交わる。
「唯香、これって……」
「ええ、お父さんは役目を終えたんです」
唯香の顔に陰りが出来ていた。
見ると社の背から夕陽が顔を出し、辺りを照らしていた。唯香もその光をを横から浴びている。
でも、それだけじゃないのは明白だ。それも相俟り、より物憂げに見える。
「じゃあ、唯香も……」
「消えなきゃいけないみたいですね」
変わった顔。無理矢理な笑顔。そんなもの見たくない。
「そんな……」
「分かっていたのに、覚悟していたのに……やっぱり悲しいですね。でも、仕方ないです」
仕方ない?
自分の中で抑え切れていない感情が渦巻いているのが分かる。分かっているのに受け入れきれない現状。頭の理解とは裏腹に心の決意が出来ない。
……そんな顔で、そんな無理した笑顔で言うなよ。何で、
「何で嫌だって言わないんだよ! 何で……俺を責めないんだよ!」
唯香は一度も嫌だってはっきり言っていない。
一度も俺を責めていない。
「言ってもどうしようもないのかもしれないし、意味は無いのかもしれない! それでも、文句ぐらい言えよ! 嫌だって、ふざけるなって俺を責めろよ! ……俺の所為だろ、俺の所為で唯香はそんな苦しい思いをしてるんだろ。神様の所為とかじゃないんだよ! ……俺の所為なんだよ」
ずっと罪悪感を感じていた。自分が無意識で犯してしまった罪。それはとても大きいもので。とても、正面から向き合えるものではなかったのかもしれない。だから、本当はただ逃げていただけなのかもしれない。
「じゃあ、一つ言わせてもらいますよ」
責められるのを覚悟していた。ボロボロに罵倒されるんじゃないかと思っていた。いや、唯香なら怒らない。それが例え、気持ちを殺した結果だとしても。そうも予想していた。
「――私を生んでくれて、ありがとうございました」
なのに、感謝の気持ちを告げられた。
何で? 俺は唖然としていた。
「どうしてお礼なんか、」
「疾太さんがここで妄想してくれなかったら、私は生まれることが出来なかったんです。今、確かに悲しいです。疾太さんの両親と、遥さんと、香苗さんとそれに疾太さんと別れるのは辛いです。それでもこんな気持ち、生まれてこなかったら感じることすら出来なかったんですから。感謝こそすれ、責めるなんて間違いにも程がありますよ」
その言葉で心にあった重たいものが払拭された気がして、何より嬉しかった。
視界が霞む。周囲が少しぼやけだす。
そして、唯香の体も光出した。
「唯香!」
「さて、本当にそろそろお別れです。でもその前にもう一つ、言わなければいけないことがあります」
「それがシナリオの最後なのか?」
「そうだけど、そうじゃありません」
「どっちだよ! でも、言うな! 言ったら唯香、消えるんだろ……」
「言わなくても長くはいられません。だから、お願いします。疾太さん、聞いてください」
体が、心が拒否反応を起こす。耳を塞ぎたい。この場から逃げ出したい。でも、それは何の意味もない。
だから後悔なんかしたくないから。正面に唯香を見据える。
「――好きです、疾太さん」
もう完全にぼやけていた。滲んでる。夕陽も景色も。何もはっきり見えない。
頬を伝う熱を持った雫が、止まらない。腕で擦っても、擦っても、止まらない。
「俺も好きだ! 唯香、君が好きだ」
「それは、あなたの理想の顔だからですか?」
どんな顔で言ったか。それは確認できないが一つだけ、分かった。その声は若干の震えが混ざっていた。
「ああ、そうだ」
「そう、ですか……」
「俺の全く理想の顔で、優しくて、気が利いて、それでいて大食いで負けず嫌いでわがままな一面もある、そんな人間味溢れる君だから俺は好きになったんだ!」
力いっぱい目を擦る。何度も何度も、必死に涙を拭う。最後を見逃してはいけない。このまま、終わりたくない。
「疾太さん」
くそ、止まれ! 何で、止まらないんだよ! 止まれよ、涙!
「ありがとうございました」
「待って、待ってくれ、唯――」
唇を塞がれた。柔らかくて、暖かい感触。そうしてようやく鮮明さを取り戻してきた視界に写るのは、目前にある唯香の顔。
「私も、そんなあなただから好きになりました」
目前には見えるのは社だけ。もう誰もいない。手を伸ばしても何の感触も無い。
その場所に向かって、
バイバイ
そう一言呟いた。




