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9.神獣

 暗闇の中、荒々しい怒声と吠え声があちらこちらから聞こえる。

 イェルドの周囲に灯りはない。月の光と音、気配を頼りに戦うしかない。

 イェルドは目を閉じ、余分な感覚を断つ。肌で感じる冷たい風と手に握る剣の重量、そして耳に入ってくる傭兵たち、岩狼たちの声と足音がより鮮明になった。

 右から軽い足音。四本の足で冷たい岩の地面を蹴る足音が聞こえてくる。荒い息遣いも鮮明になる。

 タッと軽く地面を蹴る音がした瞬間、イェルドは素早く剣を振るって岩狼の首を断つ。

 四方八方から飛びかかる獣たちを難なく躱し、いなし、命を刈り取っていく。

「キリがないな」

 剣の血を拭う暇もない。

 彼らは敵わないと悟ったのか、イェルドに近づいて攻撃を仕掛けるのを諦めたようだ。周囲を取り囲むように岩狼が集まっている。

 やがて、輪の中から先程の長が進み出てきた。

 対峙したその瞬間、イェルドは自分の体が総毛立つのを感じた。

――強い。

 見た目は通常より一回り大きい岩狼だが、明らかに他の個体とは違うのだ。何が違うのか、イェルドには分からなかった。ただ、内側から溢れ出る力を感じた。

「イェルド殿、お任せしても?」

 ティンバーの問いかけにイェルドは無言で頷く。彼は久し振りの禍獣の強敵を前に、魂の高揚を感じていた。

――待てよ。

 よく見ると、目の前の狼の尾は二つに分かれているではないか。

「――岩狼じゃない」

「岩狼では、ない?」

「ティンバー、あの尾をよく見てみろ」

 リドも尾を指して指摘する。尾はゆらゆらと揺れ、心なしか淡く発光しているようにも見える。

「あれは……あんな狼は見たことがない」

「俺もだ。ロワルス特有の種なのか?」

「イェルド殿!」

 イェルドは手を振って問題ないと知らせると、剣を構えて迎え討つ姿勢をとった。

 突如として狼がイェルドの視界から消える。

 咄嗟に左に飛び退くが、間に合わない。イェルドは右肩に鋭い痛みが走るのを感じた。爪が肩を引き裂いたのだ。

「――速い」

 痛みを気にする暇もなく、次の攻撃が襲いかかる。

 イェルドはたちまち防戦一方になってしまった。攻撃の直前の僅かな殺気と気配を正確に察知するしかない。ひたすら守りに徹するのは人間相手には多少有効だが、体力が桁違いの獣には悪手と言わざるを得ない。

 魔術は発動が遅すぎる。剣で切り抜ける以外他にない。

――獣との戦いを人間とのそれと同じやり方でやる必要はない。

 狼が再び走ってくる。その音を聞きながら、イェルドは再び目を閉じ、本能に身を委ねた。

 身体の芯は熱く滾っている。

 頭は冷たく冴え渡っている。

 振り向きざまに剣を振るうと、剣が狼の鼻先を掠める。それを避けようと狼が飛び退いた。束の間、狼は後ろ足で地面を蹴ってイェルドに噛みつこうとする。

 開いた狼の口に咄嗟に剣を入れ込むと、狼は強靭な顎で剣を挟んで離さない。

――まずい……持っていかれる。

「あれはまずい! リド、加勢に!」

「無理だ、こっちもギリギリだ!」

「イェルド――」

 加勢に入ろうとするティンバーを、イェルドは横目で制する。

 力の均衡はすぐに崩れてしまうだろう。この獣の方が圧倒的に力が強い。

――仕方ない。

 イェルドは狼の額を見つめ、すっと息を吸った。何か考えがあるのか。そう、ティンバーが思った時だった。

 イェルドの唇が動く。

 瞬間、彼の手元から眩しい、青い閃光が迸り、狼が苦悶の声を上げた。

「イェルド殿ッ!」

「っ……大丈夫だ」

 そうは言うものの、イェルドの手には枝のような火傷の跡が走り、右腕全体が痙攣している。

「大丈夫なわけがない! あんな間近で閃光丸を使うなんて……危険すぎる!」

 ――イェルドが使ったのは閃光丸ではなかったが、同じようなものだ。

「確かに……払った代償に対して、見返りは小さすぎる」

 イェルドは湧き上がる威圧感を肌でびりびりと感じていた。

「寧ろ間違いだったようだ」

 イェルドはティンバーに狼の方を見るよう促した。彼が目を向けた先に居たのは、負傷した右眼を瞑る狼の姿だった。

 いや、そうではない。イェルドが示したのは――。

 二又の尾を持つ狼の身体から、紫色の光を伴う蒸気のようなものが発せられている。

 その光のおかげで、先程よりも狼自身の姿がよく見えるようになった。

 いや、しかし――――それは、狼ではなかった。少なくとも、ティンバーが知るそれの類ではない。

 何よりも違ったのは、その背中の毛が天を向いて逆立ち、月光を受けて紫色に輝いているということだ。そこから莫大な魔力の波を感じる。二本の尾の双方まで硬質の剛毛が地竜の骨板のように生えている。獣の筋肉が膨張し、身体が一回りも二回りも大きくなったように見える。

 ――――ォォォォオオオ……。

 響き渡る大音声。その咆哮を体感すれば、否が応でも思い知らされる。

 まるで足が地に縫い付けられたかのように、誰も動くことができない。

「――まさか、神獣……?」

 神獣――――この世においてそう呼ばれるのは、他の獣よりも遥かに強大な力を持った獣のみ。

 神獣は土地に強く結び付いている。明確な守護範囲を持ち、境界内で狼藉を働けば敵が出ていくか、死ぬまで追ってくる。

「おかしいですね。こんなところに神獣が居るはずは――そんな報告はなかったのに」

「新生かもしれない」

 生まれつき神獣としての素質を持っている獣もいるが、その土地で最も強力な獣が神獣に昇華することもある。

「何にせよ、ここは逃げるしかあるまい」

 背後から隊商の主たる商人の声が聞こえた。

「シオ殿!」

「うむ、すぐに先へ進む準備を。リドはあの神獣の注意を引いてくれ! 誰か、後方の隊に知らせに行く勇気ある者は!?」

 神獣の出現は一大事だ。ギルドに連絡して指示を仰ぐ必要がある。彼らの判断によってはここら一帯が封鎖される可能性もある。

 一拍の間を置いて、イェルドが言う。

「俺が行く」

 単独行動には慣れている。普段から隊商を共にしている五人の傭兵たちがいればこの場は切り抜けられるだろう。伝令は隊に慣れていない自分が引き受けるべき役割だ。

「イェルド……確かにお前さんなら安心して任せられる。よし、頼んだ」

 熟練の商人と傭兵たちの行動は早かった。すでに支度を終え、先頭は既に道を進み始めている。

「進めえぇーッ! すぐに出発だ!」

 シオの大声が響き、隊列は再び山道へと入った。

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