第四話 始まり
唯香が家に来てから既に一週間以上が過ぎた。
この間、唯香に言われた通りの襲撃どころか特にこれと行ったことすらも起こらずに例年通りプラス唯香との夏休みライフを過ごしていた。
勿論今日とて例外ではなく、遥と普通に遊んで、普通に帰って、普通に食事して、普通に唯香と遊んだ。そのまま普通に過ぎ去っていく一日になるかと思っていたのだが人生そう上手くはいかないようだ。
俺の日常はたった今、終わりを告げた。
「疾太さん、緊急事態です! 家を出ましょう」
目を開くとそこには、一週間前のお出掛けの時に買って以来いつも来ている寝巻きではなく、白いキャミソールの上に黒いカーディガン、下はホットパンツという格好をした唯香がいた。とても目を癒してくれるのだが、今はとても眠たい。
近くにあった携帯で時間を確認。おっと、まだ四時か。まだ寝れるな。
「人が気持ち良く寝てる時に起こすもんじゃありません! ……って、ことでおやすみ」
再び目を閉じて夢世界へいざ参ろう。
「いやだから、緊急事態って言ってるじゃないですか! 起きてくださいよ、疾太さん!」
というのは許してくれないらしい。
仕方なく俺は布団を剥いでから上半身を起こした。
「緊急事態って何っ! 一体何が起きたの?」
唯香の歳で緊急事態ってことは、さてはお寝ながらお小便でもしたのかな。
「敵が近付いてきているようです」
寝惚けた頭で今の言葉を分析してみる。
敵が近付いてる、ね。敵っていうのはまあ、俺が妄想した中で唯香を追い掛ける役を担っていた奴らのことだろう。
おおっ、凄い。一瞬で頭が冴えた。
「って、ててて、敵だって! えっ、どういうこと! ていうか、それやばくない!? 銃持ってるんでしょ!」
おいおい、マジですか。そんな設定忘れてたよ……。
ていうか、訳が分からん。
こんな時間に、しかも俺の家を襲撃だと!
一体何だってそんなことに! ……あっ、俺が妄想したからか。
「あっ、でもじゃあ警察に通報すれば良いんじゃないか?」
「いや、無理ですよ。ことが何も起きてないのに、私変な組織に追われてるんですとか言っても警察は動きませんよ」
「そっ、そっか」
「はい。だから御両親や周りの人に迷惑を掛けない為にも即刻逃げるべきです!」
「逃げるったって何処に!?」
「それは移動しながら話しましょう。とにかく一刻も早く家を出るべきです!」
一刻も早くって……。
起きたばかりでんな訳の分からない情報入れられて、こっちはまだ現状把握が出来ていない上に頭は混乱している。
とりあえず、頭を整理させてもらいたいのだが。
「まず敵が来たって本当なの、唯香ちゃん? そもそも何で分かるの?」
「そういうのも移動しながら話します。外で気になることには応えてあげますので、お願いします、とりあえず出ましょう」
「わっ、分かった。じゃあ出よう」
まだ現状に俺の脳は対応しきれていないが、唯香の顔は真剣そのもので尚且つどことなく迫力を感じる。これは俺も唯香の言葉を受け止めて真面目に対応した方が良さそうだ。
「でもまだ二人は寝てるだろうから静かにね」
「分かってます。それでは行きましょう」
「あっ、ちょっと待って。そうだ」
「どうかしたんですか?」
小首を傾げて疑問を表現する唯香。その仕草は今日も今日とて愛らしいのだが、今はそれどころではない。
「ほら、流石に突然いなくなったら二人とも流石に心配する……かは分からないけど、一応メモ残しとかないと」
我ながら心配すると言い切れないのが残念だが。
唯香に許可を得てから、机の上のノートから一枚破ってそれにメモを書く。
内容はまあ、突然用事出来たからしばらく唯香共々出掛けるとでも書いておこう。あの両親ならこれで充分だろう。
……もう泣いて良いかな。
「オッケーですね。さて、時間無いですし早く行きましょう」
「ちょっ、ちょっとまだ待って!」
「まだ何かあるんですか!?」
「ほら、流石にこの格好じゃあれだからさ、着替えさせて」
「早くしてください!」
そうしてものの一分の内に服を着替え終わり、音を経てずにかつ急ぎ足で家を出ていった。
急いでいた所為で財布以外何も持たずに出てしまったのだが本当に大丈夫なのだろうか。
☆★☆★☆★☆
現在地。すぐ横には家のすぐ近所にある小さい公園が見えている。
夏とはいえ、人なんて疎らで日がまだ出かけたばかりのこの時間帯はまだ涼しい。素早い移動を強要される現状でこの気温はまだありがたいのだが、どちらにしろ帰宅部の俺にはこの慣れない長距離ダッシュは普通にきつい。俺の肺はとっくに限界を迎えていた。
「ハァハァハァ……ちょっ、唯香ちゃん、一旦止まろう。マジで。これはきついって。どんだけ走らせんの!?」
「疾太さん、それ二百メートルしか走ってない人が言う台詞じゃありません」
隣を走る唯香が溜め息混じりに訝しげな目を向けてくる。
そうは言われても中学から今までで鍛え上げられてきた俺の帰宅部精神は自然と運動を拒否してしまうのだから仕方ない。
というか、寧ろ何でこの子は息をあまり乱してないの。そして何で俺はこんな小さい子に並ばれて走ってんの。しかも割と本気なのに。
「まあ、疲れてしまったものはしょうがない。一旦休んだ方が良いよ」
「何でそんな他人事なんですか! あなたのことでしょう」
「本当は俺だってまだ走りたいけど、もう足が言うことを聞かないんだよ!」
「何今度は少し青春ドラマ気取りで言い訳してるんですか!」
「まだ動いてくれ、俺の足!」
「そして、まだ続けるんですか!」
最早諦念を感じたような溜め息をする唯香。
「疾太さん、何でそんな体力無いんですか?」
なっ、失礼な!
「違うよ! 俺はまだ走れるよ! でも、意思に反して足が勝手に止まりたがってるから――」
「訳の分からない言い訳をしない!」
ギンっと睨まれ、少し萎縮してしまう……のが普通の反応なのかもしれないが、おかしい。喜びを感じてしまったのは走って疲れた所為なだけな筈だ。
でもそのぐらい疲れがピークなのは全くもって虚言ではない。
最早体は限界だ。
「ハァハァ……もっ、もう無理。悪いんだけど、本当にもう走れないよ」
「全く、しょうがないですね。うーん……まだ大丈夫かな。敵もそこまで近付いてはいないですし、じゃあ少しだけ休んでいきましょうか」
唯香の了承を得て、近くにあった電柱の影に二人で隠れ込む。
一旦状況が落ち着いたところで、俺は気になっていたことを質問してみた。
「ハッ、ハァハァ……で、敵が来たって本当なの? ……ハァハァ、ていうか、結局何で敵が来たって分かったの? ハァハァ……」
「それはですね、まあつまりはそれが私の特殊能力だからです」
「ハァハァ、能力……? ハァハァ」
「はい。でも、やっぱり覚えてないんですね。疾太さんが妄想したんですよ。この、私が危険と判断した相手が一定距離内に入るとその相手の位置を掴むことが出来るっていう能力。といっても、なんとなく気配を感じるだけだから大体の位置しか分からないんですけど。――っていうか、さっきから息うるさいですね!」
いや、そうは言われても喉から血の味するぐらい走ったんだからしょうがない。
こんな走ったのは、昔体育の千五百メートル走でスタート時に一緒に走るべと約束した友達に残り一周で裏切られて先に行かれた時に仕返しに抜き返してやった時以来だしな。
まあでも、自分でもこの状態で話すのは苦痛だと思ってたところなので、胸に手を当て息が落ち着くのを待ってから再び口を開く。
「……でもそれって勘違いじゃないの?」
「勘違い? どういうことですか」
「気配を感じるとかそんな歴戦の戦士が言うような曖昧な理由で逃げてるけど、今一特殊能力とか言われてもピンと来ないんだよね。それって単なる唯香ちゃんの勘違いかもしれないじゃん。そもそも本当に追われてるって確証が無いし――」
バンッ!
「……遠くから銃声が聞こえたから信じよう、逃げよう、先にいこう」
何、今の銃声だよね! こんなご近所で生の銃声聞いたの初めてだよ。こんな朝っぱらから、こんな街中で銃声が聞こえたってことは、やっぱり敵だよな。
しかし、特殊能力が危険だと判断した相手の位置を掴むことが出来るってとんだご都合主義設定だな。我ながら、悲しい構想力だ。
「……もう大丈夫なんですか、疾太さん?」
銃声が聞こえた時少し苦い顔をした唯香は、今はジト目で俺を見ている。
「まあ、大分回復はしたし歩いてなら移動出来るよ、歩いてなら」
「……危機感ゼロの逃走劇ですね」
唯香のジト目はより一層強いものになる。
今の銃声からしてもまだ近くまで来てないのは確かだろうし、今のところは走る必要も無いと思う。まあいざとなったら流石に走るけど。
「ハァ……分かりました。どうやら相手はまだこちらに気付いていないようですし、歩きながら移動することにしましょうか」
「やっぱ分かるねー、唯香ちゃん! 流石、将来の俺の嫁!」
「えっ……」
暫し呆然とした後、一気に顔を赤くする唯香。
「なっ、ななな、何言ってるんですか、疾太さん!」
「どうしたの唯香ちゃん、そんな顔赤くして? 俺なんか変なこと言っ――」
『流石将来の俺の嫁』、将来の俺の嫁、俺の嫁、ユーイズマイワイフ……。
「あっ……」
「あって何ですか! ていうか、何で疾太さんが悶えてるんですか!」
やばい、恥ずかしい。
ただ、たまにそんな想像をしてしまうから、疲れと疲労と倦怠感からつい口に出してしまった。俺は年下の女の子に何てことを言ってしまったんだ! 疾太、人生最大のミスだ。
「ととと、ともかく唯香ちゃん、それよりもう一つ聞きたいことあルンだけど」
恥ずかしさとその居た堪れない空気を紛らす為に話題を変えてみようと試みてみたものの、しまった。声が裏返ってしまった。恥ずかしいー!
「ははは、はいっ、何でショウか、疾太さん!」
だが、唯香もなかなか動揺しているようでそのことに気付くどころか、寧ろあっちも裏返っていた。
「……俺達一体どこまで向かってるの?」
一旦場を整えるようにゴホンと一回咳払いしてから、顔を真剣にして聞いてみる。
「あっ、そっちか……」
どっちだ。
というか、何故この子はまた顔を赤くして身を悶えさせているんだ。
しかし唯香がしばらくそれを続けた後、その周囲を燃やさんばかりで上気していた顔も、赤みが引いて真剣なものになった。
「そうですね……。明確な目的場所というのは無いんですが、出来れば人目の多いところが良いでしょうか。人を隠すなら人の中って言いますし、人混みの方が見付かる可能性が低いでしょうから。それに、敵も流石に人気が多いところでは襲ってこないと思いますし」
「なるほど。となると日中は大丈夫そうだけど、危険なのは夜か……」
「そうなりますね」
まさか人気の少ないところで野宿なんてしたら、銃持った敵もそうだがまず銃持ったポリスに捕まるだろうし。
そこら辺は考えないといけないな。
「まあ、分かったよ。それじゃあ、とりあえず人気の多いところ――そうだな、ここら辺なら街中か。に向かおう」
「賛成です。――あっ、それから疾太さん。必要時以外は携帯の電源を切っといてください。いざって時の為に電力は取っておいた方が良いですし、重要な場面で鳴ったら大変ですからね」
「オッケー。んじゃあ行こうか」
そうして俺らの目的地は決まりそこに向かうことになった。
しかし何だ。さっきまでは現状に頭が追い付かなかずただ困惑していただけだったが、頭が整理出来た今は、意外と俺はこの銃持った敵に狙われているというシビアな展開に気落ちしていない、どころか寧ろ楽しんでいることに気付いていた。
それはやっぱり、唯香曰く俺の妄想で生まれた敵に追われるという一見シュールなシチュエーションによる部分も大きいが、何より大切な女の子を守る為に奮闘するというのは男が一度は望むことだからだろう。




