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妄想少女  作者: カオス
6/10

第六話 逃走

「…きて……ださい……」


 んっ、何だ、声がする。

 誰だ? それに今、何て言った? 


「起きてください、疾太さん!」


 その耳元でさっきよりはっきり聞こえた声に驚き、反射的に上体を起こす。

 おそらく近くのベッドで寝ている遥は起こさないよう声は抑え目だったが、静寂な空間で突然音が聞こえれば、そりゃ起きてしまう。それに甘くて良い匂いもしたし。


「どうしたの、唯香ちゃん?」


 俺を起こした唯香の表情は深刻な、かつ焦ったものになっている。急な事態のようだ。

 まだ寝惚けている俺の頭でも何となくは察しは付くが、確認の意味も込めて聞いてみた。勿論俺も小声で。


「早くこの家を出ましょう! 思ったより敵が近付いてきています。……正直起きるのが遅すぎました」


 自分一人で全ての責任を感じているのか、非常に顔を歪める唯香。

 起きるのが遅すぎたって……まだ四時じゃないか。


「ただでさえ昨日は疲れてたんだし、仕方ないよ。それに俺だって早く起きるって聞いてたのに起こしてもらった身な訳だしさ。だから、そんな顔しない!」


 少しきっとした感じで言うと、唯香の表情も引き締まる。


「疾太さん……ありがとうございます」


 そう、今は過ぎ去ったことを憂いている場合ではない。


「でもそっか、敵近付いてるのか……」


「……はい。しかも勢力が増えて二方向から来ています」


「二方向!」


 マジですか。それは俗に言う挟み撃ちってやつじゃないか。なんて卑怯な! ……って、相手はこっちの居場所をまだ掴んでないのか。


「そうなると、どうする。下手に逃げると逃げ場を失ってアウトになっちゃうよ」


「そうですね……。とりあえず、敵が進んできている方向はあっちとあっち何ですけど」


 言いつつ、唯香は横に両手を開いてそのままその方向を指差す。つまり、東と西から攻め込んできているということだ。

 良かった。とりあえず、俺の家には全く接触しない方向だ。


「この二方向から全く接触されずに迎えて、かつ人気が少なところが良いですね」


「人気が少ないところ? あれ確か、人気が多い方が襲われる危険性が少ないんじゃなかったの?」


 それには俺もなるほどと納得していたんだけど。


「確かに昨日は身を隠すのと襲撃のリスクを下げる意味で人気の多いところを選びましたが、それは相手の勢力が精々四・五人程度だったからです。今回感じるのは少なくとも十人程、しかも二勢力です。隠れきるのは難しい上に、人数が増えた分もし仮に相手が銃を使った場合、周囲の人が混乱する、怪我を負うというリスクも増えました。この状況なら誰も巻き込まない、人気の少ない方が良いんですよ」


うーん……なるほど。まあ、確かに言ってることは分かる。


「確かにさ、それなら他の人は大丈夫かもしれないけど、でもじゃあ俺達は逆にどう逃げ切るの。捕まりやすくなる上に、銃持っている敵に敵いっこ無いでしょ」


 唯香の言っている方法だと、自分達のことだけを考えた場合こちらにはデメリットしかない。

 例えば何かしらの対応策があってこちらもまだ戦えるとかなら、他人を巻き込まずに済んで戦いやすい所というのもありかもしれないけど。


「そこら辺は大丈夫ですよ。――それに勝てないかどうかはやってみないと分からないじゃないですか」


 ニヤリと意味ありげな笑みを携えて言う唯香。

 何だその可愛い……じゃなくて、根拠のない自信に満ちた笑みは。どう考えても勝てる訳ないだろうに。

 ただ確かに、今までは訳も分からずとりあえず唯香の言う通りにしてきたものの、流石に逃げ切るのにも限界はあると思っていた。相手の人数的なところもあるし、金銭面、体力面でもだ。それにおそらく相手は車も使ってるだろうから移動に関しては相手の方が速い筈。いずれにしろ追いつかれる。

 そうなった場合戦うことになったとして、全く想像も付かないが、というか自分の妄想したことも全く思い出せないのだが、唯香も勝算あっての発言なのだろう。今回も従うしかないか。ただ逃げ切れたらそれが一番何だけどな。戦うとしたら、怖いな、撃たれないかな。

 俺は諦念と肯定を合わせて溜め息を吐きつつ首を縦に振る。


「ということで、疾太さん急ぎましょう。今言った条件に当てはまる上で疾太さんの家の前を通る場所はありますか?」


「俺の家?」


「はい、家の前を通るなら荷物を準備する時間も、わずかかもしれませんがあるでしょうから準備していきます。流石にお金も道具も無しで何日も逃げ続けるのは不可能でしょうから」


 なるほど。それは丁度良い。金が無くなって困っていたところだし、キャッシュカードでも持っていこう。

 で、えっと、敵に会わないよう俺の家の前を通れて、かつ人気が少ないところだっけ。


「それなら、確か……あっ、そうだ。かなり遠くになるけど、山があるな。三百メートルくらいの」


 んっ、気のせいか。今、唯香がニヤリと怪しい笑みを見せたような……。


「じゃあ、そこに向かいましょう。野宿も覚悟していてください、疾太さん」


「うへぇ、マジですか。野宿とか初なんだけど」


 虫とか凄そうだ。虫除けスプレー持っていこう。


「まあ、なんとかなりますよ。さて、じゃあ行きましょうか、疾太さん」


「オッケー。んじゃあ、急いだ方が良いよね」


「はい。でもその前に――」


「その前に?」


「ニャン吉も迎えに行かないと」


「……ああ、そうだね」


 こんな事態なんだから、この家に少しの間置かせてもらえば良いのに。

 まあともかくそんな訳で、ニャン吉を連れた後、勝手に出て行くことへの謝罪と一泊分の謝礼を書いた手紙を置いて、一日ぶりの我が家へ向かって行った。


  ☆★☆★☆★☆


 急いで移動し、家には三十分くらいで到着した。

 勿論俺の肺は悲鳴を上げているが、それを気にしている場合ではない。扉の横に置いてある植木鉢の下に隠してある鍵で扉を開けて家に上がる。いつも親が起床するのは六時半くらいなので、中はまだ無音この上無く、音を立てないように自分の部屋に向かう。

 効率よく準備する為に、脳内で準備するシミュレーションをしながら廊下、階段を進み自分の部屋の前に到着。そのまま間髪容れずに部屋に入り、シミュレート通りに机の上にあるリュックを手に取ろうと向かったところで、その机の上に置いてあった白い物体が目に入った。

 

「何だ、これ?」


 その白い物体は破られたノートの一ページで、手に取り、そこに書いている文字を読む。


「何々、疾太へ――」


『全く、突然しばらく出かけるとかふざけてんじゃないわよ』


 いきなり叱られた。何だ、これ。母親からのメッセージか。

 少し気分がげんなりしたが、続きを読む。


『でも、あんたが急にそんなこと言い出すってことは何かよっぽどの理由があるんでしょう。しょうがないから、それは帰ってからにするわ。ただ、出掛けるなら出掛けるで服ぐらい持っていきなさいよ。夏とはいえ汗で体冷やしたら風邪引くでしょう。……そういうところ気をつけて行ってきなさい。それに怪我にもね』


 母親……。

 手紙から、手紙が置いてあったすぐ傍に既に立てられていたリュックに目をやる。口を開けると、服やタオルが詰められていた。

 戻ってくるって分かってたのか。確かにしばらく出掛けるって言ってるのに、服も持っていかないのは不自然だったよな。

 ……いつ戻ってきても良いように、準備してくれてたのかな。

 

『P.S. 

 そういえばあんたいない間に部屋を物色……じゃなくて掃除していたらエロ本見つけたから燃やしておきました(怒) 

      母より』


 ……はっ、はあぁぁぁぁー! 何やってくれてんの、あの人! 何勝手に人の部屋いじって人の宝物捨ててんの! お気に入りだったのに! しかも(怒)って何だよ。何であんたが怒ってんだよ。怒りたいのは俺の方だっつうの。

 くっ、クソー、母親とはいえ女性に隠してたエロ本見つかるとか恥ずかしいー!

 最早怒りで紙を破ってしまおうとした寸前で、あることに気付いた。手紙にはまだ続きがあったのだ。


「ったく、何だよ」


 どうにか破壊衝動を抑え込み、続きを読む。


『疾太、お母さんがエロ本燃やしてしまったみたいだから、これで新しいエロ本でも買いなさい ↑ 

                                           父より』


 矢印の先を目で追うと、リュックの陰に野口が置いてあった。

 それをポケットにしまって、紙はすぐにかつ形残すことなく粉々に破いてやった。


「さっきから一人で何やってるんですか、疾太さん?」


「んっ、ああ、何でもないよ。ただ単に俺のプライドを踏みにじられた怒りを紙にぶつけてただけだよ」


「それ絶対、何でもなく無いですよね!」


 確かに俺にとっては一大事だが、唯香にとっては本当に何でもないことだ。本当に俺にとっては地球の砂漠化拡大より一大事だけど。


「まあ、エッチな本燃やされたからって気にしないでくださいよ」


「何で唯香ちゃんも知ってるんだよ!」


「この前、見つけたのが無くなっていたので。まあ、また違うのを買えば良いじゃないですか」


 その優しさが僕を苦しめます、マジで。ダメだ、死のう。もう死のう。恥ずかしくて死にたい。


「それより疾太さん、どうですか? 準備は済みましたか?」


「あっ、ああ、俺は済んだよ。唯香ちゃんの方は?」


「はい、私もオッケーですよ。これに詰めときました」


 唯香が突き出したリュックは、ぷくっと結構膨らんでいる。確かに必要な物は多いんだろうけど、それだと移動の邪魔になる気が……。

 

「何か結構膨らんでる気がするけど、中にそんな何入れてんの?」


「えっと、子供服に女性用の服に下着に……って、何言わせるんですか!」


「いやっ、何言わせるんですかって……」


 そんなこと言われても。


「そっ、それより、準備出来たなら、さっさと行きましょうか」


 顔を赤くしながら、ごまかすようにそう言う唯香が可愛らしくて、思わず微笑んでしまう。


「ニャー」


 っと、そこで俺の部屋をうろうろ歩き回っていたニャン吉が突然声を挙げる。

 振り向くと俺をじーっと見つめていた。気のせいか、何か訴えかけてる気がする。


「もしかして、ニャン吉行くの面倒くさくなったんじゃないか」


「ニャー……」


 やれやれといった感じで首を振られた。気がする。

 あれっ、もしかして俺猫にも馬鹿にされてんの。なんか腹立つんだけど。


「違うみたいですよ。うーん、ひょっとしたら、わいの餌はどうすんだとか言ってるんじゃないですか?」


 ニャン吉の一人称、わいなんだ……。


「ニャー、ニャー」


 唯香の言葉を聞いた直後、騒ぎ立てるニャン吉。……えっ、何この反応の違い。もしや、当たっていたのか!


「餌なら大丈夫だって、ニャン吉。途中のコンビニとかで買えるだろうし」


「ニャー……」


 ふしゅーと鼻で息をされた。偶然だよな。決して馬鹿にされてる訳じゃないよな。


「そういうことだから行こう、ニャン吉! 疾太さんも!」


「ニャー」


「ああ、うん。分かったけど、ちゃっと待って」


 まあ、なんだ。一応善意で俺のこと考えてくれたみたいだし、二人にお礼ぐらいは言っておこう。紙にありがとうと書いてからそれを机に置き、再び出て行くのに忍び足で家を出ていった。


  ☆★☆★☆★☆


「ハァハァ、一回休憩しよう、唯香ちゃん」


「一回!? 短時間とはいえ、もう既に二回休んどいてまだそれが言えますか!」


「てへっ……ハァハァ」


「いや、別に可愛くないですし、そんな疲れながらやられても……」


 くっ、俺の今までの成功確立ゼロパーセントだったてへぺろ顔は今回も失敗か。

 でも、相変わらず常にBダッシュによる移動が強いられている為、疲れるのは仕方がない。寧ろ休憩二回で妥協している俺は優秀な方ですらある。


「ていうか、まだ着かないの!? もういい加減家出て二時間ぐらい経ってると思うんだけど! ……ハァハァ」


「疾太さん自分でかなり遠くにあるって言ってたじゃないですか」 


 確かにそうだけど、正確な距離とか測ったこと無いから分からないし。まさかあそこまで車以外の手段で行くとは思わなかった。


「じゃあ、もうタクシー乗らない? それなら別に問題ないでしょ……ゼェゼェ」


 というか寧ろ何故今まで思いつかなかったのだろうか。


「なるほど、タクシーですか。まあ、別に問題はないと思います、というか寧ろそっちの方が良いでしょうね。ついに、ゼェゼェ言ってますし。でも疾太さんは良いんですか?」


 一旦立ち止まって、お互いに相手を見るように向き直る。


「良いっていうと?」


「……主に金銭面で」


 ああ、なるほど。そっちの話か。

 言われて財布の中身を覗いてみる。入っているのは、父親に貰った野口と六百円程度。キャッシュはあるが、近くに銀行やコンビ二は無い。 

 それにまだ結構あるから、下手したらとんでもない額になってしまうのか。


「まあ、タクシーっていうのは移動距離と時間によって料金が変動していくからね。距離はともかく、ここら辺は車通りは少ないから時間はあまり掛からないと思うし、大丈夫じゃないかな」


 それに掛かっても、惜しんでる場合ではない。そっちの方が効率は良いし、それに何より俺の体が持たない。、そして、十年以上コツコツ溜め込んできた俺の貯金を嘗めないで欲しい。


「疾太さんが良いならその点は大丈夫なんですけど……あとはニャン吉を乗せれるかですね」


 相槌をうつようにニャン吉がニャーと声を挙げる。何処か、何かを訴えかけるような顔をしているのがとても気になります。――ええ、大丈夫ですよ。まさか乗せられなかったら君だけ置いていくなんてあるわけがないじゃないですか、ハッ、ハッ、ハ。

 その顔を見ていたら何となく頭を撫でたくなったので優しく擦る。……あれっ、今一瞬嫌そうな顔しなかったかこいつ。気のせいだよな。まさか徐々に俺を嘗めてきてるなんてことはないよな。


「ニャン吉も大丈夫でしょ。小さいし抱えるからって言えば、乗せさせてくれると思うよ」


「そうですね。じゃあタクシー呼びましょうか」


「了解。んじゃあ、ちょっと待ってて。電話かけてくるから」


 そして連絡すること十五分程。何分か前に着いた店にあらかじめ頼んでおいたタクシーが到着したので、運転席から唯香、俺の順でそれに乗り込む。


「へい、お待ち!」


 パッと見四十代のそのゴツゴツ顔のおじさんドライバーは、入って早速威勢の良い声で迎え入れてくれた。えらく、元気そうな人だな。


「この先に結構行くとあるあの山までお願いします」


「山、ね……」


 訝しげな目を向けられた。よく考えたら、山までっていうのは色々怪しかったか。


「あっ、やっぱりその近くにあるコンビ二でお願いします。――あの、それと子猫一匹なんですけど、同乗良いでしょうか?」


「子猫? ああ、オッケー、オッケー。座席を汚さないようにしてくれれば問題ないよ」


「じゃあ、私抱えます」


「うん、そうしてくれると助かるよ」


 唯香はニャン吉を抱きかかえ、そのまま頭を撫でる。

 ……あれっ、なにこいつ、凄い気持ち良さそうな顔してるんだけど。何、あのふにゃーとした幸せそうな顔。俺にはあんな顔見せなかったんだけど。


「それでは、出発いたしまーす」


 そんな俺の気持ち等露知らず、おじさんドライバーは快活な声で電車の車掌風にそうコールして車を出発させる。ちなみに、あまり上手くない。

 やはり車が少ないこともあって、停まることなく車は進んでいく。景色も変わることなく、見えるのは民家やレストラン等の店だけ。その大してバリエーションの無い景色を座席に背を預けながら見ていると、徐々に睡魔が襲ってきた。そういえば、最近ちゃんと寝れてないし、今日に至っては三時間程度しか寝ていない。隣の唯香も首をうつらうつら眠そうだし、ニャン吉に至っては唯香の膝の上で既に丸まって寝ている。なんてうらやま……ケホンケホン、さて俺も寝ることにしよう。

 俺は目を瞑り、すぐに眠りに落ち――


「お客さん、学生さんだよね? 今は夏休みなの?」


 れなかった。タイミング悪いことに、おじさんドライバーが話しかけてきた。出来れば眠らせて欲しいんだが、無視する訳にもいかない。


「ええ、まあ」


 軽い返事で済ませといた。

 さて、それじゃあ今度こそ、寝――


「休み利用して妹さんと旅行なんて偉いね」


 させてくれなかった。

 もう良いでしょう。頼むんで寝させてください。マジで、お願いします。


「はあ、どうも」


 色々間違ってるが、面倒なので適当に済ましておいた。


「…………」


「…………」


 なんで、急に黙るんだ!

 また何か話しかけてくると思って寝ずに気張ってたら、なんか気まずくなったじゃねえか。もう良いのかな、寝ても良いのかな。よし、寝よう。


「あの、君名前はなんて言うんだい?」


 結局そうなるんかい。

 ていうかこの人、何で照れたようにもじもじしながら言っているんだ。四十代のおじさんにそんな態度取られても、俺の気分は降下する一方だ。

 ていうか、何で名前?


「えっと、疾太ですけど……」


 知らないおじさんに個人情報を教える意味が分からないけど、まあ下だけなら問題はないだろう。


「そっか。それで、お兄さんはあんな歳の離れた妹連れて何で山に行くんだい?」


 本当に何で、名前聞いたんだ。

 しかし、何故山に行くか、か。なんて答えれば良いのだろう。正直に答えれば、


「敵を討伐する為ですかね」


「ほう、それは巷で聞くサバイバルゲームという奴かな、シスコ……お兄さん」


 あれっ、今シスコンって言いかけなかったか。


「ええまあ、そんな感じです」


「ほう、それは楽しんできなよ、お兄さ……シスコ……ロリコン」


「何で言い直したんですか! ていうか、言い直していった結果、酷くなってるじゃないですか!」


 しかも、何で最終的にロリコンなんだよ!? そして、何で遂に赤の他人にまでロリコン呼ばわりされなきゃいけないんだよ! 

 その後、暫しおじさんドライバーの笑い声が響き、それっきり再び会話が途切れた。俺は再び目を瞑る。今度は邪魔されることなく眠りに着けそうだ。

 しかし、楽しんできなか……。

 そんな暇あるのだろうか。


  ☆★☆★☆★☆


「着きましたよ、お兄さん?」


 その大人の男性らしい低めの声で目を覚ます。起きて最初に浮かんだ言葉は、何で疑問系?だ。

 んーんと伸びをして周囲を確認する。車の前には青いコンビ二。周囲の民家は、俺が寝る以前よりもその数を減らしている。そして目的の山はすぐ近くに聳え立っている。

 っと、そこであることに気付く。やけに右肩より少し下の辺りが重いのだ。そう感じ、隣を見てみるとそこには唯香の頭が添えられていた。

 やっ、やばい。何だ、その幸せそうな寝顔は。こっちも幸せになるじゃないか……じゃなくて、無防備過ぎるじゃないか。俺だから良い様なものの、こりゃ一部の人にとってはたまらんぞ。もう少し自覚持って、気を付けてもらいたいところだ。


「唯香、着いたよ、起きて」


 軽く肩を揺すって起こす。


「ふあい? ついは?」


 まだ寝ぼけているのだろう。唯香は、目を擦りながらちゃんと言語化されていない音を発している。まあ、なんとなく「はい? 着いた?」と言ったのは分かったけど。そして、可愛くて思わず抱きつきたくなってしまう。


「うん、着いたよ。さあ、行こう」


 コクリと一回頷いてから、唯香は俺と同じように体を上に伸ばす。それでしっかり覚醒したようで、虚ろだった目がくっきり開かれている。

 そしてぼそっと、耳元でまだ大丈夫ですと伝えられた。近い、良い匂い、こそばゆい。……じゃなくて大丈夫というのは、敵のことだろう。

 おじさんドライバーに許可を得てから、コンビニでお金を下ろしてそれで払ってタクシーを降りた。その際にお礼を言うと、「おうっ、頑張れよ、ロリコン」とか言われた。最早迷うことなくロリコンと呼ばれてしまった。出会って間もない人にこんなに腹が立ったのは初めてかもしれない。

 その後は再びコンビニに入って買い物をしてから、山に向かっていった。


「…………」


 それからもう一時間は経っただろうか。そう思い、腕に掛けた時計を見ると時間は十三時を回っていた。

 外から見た通り、山道の周囲を無数の木々が覆っているこの山の傾斜は大してきつくない。それでも、最初の内は会話も交えながらだったハイキングも徐々に疲れから会話は無くなり、今はお互い無言で歩を進めている。といってもそれは、俺ら二人だけの話だ。唯香の右隣を歩いている子猫ちゃんは、度々ニャーニャーと文句を垂れるがごとく鳴きながら歩を進めている。


「おっ、唯香ちゃん、今日はあそこ泊まれば良いんじゃない?」


 久しぶりに口を開いた為、少しもごもごしてしまった。

 歩いている内少し先に、そこだけ隔離されたように木が生えておらず、大きさは様々ないくつかの岩を有している草原のようなスペースが目に入ってきた。結構広くて寝る分には不自由無い上に、地べたに座らなくとも岩に腰掛けることは出来るという意味で泊まるには最適と判断し、提案してみた。……まあそれに何より、腹減ったし休みたい。

 その俺の案に対して、唯香は一回頷く。


「うん、良いじゃないですか。広さは充分だし、ここを拠点にしましょう。ねっ、ニャン吉」


「ニャフー……」

 

 言うや否やスペースの真ん中に敷物を広げる唯香。そこに荷物を置きだしたので俺も一緒に置く。ついでに右奥の角はニャン吉が陣取った。

 本当はテントを設置してそこに荷物置いて泊まれれば良かったんだけど、俺と唯香だけでテントまで運ぶのは困難なんてもんじゃないのでこれと寝袋で済ませることにした。

 にしても、拠点って聞けばなんか大層っぽいけど、実際ただの野宿する場所だからな。


「さて、じゃあ疾太さん、例の物ください」


 足は地べたに出したままで敷物に腰掛けてから、俺に手を伸ばしながら言う。


「えっ、例の物って?」


「勿論、食料です!」


「あー、はいはい」


 リュックからコンビ二袋を取り出し、中を物色する。えっと、確か唯香に買った物は――飲み物のカルピスにバターロールパンにチョコクリームパン、ピザパンに焼きそばパン、おにぎり二個に蕎麦まである。……って、多っ! そして全部炭水化物! そういえば、こんな買ってたっけ。相変わらず唯香は歳にそぐわない食欲の持ち主だ。そのことについて前に聞いたら、唯香曰く妄想で出来た自分のエネルギーを維持する為ではないかということだ。不足を補った後も維持の為に食べ続けなくてはいけないとはなかなか大変そうだ。いや、女性にとってはどんなに食べても太らないというのは、寧ろ喜ばしいことなのだろうか。


「ご飯、ご飯、ごっはっん~♪」


 そんな俺の考察等知らない唯香は俺から食料を、というか俺が自分の分を取り出してから袋毎唯香に渡すと、そんな即興の歌を歌いながらパンの袋を開け始めた。


「あっ、そうだ、ニャン吉にも!」


 そう言うと一旦パンを置いてから、一緒に買ったキャットフードの袋を開けて紙皿に開ける唯香。それをニャン吉に与えてから、再び自分の食事に戻る。

 しかし、本当においしそうに食べるな。パンを頬張るその顔はとても幸せそうで、こっちまで幸せになります。どうもありがとうございます。

 ……でも、その顔を見ているとふとある疑問が浮かんだ。今は俺達は笑っていられる。だけど、今後この笑顔は失われていくのだろうか。

 そんなふとした疑問。


「にしてもこれ、本当に終わりが来るのかな……」


 ボソッと小さく呟いたつもりだったが、言った途端唯香の顔が豹変した。

 その理由にすぐには気付けなかった。


「唯香ちゃん、どうかし――」


「終わりは来ます」


 俺が言ったのは単純な疑問。

 現状逃走劇は終わりそうに無い。逃げ続けるのにも限界はあるし、仮に唯香の言う通り追い込まれて敵と戦っていったとしたって、また新しい敵を送られるだけという可能性が高い。つまり終わりが見えない。本当にこの現状が打破されるのかという単純な疑問だった。

 とは言っても分かっている。唯香との別れの時は必ず来る。確実に終わりは来る。それが俺の作り出したシナリオのラストだったから。……確かだが。

 その俺の心中を代弁するかのように答えてくれた唯香の表情はもの悲しそうだった。


「……疾太さんは、早く終わりが来て欲しいですか?」


 その寂しさと若干の恐怖を秘めた瞳は真っ直ぐ俺を捉えている。

 そりゃ、こんな大変なこと早く終わって欲しい。朝は早く起きてばっかだし、走らされてばかりだし、金は減る一方だし。終いには銃持った敵と戦うとか言い出すし、辛いことばかりだ。でもそれは唯香との別れを意味する。ここで俺が唯香の質問を肯定したとして、それがイコール唯香と早く離れたいという訳ではない。でも、捉え方によってはそうなってしまう。

 俺は答えられないでいた。


「なんて、そんなの終わって欲しいに決まってますよね。人間、誰だって嫌なこと辛いことは忌避するものですから。それより、さあ、疾太さんもご飯食べましょう! お腹空いてますよね。私もまだまだ足りないんです。さあ、食べるぞー!」


 俺に有無を言わせないように捲くし立てる唯香。笑顔で、おいしそうにパンを頬張る唯香からは必死さを感じる。

 人間には承認欲求というものがあると聞いたことがある。それは人に認められたいという本能だ。つまり逆に言えば、人は他人に認められないことを恐れる。自分が、自分などいなくても全然問題ない、自分は必要とされていない、自分はいらない存在だという事実を恐れる。唯香も、例外ではない筈だ。……怖いんだ、自分の存在が消えてなくなっても何にも影響しないことが。


「そうだね、食べようか」



 さっきの唯香の質問、その答えは勿論イエスだ。でもそれは……。

 ともかく今は唯香に合わせておこう。それにお腹が空いた。さっさと食べてしまおう。


「おいしいです」


 相変わらず美味しそうに食べる唯香だがその様子は、やはりさっきとは少し違う。

 それにさっきの唯香の様子は少し気になった部分もあった。

 ひょっとしたら、その終わりはもう近づいているのかもしれない。何となくだがそう思った。


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