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8.野営

 その後、隊商は順調に歩みを進めた。

 弱い獣が道の途中にいることは多々あったが、護衛はみな優秀な傭兵だったので難なく切り抜けることができていた。


 やがて日は沈み、予定通りの地点で野営を構えることとなった。


 少し開けた場所で、風は入ってくるが、岩に囲まれていて寒さは凌げる。

 後ろの隊商も予定通りに追いついて、夜はちょっとしたお祭りのような賑やかさになる。

 だが、それもここまでだろう。これ以降山はどんどん険しくなり、休む場所もなくなる。道は狭く、馬車一台がなんとか通れる程度の幅しかない上、一歩横に逸れれば谷底へ真っ逆さま。そういう道が待ち受けているのだ。


「運が悪いですね。まだ雲の中だ。火を起こしてもすぐに消えてしまう」

「仕方ない。黒油を使いましょう」


 黒油は冷たい風が吹いてもそう簡単には消えない火を作り出す。その代わり火を維持するためには油を足し続ける必要がある。


「足しすぎるなよー。高いんだからなー。俺ぁ、積荷の奴隷たちに水を持っていくぜ」

「承知しています。どうぞ、行ってきてください」


 水のない場所では、焼くくらいしか調理の方法がない。今日の夕食として、傭兵の一人が弓矢で仕留めた岩山羊を焼くことになった。水がないので小麦のパンが主食となる。

 野営の準備をするティンバーの横で、イェルドは竹を削り出した串に刺した肉を焼きながら彼に尋ねた。


「あとどのくらいで着くんだ?」

「十日はかかりますね。目的地のノクサールナはロワルスを西回りに越えたさらに先です」


 ティンバーは剣の刃こぼれが無いことを確認するためにじっくりと剣を眺めつつ、イェルドに向かって言う。


「それにしても、先程の采配は見事でした」

「ああ――いや、すまなかった。出過ぎた真似をした」


 今日始めて隊商に加わった者が、何年も隊商で護衛をしている傭兵たちに指示を出すなど、本来は許されないことだった。


「いいんですよ。本当に助かりました。あのままでは私が禍鳥に黒焦げにされていたかもしれません。それに、どれほど熟練の傭兵であろうと、何年も一緒に戦った仲間との共闘であろうと、遅れを取ることは十分あり得る。相手は禍獣ですからね」


 ティンバーは剣に油を塗りながら話す。


「イェルド殿はどこかで傭兵隊長でもなさっていたんですか? とても素人の采配には見えませんでした」


 イェルドは何も答えなかった。

 答えを期待していたわけでもなかったので、ティンバーは構わず話し続けた。

 

「時期が時期ですから、禍鳥たちの気は立っています。正直、今回の荷はかなりの量なので厳しい道程になりそうです」

「だが、その分報酬は高いぞ」


 と、そこにシオが割り込んできた。


「そういえばそうですね。いつにもまして太っ腹なのは奴隷が積荷にいるからでしょうか。あの奴隷たちは戦争奴隷か何かなのですか?」


 ティンバーが尋ねると、シオはあたりを窺って他に聞いている者が居ないことを確認すると、話し始めた。


「まあ、隠すこともないな――」


 シオは少し嫌そうにため息をつき、言う。


「ありゃあな、ノクサルナの貴族に売るための奴隷がほとんどだよ。戦争奴隷もいるのかもしれんがな。でも、うちが懇意にしてる豪商の品を任されたんだ。しっかりやり遂げねばならんだろうさ」

「私は戦争奴隷だと思っていましたよ。ほら、アルリームで戦があったでしょう」


 アルリーム、と聞いて戻ってきたリドは悲しそうに顔を歪めた。


「ああ……ありゃあーひどいもんだったなあ。なんだって、何も悪くない民を何百何千と殺さにゃならんかったんだ。そんなことに意味はないってえのに」

「……そうだな」

 あの戦からはもう何ヶ月も経っている。しかし、未だにアルリームの民と思しき難民はよく見かける。

「それは……やはりサヴィルでしょうか。最近はサイカやディグリデギルドもきな臭い動きをしていると聞きましたが」

 ティンバーが挙げたのはどちらもこのあたりで規模の大きい傭兵ギルドだ。多くの傭兵団を抱えているが、ティンバーやリドは傭兵団には属さずにいる。

「サイカというのは、俺たちが会った組合の名前か?」

「そうですね。私は長い間そこで依頼を取ってますが、そういう黒い噂は聞いたことがありません」

「だが、大きな組織ほど腐敗は見えにくいものだろう」

 ティンバーは意外だとでもいうようにイェルドの方を向いた。

「確かに、それも一理あります。あなたは案外慎重派のようだ」

「案外とは? 俺のどこに大胆さを見出したんだ?」

 ティンバーは串をくるくると回して肉の焼け具合を確認しながら、少し考えて言った。

「なんとなく、一度剣を交えたときにそう感じました」

「ああ……」

 イェルドはあの対決のことを持ち出されるとなんとなく居た堪れない気分になった。よく手入れされた金属の兜は黒油の火を反射するばかりで、ティンバーの表情は少しも分からない。

「あれは、なんというか…………」

 あの積極的で隙だらけな攻撃は明らかにティンバーの反撃を誘ったものだと、彼自身も気づいているはずだ。

 イェルドには、彼のような名のある傭兵を利用したことを大胆と評したように聞こえた。

「ははっ、お気になさらず。あのことなら、私はまったく気にしていません」

「……すまない。愚弄しようという意図はなかった」

「もちろん、分かっていますよ。ただし、いつかまたの機会に、お願いしますよ」

 侮辱した訳では無いと分かって貰えていたらしい。つくづく度量の大きい武者だ。

 イェルドは心中で感謝しつつ、いずれまた剣を交えることになるであろう相手を見据えて答えた。

「ああ、もちろんだ」

 二人の話を聞いていたリドが、今度はシオにのんびりとした口調で尋ねる。

「それはそうと、どうしてそんな依頼を受けたんだあ? 豪商とはいえ、あんたもそこそこの立場だろうー?」

 シオは答える。

「ひとえに報酬が高かったからだ。奴隷商は儲かるものだ。それに、お前たちがいれば安心だろう?」

「過信は禁物ですよ。私達は所詮、金で繋がっているだけなんですから」

「ハッハッハ! 寂しいことを言うなあ」

 シオは楽しそうに笑った。

 しばらくして、あたりに香ばしい匂いが漂い始める。

「そろそろ良さそうだな。おーい!」

 シオが大声で他の傭兵や商人たちを呼んだ。

 傭兵たちは夜の間交代で見張りをする。そして翌日もまた険しい山路を歩き続けなければならない。だからこそ、食事は隊商においてとても重要だ。

 各々が自分のパンと肉の塊をナイフで取り、円形に座って食べる。道具の損耗や道程の確認をみんな一緒になってするためだ。

 イェルドがちらりと隣の様子を伺うと、ティンバーは頭の鎧をほんの少し上げて差し込むように肉を食っていた。

――なるほどな……。

 もはや感心するしかない。顔を隠しているのは別に悪いことではない。ここでは実力こそすべてなのだから。イェルドは彼の徹底ぶりに嘆息しつつ、自分に割り当てられた分を片付けにかかるのだった。




 ◆




 イェルドは夕食後少しの間仮眠を取った後、見張り役を引き受けた。

 いつの間にか雲は晴れ、白砂をばら撒いたような星空が見える。体にマントを巻きつけるようにして座っても、自然と体が震えてしまう程に風は冷たい。

「寒いのは苦手ではなかった筈なんだがな……」

「イェルドは、北の出なんだろー」

 隣に座って共に星を眺めるのは巨人族のリド。見張りは二人ずつと決まっている。

「ああ、一応はそうだな」

「北の国ってぇと、ノクサルナとかか?」

「ノクサルナではない」

 リドは言い出し辛そうに身を揺する。そうして少しの間逡巡した後、言った。

「…………もしや、と思ったんだ。イェルドの出身はアルリーム王国なんじゃあないかー?」

 イェルドは思わず口を噤んだ。ここで黙れば肯定と捉えられてしまうだろうことは分かり切っていたが。

「……安心してくれえ。たとえあんたがアルリーム人だろうと誰にも言ったりしねえよ」

 アルリーム王国。それは、少し前に王都が陥落して滅んだ国だ。今はサヴィル王国の統治下にある。

「リドは今回の戦争には参加しなかったのか?」

 イェルドは今回の戦でサヴィルが大金をはたいて傭兵をかき集めていたことを知っていた。一方、アルリームの側にそんな資金はない。そういう点で、彼らの敗北は明白だった。

「道理のない侵略戦争に加担するのは、性に合わないからなあ。それに、あの頃俺ぁまだサヴィルに居たんだ。叶うなら、アルリームの人たちを助けたかったんだがなあ……」

 その表情の意味するところは何か。怒り、あるいは悲しみにも見えた。

 巨人族は特にどこかの国に属することはないが、彼ら自身の王は存在する。自由奔放といえばそうだが、一度身を固めれば家族を最も大切なものとして家族の為に生きるようになる、とイェルドは聞いていた。

 彼ら自身、しっかりした信条をもっているのだろう。侵略を良しとしないのは確かだ。

「……あなたは優しい心を持っているのだな」

「そうかあ。優しい、かあ……じゃあ俺ぁ、傭兵には向いていないのかもしれないなあ」

 イェルドは何も言えなかった。向いている、向いていないで仕事を選べるような世の中ではない。それをリドも承知しているのだろう。

 イェルドは空を見た。遠く、美しい星空だ。永遠に手の届かない美しさ。

「何か悩みでもあるのかあ?」

「……敵わんな」

 先ほども思ったが、このリドという巨人族はのんびりとした話し方の割に核心を突いたことを言ってくる。鋭い洞察力も持ち合わせているようだ。それでいて嫌味にならないから、慕われる人間なのだろうということがわかる。

「リド。貴方はもし、苦しんでいる者がいれば誰であろうと助けるのか? それが自分にとって致命の不利益になるかもしれなくても、だ」

「俺ぁ、助けるだろうなあ」

 リドは迷わずに答える。

「なぜだ? なぜ自分の不利益を顧みず他者に手を差し伸べることができる? 昼間のこともそうだ。ここではいいかもしれないが、他所の隊商であんなことをすれば貴方が後ろ指をさされることになろう」

「禍者だろうとそうじゃなかろうと、誰にだって未来がある。特に子どもにはな」

 イェルドは少し黙ったまま考える。

「子どもは等しく愛を注がれるものでこそあれ、悪意に苦しめられるものじゃあない」

「そんなことは理由にならない」

 イェルドの指摘にリドはハハッ、と笑う。

「そうかもしれんなあ。でもな、イェルド」

「なんだ」

「誰も助けてくれない。そんな世界から見放されたような子に、自分ひとりくらい助けてやらにゃあ可哀想だろう? 理由なんてそれだけで十分じゃないか?」

 イェルドは答えることができなかった。理屈は通っていないが、何か、胸の奥の突き刺さるような言葉だった。

「この世のすべての子どもらを救うことはできねえども、目の前の一人くらいは助けたい」

「案外、自分勝手なんだな」 

「上等よ。偽善だなんだと言えばいい。自分の本心から目を背けて生きるよりはましよ。おまえはどうなんだあ? イェルドよ。おまえが何に悩んでいるのかはわからんが」

 イェルドは黙ったままだった。奴隷のいる荷車の方から鎖の金属音が聞こえる。

 否応無しにあの少女のことが思い出される。あの虚ろな、生気のない目をした少女のことが。

「イェルド、おまえは昼間、俺が翼人を助けようとした時、手伝ってくれただろう? お前だって、そういう優しさを持ってるんだ。気付かないだけさあ」

「あれはそのほうが隊商全体のためになると思ったからだ。あんな場所で傭兵や商人の間にわだかまりを作るわけにはいかなかった」

 イェルドの言葉を聞くと、リドは呆れたように大きなため息をついた。

「自分に嘘を吐き続けると、いつか取り返しのつかんことになるぜー」

 そう言うだけの理由があるのだろう。リドは神妙な面持ちで星空を眺めていた。

「俺は――」

 何か言いかけて、イェルドは止めた。もう真夜中だというのに、荷車のほうからまた音が聞こえたのだ。

「様子を見てくる」

 立ち上がり、イェルドは荷車のほうへ向かう。逃げられては困るが、こんな山の途中で逃げても生き延びることはできないだろう。

 奴隷の荷車は木の格子に布を張っただけの粗末なつくりだ。八人もの人間が詰め込まれるのには狭すぎる荷車。しかし、大きすぎる荷車は狭い山道ですれ違うことができない。

 イェルドは布の継ぎ目をそっとめくって荷車の中を覗いた。僅かに月光が入り込み、中の様子が少しだけ見える。金色の髪をした奴隷が辛うじて見える。まだ幼い少女のようだ。その他の奴隷も皆眠っているようだった。誰かが身動きして音を立てただけだろう。そう思ったその時だった。

「――!」

 冷たい夜風に混じって、禍獣のにおいがする。

「リド、これは……」

 言いかけた瞬間、リドはそれを手の動きで静止した。ゆっくりと立ち上がり、あたりを窺うように見回す。

 イェルドもまたあらゆる感覚を研ぎ澄ませる。風の音、旗がばたばたとはためく音、木製の馬車が軋む音――その中に、彼もまたリドと同じものを感じ取った。

「……イェルド」

「ああ、まずい。囲まれてる」

「クソっ、さっきまでの霧のせいかまったく気付かなかった」

「俺もだ」

 小さく悪態をつくが、その目は暗闇の中の一点に据えられている。

「イェルド、みんなを起こしてきてくれ」

「ああ」

 イェルドはシオや傭兵たちを起こして回った。イェルドの頭の中では疑念が渦巻いていた。

――なぜだ。なぜ、こんなところで?

 不自然だった。ロワルスの禍獣は強力なものが多いが、積極的に襲ってくることは少ないし、ましてや群れを成すなど以ての外だ。

 イェルドが隊商の皆を起こして戻ると、リドと姿の見えない禍獣たちはまだにらみ合っていた。

「……刺激しすぎてしまったようだ」

「ティンバーか。数が多かったから、おかしいとは思ったが……まさか岩狼が群れを成すとは」

 リドはティンバーが来たことで少し緊張が緩んだようだ。本当にいい二人組だ、とイェルドは思った。

「食べ物を狙いに来たのか、それとも縄張りを侵したことへの制裁か。どちらにせよ見逃してはくれなさそうですね」

 他の個体より一回り大きな岩狼が、小高い岩場に登り出た。その姿が、晴れた空の月の光に明々と浮かび上がる。

 その、群れの長と見える狼が短く一声、そして二声と吠える。

 開戦の合図だった。

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