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そこ、にいる

作者: 桔梗
掲載日:2026/07/08

夜の〇〇ダムには、音がない。


波もない。風もない。虫さえ鳴かない。

まるで、水そのものが呼吸を止めているようだった。


少年はスマホを手に、湖岸のコンクリートの端にしゃがみこんだ。

生配信中のスマホの画面には視聴者からのコメントが流れている。



「マジで行ったんか!w」

「やばw 夜の〇〇ダムとか、マジで呪われるぞ」

「例のやるんでしょ?」

「なんか、そのダムって、昔は村があったらしいね」

「え、埋め立てられたってこと?」

「なんかやべーな」



画面の奥、薄い霧が湖面にかかっている。

山の影が歪んで揺れて見える。


少年はにやりと笑って言った。



「じゃあ、今から配信やるね。今日の配信は、心霊スポットでお馴染みのここーー〇〇ダムです。ここで声が聞こえたら、三回目までは無視する。四回目に振り返ると幽霊に会えるっていう都市伝説が本当か、試してみたいと思います!」


少年は立ち上がり、湖に背を向けて、静かに目を閉じた。


**


ーー十分

ーー二十分。

ーー三十分。


何も起こらずに、視聴者数は次第に減っていく。

バカバカしいという視聴者が抜けていくのだ。


そのときだった。


「……ねえ」


少年は肩を震わせて、声を出さずに笑った。

スマホを少し持ち上げて、実況を続ける。


「……みんな。今、なんか聞こえた気がする……けど、まだ一回目。ルール通り無視していきます」


ーー沈黙。


「……こっち、見てよ」


今度は明確に聞こえた。

男子どもと女の中間のような、湿った声だった。

まるで、水の中から響くような、くぐもった響き。


「……これはヤバいな。ちょっと背筋ぞくっときた。けど……まだ二回目。もう一回、聞こえるまで無視するね」


次第に霧が濃くなる。

気温が落ちてきて、吐く息が白い。


そして、三度目の声が聞こえた。


「……なおや、くん」


少年の背がわずかにこわばる。

スマホのカメラが微かに揺れる。


「……今……名前……呼ばれた」


その瞬間、コメント欄がざわつく。


「え?今、映ったよね?」


「ねえ、水の中ーーなんか光ってない?」


「うわ!まじで映ってるじゃん!」


コメントを見て、少年は振り向きかけた。

その時、四度目の声が、すぐ耳元で囁かれた。


「……待ってたよ」


直後にスマホは地面に落ち、カメラは月明かりに照らされた湖面を映し続ける。

そして、ゆっくりと――何かが、水面から“浮かび上がって”くる。


それは、濡れた髪の少女だった。

顔は白く、目だけが大きく見開かれ、笑っていた。


その背後に、水の奥、朽ちた柱と、屋根と、瓦が揺らめいている。


沈んだはずの村。

その家々の中に、灯りが一つ、二つと、点っていく。


まるでーー帰ってきた子どもを迎えるかのように。


***


翌朝、視聴者の何人かが〇〇ダムを見に行ったらしいが、少年のスマホだけが湖岸に落ちていたそうだ。


電源は生きており、アーカイブ動画が保存されていた。

再生すると、ラスト数秒ーー水面に浮かぶ映像の中で、カメラが小さく揺れた。


その奥で、カメラ越しに何十という顔がこちらを見上げている。

全員が歯を見せて笑っていた。ただ、笑っていた。


それを最後に、再生は止まった。

動画は、それきり再生できなくなった。


今でも、夜の〇〇ダムには光が灯ることがあるという。


もしかするとーー水底の村の住人たちが、今でも誰かの帰りを待っているのかもしれない。

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