鏡の中の女王
とある貧しい村の外れに、一人の娘が住んでいた。名をマルタ。
日々土にまみれる農家の娘で、太陽より早く起きては畑を耕し、日が沈むと寝るだけの毎日だった。
勤勉によく働いたが、一家の暮らしは一向に良くならない。
気立ての良い娘だったが、なかなか嫁に欲しいという男も現れなかった。
「マルタ、顔立ちはそれなりに綺麗なんだけどねぇ」
「痩せりゃあ、きっと美人かもしれないけれど」
誰もがそう口にしながら、心の中では笑っていた。
貧しいのも、貰い手が無いのも、マルタを見れば一目瞭然。
肉に埋もれた首、二重三重の顎、腕は丸太、足はまるで生ハムの原木を束ねたよう。
マルタはただの脂肪の塊。
いつも大きな巨体を揺すりながら歩き、動いた以上に食べるので、育つ育つ。
一家で稼いだ金のほとんどが、マルタの血となり肉となっていたのだ。
ある日、世界の秩序を揺るがす事件が起こった。
かの高慢ちきな王妃の日課は、自分専用の魔法の鏡に自分の姿を映して眺めること。
そして、魔法の鏡との問答を楽しむこと。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」
「もちろん王妃様にございます」
いつもなら、鏡はそう答える。
王妃は鏡に映る自分こそが美の象徴。そう思い込んでいた。
しかしその日、鏡は言った。
「世界で最も美しいのは……北の貧しい村の娘、マルタにございます」
「……誰それ!?」
いつもと違う回答に、妃の顔から血の気が失せた。
「もう一回聞くわ!世界で一番美しいのはだあれ?」
「世界で最も美しいのは……王妃様ではなく、マルタにございます」
どこぞの姫でもない。高貴な貴婦人でもない。
聞いたこともない、どこの馬の骨とも知れぬ田舎娘が『美しい』など、絶対にあってはならぬこと。
妃は部屋の外で控えていた家臣を呼びつけると、大声で命じた。
「ここに呼びなさい。その……『マルタ』とかいう娘を探し出して!私より美しいなんて許せない!」
「ははっ」
「ギッタギッタのメッタメッタにするのよ!」
その日から、家臣たちによる懸命な「美しいマルタ」探しが始まった。
「マルタという美しい娘を知らぬか?」
「美しいマルタ??」
「美しい娘は知っているけど、マルタではないね」
「マルタといえば……」
困難を極めたが、ひと月後、ようやく家臣らの尽力によって、マルタは発見された。
「ようやくみつけたのね」
マルタを連れてきたと聞いて、王妃はどす黒い感情を抱きながら王宮の広間に向かった。
しみ一つない白壁、磨かれた床の大広間に、まるで土から掘り返したばかりの芋のような、浅黒く汚れたマルタが一人ポツンと突っ立っているのは、まさに異様な光景だった。
理由も告げられず、みすぼらしい泥だらけの普段着のまま、たった一人馬車に揺られて王都まで連れて来られたマルタは、落ち着かない様子で待たされている。
時々フゴッフゴッと鼻を鳴らしては、服の袖で鼻水を拭っている姿を見て、家臣たちは目を覆った。
「誰だ、探してきたのは」
「探したけれど、マルタという娘はアレしかいなかったって」
「違う村じゃないのか?」
「そう思って範囲を広げて探したけど見つからず、とうとう国境に出てしまったらしい」
家臣たちは目をこすってもう一度見るが、どう贔屓目に見ても美人と呼べる雰囲気ではなかった。
「顔立ちはともかく、肉厚が……」
ようやく見つけたマルタを見ようと広間にやってきた王妃だったが、伝説の聖女と同じ名から想像できるような見目麗しい少女はいなかった。
「おかしいわね。美女のマルタがいるはずなのだけれど」
視界の中央に存在する「山」を懸命に見ないようにしていたが、とうとう目が合ってしまった。
「ごきげんよう、お妃様。あたしがマルタよ」
マルタは不敵な笑みを浮かべていた。
着飾った王妃の姿を見ると、口角をぐいっと上げ、舌なめずりをして見せた。
妃はその姿を見て、目を剥いた。
「な、なによ……あの肉の塊がマルタ……!?」
驚く妃に、マルタはニチャーッっと糸を引くような愛想笑いを浮かべ、家臣たちは思わず目を伏せた。
糸のように細くなった目が、ぷっくりと盛り上がった頬の脂肪の陰に埋もれ、代わりに吸い込まれそうな大きさの口が開いた。
作り笑いを浮かべるたびに、分厚い唇がぶるぶる震える。
あえて言葉を選ぶなら、おぞましいという他無かった。
「あれのどこが美しいの!? 私を美しいと言ってくれていた魔法の鏡は、壊れてしまったの!?」
その怒りは激しく、ハンカチを咥えて歯ぎしりすると、勢いで引きちぎってしまった
側近たちは青ざめて言葉を失っていたが、一人の年老いた家臣が、恐る恐る口を開いた。
「恐れながら申し上げます。お妃様、あの娘を……魔法の鏡に映してご覧になっては?」
「はあ、お前何言ってんの!?」
「お妃様の鏡に映せば、真偽は明らかになりまする」
家臣は恐怖におびえ、全身をぶるぶると震わせながら、妃に訴えた。
妃は歯ぎしりしながらも、頷いた。
「……いいわ。ここに鏡を持ってきなさい!」
妃の部屋から、ベールに覆われた魔法の鏡が、家臣4人がかりで謁見の間に運ばれてきた。
「鏡よ鏡、この者の姿を映しなさい」
王妃がベールを取ると、鏡はゆっくりと光を帯び、マルタの姿を映し出した。
「ようこそ、世界一美しいマルタ」
魔法の鏡は輝いた。
「え、ええええ!?」
鏡に映し出されたマルタの姿に、家臣たちは言葉を失った。
確かに鏡の中に現れたのは、豊満にして艶やかな絶世の美女。
柔らかな肉がしなやかに流れ、頬はバラ色、目元は甘く切なく微笑んでいた。
「え、うそ……あれが……マルタ……?」
妃はその場にへたり込んだ。
「なぜ……あれほどのデブが……」
進言した家臣が苦しげに口を開いた。
「……実は、あの鏡……かなり強い凹面鏡でして。お妃様が美しく見えるのも……すべては、太っているから……」
「な……何ですって……!?」
「つまり……この鏡、実は極度の肥満体を美と認識する、極めて特殊な……『デブ専』の鏡にございます」
「で、デブ専……」
王妃の心は砕けた。
これまで魔法の鏡に映る自分だけを見ては「美しい」と信じてきた。
だがそれは、現実から目を背けた、ただの幻想だったのだ。
まっすぐ前を向き、自分の足元は見ないようにと、自分自身を見ることを避けてきた王妃だったが、マルタの現実と鏡の姿を見て、ようやく気付いた。
「普通の……普通の鏡を持ってきて……」
誰かが壁にかけられていた鏡を表に返した。
王妃が真実の姿に気付くことを恐れて、普段は裏返していたのだ。
妃は恐る恐る震えながら、普通の鏡を覗き込む。
考えてみれば、嫁いでから魔法の鏡以外で自分の姿を見た記憶がない。
「!!」
言葉にならなかった。
贅肉に押し潰された目元、濁った瞳、血色を失った顔色。
鏡の中に映っていたのは、ただの、ただの激しく太った中年女だった。
太さはマルタほどでは、ないけれど……。
「……ああ……私……美しくなんかなかった……ずっと……ずっと……!」
彼女はその場に崩れ落ちた。
鏡の中の「真実の自分」を、もう直視することはできなかった。
その時、ぐぐぅぅと牛が鳴くような音が広間に響いた。
「私、おなかが空きましたわ。御用が済んだなら、お食事にしたいのだけれど」
マルタは山ほどの食事を与えられると、自分をやたらとほめちぎってくれる魔法の鏡を土産に、ホクホクのえびす顔で村へ帰っていったとさ。




