7.翼の子
岩だらけの道を進み、日も南中に差し掛かろうという頃だった。
ティンバールートが真っ先に声を上げた。ほぼ同時にイェルドも気づいていた。
「皆さん、気をつけてください。魔鳥です」
イェルドは目を凝らして上空を飛ぶ鳥の姿を捉えた。明らかに通常の鳥よりも大きい。
ところどころ白い斑点の混じった焦げ茶色の体毛と猛禽に良く似た姿が雲の隙間を行き来している。時折、雲間から見える青白い閃光に遅れてバリッ、という鋭い音が聞こえる。
「雷翼鳥――数は二だ。面倒な相手だな」
とさかのような器官から雷のように雷撃を発射し、相手を遠距離から攻撃して仕留める厄介な魔物である。
「金属の装備は危険だ。下がっていたほうがいい。俺が弓で――」
弓を構えようとするイェルドをリドが静止する。
「待ってくれ、イェルド。誰かいるぞ。奴ら、俺たちを襲いに来ねえ」
言われてみればそうだ。雷翼鳥は縄張り意識の強い生き物のはず。それが、これほどまでに近づいても襲ってこないということは、何か他のものに気をとられているのかもしれない。
「あ、あれは––」
イェルドはそれが何なのか理解した。
隊商の誰かが言う。
「なぜ、こんなところに……」
禍獣と戦っているのは人だった。いや、戦っているというよりは必死に逃げているというほうが正確だろう。
それも、ただの人間ではない。背中に翼の生えた人間。有翼人だ。
そしてそれは――子どもだった。
シオの息子のセノは苦い顔になり、そして視線をシオのほうに戻して言った。
「――行きましょう、父さん。鳥の目がこちらに向かないうちに……」
言い終わらないうちに、イェルドの横から巨体が飛び出していった。僅かな迷いもない目だった。
「リド! 何を――」
イェルドが叫ぶ。
しかし、彼は止まらない。セノは困惑していた。
「なぜを助けようとするんです? やつは……禍者なのに」
イェルドも困惑していた。人を裏切った禍者である有翼人を助けるなんて常識的に考えればありえないことだ。
答えたのはティンバールートだった。
「彼はそういう性格なのです。すみません、シオ殿。お許しください」
「構わんさ。今に始まったことではない」
ティンバールートは頷き、リドを追って駆け出す。
「……仕方ない」
イェルドも剣をとり、馬を降りて駆け出した。この岩場では馬は使えない。
空に目を向ける。有翼人は必死に逃げ惑っているが、飛び方がどうもおかしい。
――怪我か? 左の翼を庇って……。
その時だった。また閃光が走り、今度はほとんど同時にバリッという音が聞こえる。前方上空を見て、イェルドは顔をしかめる。
「クソっ、まずい」
直撃だった。電撃をもろに食らった有翼人は力尽きて落下する。何度か羽ばたこうとするが、もう自分の身体の制御がきかないようで、ふらふらと塵のように落ちていく。こちらの姿が見えているかも怪しい。
一番早くたどり着いたリドもその人間をつかまえることはできず、落下した地点へ一目散に向かっていく。
イェルドは二人の傭兵の後ろから大声で叫んだ。
「リド、翼人はティンバーに任せて魔鳥をやれ! 俺がもう一体を引き付けてやる!」
リドは少し驚いたが、すぐにニヤリと笑って答える。
「――おう! ティンバー、頼んだぞ」
イェルドは少し離れたところまで走り、鳥がある程度まで近づくと、手に魔力を収束させる。
彼は小さく呟く。
「フレッタス・イキュア・バハル」
手の先に水が現れ、空中で矢へと形を変える。水は最後に言葉で瞬時に凍りつき、鋭い氷の矢となる。
「ラピーシュ・アセーレ」
そして、さらに放った言葉によって氷の矢は空中で急加速する。
かっ飛んだ氷の矢は一匹の雷翼鳥の翼を貫いた。思わぬ方角からの不意打ちに、魔鳥は絶叫し、翼をばたつかせる。
『ギャアアア――』
鋭い叫び声とともに、怒り狂った雷翼鳥はイェルドをめがけて突進してくる。
頭のとさかのような器官から雷を乱れ撃つが、イェルドはそれを難なく躱してのける。
「かかって来い」
我を忘れた雷翼鳥は直接攻撃をしかけようと、獲物を捕らえる鉤爪をむき出しにしてイェルドに空中から襲いかかる。背の高いイェルドはその鉤爪をかわしつつ、魔鳥の片方の脚を掴んで地面に叩きつけ、そのまま剣で心臓を貫いてとどめを刺した。
イェルドはリドのほうを見る。彼は狙いを定めると、長い腕をしならせて凄まじい勢いで石礫を投擲した。数十の石が滑空する雷翼鳥を襲う。身体の大きい雷翼鳥にとって、致命的な攻撃だった。全てを避けきることはできず、いくつかの石が胴、翼、そして頭を打ち、雷翼鳥は気絶して落下した。
リドは雷翼鳥の心臓を剣で貫いてとどめを刺す。
イェルドはもう一方の雷翼鳥の翼に突き刺さった氷を引き抜き、投げて岩の陰に捨てた。剣の血を拭って鞘に収めたところで、イェルドが歩いてくるのに気づいた。
「イェルド、助かったぜー」
「何のことだ」
「おまえの指示は的確だったぜ」
イェルドはそこで気付いた。本来自分はこの隊商の新参者で、こういう指示を出すのはティンバーの役目だっただろう。
「悪いことをした。出しゃばるべきではなかったな」
「いいや、これで良かった。金属の鎧は雷と相性が悪すぎるからなあー。そんなことより、それは魔術でやったのかあ?」
リドはイェルドが仕留めた魔鳥の死骸を見て目を丸くした。
「いや、違う。襲ってくるところを剣で叩き落とした」
リドがまた何か言わないうちに、イェルドはリドの技を褒める。
「俺も貴方のあの投擲には驚いた」
「いんや、俺なんて大したことねえさ。ただの力任せの荒業よ。本当にすごいのはイェルドみたいな奴よ。剣がそれほど使えるなら、どこかの王国騎士にでもなっていそうなもんだけどな……」
「――無駄口はここまでにしよう。あの翼人が心配だ」
「そうだな。行こう」
イェルドとリドは駆け足で翼人が落下したと思われる地点に向かった。
「ティンバー! 大丈夫か! あの翼人は――」
リドの言葉は途切れた。イェルドも彼に追いつき、翼人を目に留める。
ティンバーの膝下いる翼人は力なく横たわっている。確かに若い――子どもの翼人だった。
薄っすらと目を開き、翼を持ち上げようとして呻く。しかし、もう一度翼を羽ばたかせることはできなかった。ティンバーは手袋を脱ぎ、そっと彼のまぶたをおろした。
「失礼」
イェルドは近づいてその翼人を観察した。頭から血を流し、翼は折れ、焦げている。それに、腕に剣で切ったような切り傷があった。微細な魔力しか感じない。もう、体から魂が抜け出して霧散してしまったようだ。
「リド、亡骸は置いていくしかありません」
「ああ。無念だが、仕方のないことだ」
リドとて分かってはいるのだろう。彼は俯き、岩場に翼人の亡骸をそっと横たえた。
悲痛な声でリドは呟く。
「ああ……残念だなあ。こんな小さい子が……もっと早く来ていればなあ……」
「……そうですね」
皆分かっていた。命が助かったとしても、この翼人はもう飛ぶことはできない。人の多く暮らすこの国では、禍者である翼人はどこへ行っても迫害されることだろう。
ここで死んだほうが良かったのだろう、とイェルドは思ったが、それを言いはしない。
この翼人はきっとここで鳥に食われて朽ち果てるのだろう。すぐにでもハゲワシが臭いを嗅ぎつけてやってくるはずだ。
三人は黙ってその場を後にした。
岩山には冷たい風が吹き渡っていた。
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