6.腕試し
大変遅くなりました。すみません。
その後、イェルドは二人についてまわり、装備と山の知識を大方身につけた。
実のところ、ここまでしてくれる傭兵仲間はなかなかいない。自分の得にならないことはしないのが傭兵だ。
仕事先の気候、地理、その地に特有の禍獣など――そういうことの知識は、自分で身を持って経験するか、誰かに教えを乞うしかない。自分から進んで教えようとする傭兵など滅多にいない。
日はあっと言う間に暮れ始め、多くの人は街の中心の小高い丘の上にある教会へ祈りを捧げに歩いていく。そんな中、流れに逆らって歩く影が三つ。
「今日はなかなか楽しめましたよ。また明日からよろしくお願いします」
「またなぁー。ギルド前で、待ってるぜー」
「今日はありがとう。こちらとしては非常に助かった。明日からもよろしく頼む」
気のいい傭兵二人組に見送られながら、イェルドは宿への道を歩いた。
ノクサルナ南の端に位置するこのデリットの街は、北国の一部とはいえかなり大陸中心の山々に近く、日はもう山間に沈んであたりは暗くなり始めている。
隊商の中継貿易地点であるここは、道に沿って様々な露店が出ていて、それを眺め歩くだけでも楽しいものだ。とはいえ、今は屋台を片付ける者が多い。
隊商は早朝に出発することが多い。というのも、夜になれば獣が徘徊するのが常だ。出発してから日が落ちるまでに距離を稼ぎたい。だから、傭兵や商人はみんな早寝早起きだ。彼らを主な客とする屋台は夜遅くまでやっていても利益が少ないのだ。
今は荷を積み込む者も多い。そんなわけで、朝夕の道は騒がしくなるのが常であった。
――あれは……。
ふとイェルドが荷積みの一団の中に見知った人影を見つけた。
「……シオじゃないか」
昼間に会った商人の男がその中に居た。その存在に何ら不思議はない。イェルドが意外に思ったのはその積荷のほうだった。
――奴隷も運ぶのか。
何人かの奴隷が手足を鎖で繋がれ、箱型の車に乗り込んでいく。逃亡を防止するため、鎖は一列に連続して繋がれている。しかし考えてみれば奴隷商がこのあたりに多いのも当然のことだった。ここからならロワルス山脈を越えるのが一番早いからだ。
荷車で奴隷を運ぶのは容易いことではないが、食料のように腐ったり、酒のようにこぼれて台無しになったりすることもなく、ものによっては単価が段違いに高い。
イェルドはそれを横目で見つつ、自分の宿に入っていった。
――――翌朝。イェルドがロワルス山脈の稜線への入口の関所に到着すると、いくつかの隊商と思われる群団があちこちに小さな塊をつくって旅の準備をしていた。
空は白み始めたばかり。早朝も早朝である。山々の中腹あたりに位置するこの関所には、朝霧がもうもうと立ち込めている。
昨日に比べれば涼しい天気になりそうだ。
「おーい、イェルドよおー。遅かったじゃねえか〜? 新人のくせによおー」
今やよく知った穏やかな声が群団のうちの一つから聞こえてくる。リドだ。
相変わらずのんびりとした口調だが、出で立ちは熟練の傭兵そのものである。彼の肌は少し褐色がかっていて、南方出身であることを伺わせる。長く伸ばした髭を顎の下で編んでいるので、勇ましく見える、が他の巨人族たちに違わず彼はかなり温厚な性格だ。毛色は光の当たり方によっては緑にも見える茶色で、人間の多いこの街では異彩を放って見える。
「よしなさい、リド。私達が早すぎるだけなので、気にしないでください。おお、いい馬ですね」
イェルドが引いてきた馬を見て、鎧に身を包んだ男は感嘆の声を挙げた。
ティンバールート――ティンバーの顔を、イェルドは今まで一度も見ていない。彼は四六時中金属の鎧を身にまとっているからだ。鎧や武具はよく手入れされているが、軽装が好まれる隊商の護衛において奇妙に見えるのは必然だ。
「これから山越えをするのには最高の馬です。どこでこんな馬を……?」
「貰い物だ。どこで手に入れたのかは俺にもわからん」
「それだけ立派な馬ならお主の巨体も支えうるな」
隊列の前方からシオが歩いてくる。因みに巨人族のリドは徒歩だ。巨人族の彼は体力があるし、歩幅が大きいので険しい山道で遅れを取ることもない。
シオはイェルドのところまで近寄る。
「前払いの銀貨一枚と銅貨十五枚だ。よろしく頼む」
「ああ」
今回の隊商の報酬は銀貨二枚と銅貨三十枚。九日間の行程の予定で、報酬は前と後で半分ずつの支払いだ。危険の伴う隊商の護衛では全額前払いか前後半分ずつのどちらかが普通だ。とはいえシオの隊商はもうこの行程には慣れているのだろう。
シオは残りの二人にも同様に支払うと、隊列の前方へ戻っていった。
三人で談笑していると、前方から「あと少しで出発だー」というシオの声が聞こえてきた。
「一応確認しておきますが、今回私達は一回目の角笛で出発です」
「おうよ」
「了解だ」
ここ、デリットからは日々十前後の隊商が出発する。ゆえに出発時間をずらさないと道が詰まってしまうことが多いのだ。
そして、最初の隊商は先駆隊と呼ばれる。獣に襲われやすいため熟練の隊商に精鋭の護衛がつく。
イェルドが小耳に挟んだ話では、彼の前に十五人ほどシオの隊商の希望者がいたらしい。みなティンバーとリドによってあっと言う間に叩きのめされて帰っていったようだが。
その後、後衛の護衛役三人が守備位置の確認にやってきた。三人とも南方特有の褐色の肌をしている。
「――じゃ、俺達が前衛だな。後ろは頼んだぞ」
「ええ、よろしくお願いします」
「天下のティンバー様がついてりゃ今回は余裕ってもんだな」
「……油断は禁物ですよ。そういう時に限って、とんでもない禍獣が現れるものです」
「ははっ、もちろん気をつけるぜ」
三人が去ってもまだ少し時間が合った。イェルドがあたりを見回すと、昨日見た積荷が目に入った。
「どうかしたか、イェルド」
「いいや」
最近はどうも奴隷と関わることが多いようだ。彼は先日のあの少女のことを思い出さずにはいられなかった。
――ブオオオオ。
出発を知らせる角笛の太い音色が朝の冷たい空気を揺らした。霧の中から聞こえる角笛は不気味ながらも荘厳さがある。
「先駆隊、出発だ!」
「おう!」
長い隊列のあちこちから掛け声が上がる。傭兵六人に商人が四人。総勢十名ともなればなかなかの大所帯である。商人頭であるシオとその息子が一番前の馬車二台を引いている。そこにティンバーがつき、その後ろの車の護衛をイェルド、そのまた後ろをリドが受け持つ。
「イェルドさーん!」
大声で呼ぶ声が聞こえて振り返ると、そこにいたのはナルフィーネだった。相変わらず頭巾で顔は見えないものの、大きく手を振っている。
「お元気でー! またどこかで!」
少し前に知り会ったばかりなのに、大げさな別れの見送りに来る理由がイェルドにはわからなかった。イェルドはひとまず手を振り返しておいた。
イェルド、ティンバー、リド以外の三人は先行して獣を探す役割だ。交代で二人ずつ百歩ほど先まで確認する。獣を相手より先に発見し、勘付かれずに戻ってくるとなると、ただ単に戦って打ち倒すのとは全く異なる技術と装備が必要となる。現に、三人は今回身軽で岩肌に擬態できる装備を着込んでいる。
「おい! 獣だ、岩狼が出た。三匹だ」
早くも先行した二人が戻って来た。それを聞いて、傭兵隊の長であるティンバーが指示を出す。
「イェルド殿、手筈通りにお願いします」
「了解」
昨日の準備の間にティンバーとリドと三人で話し合ったことには、二人はイェルドの獣との戦いを見たいらしい。
イェルドは走って隊列の前方へ向かった。今回、傭兵たちは馬に乗っていない。道が険しく、すぐに使い物にならなくなるからだ。車を引く馬は山を越える体力のある種だけを選んで引かせているらしい。
「あそこだ。岩の上と、その右。あとはあの岩の影にもう一匹」
イェルドは静かに歩み出て、剣を抜いた。
岩狼たちは彼の接近に気づき、緊張感を露わにする。
最初の狼が、低く唸りながら大地を蹴り、傭兵に飛びかかった。その動きは素早く、獲物に食らいつくための本能的な殺意に満ちていた。傭兵は冷静だった。彼はわずかに身をかがめ、その一撃を紙一重でかわすと、瞬時に剣を振り上げた。銀色の刃が日光を反射し、狼の側面を深く切り裂く。狼は悲鳴を上げ、地面に転がり、血が岩にぱたりと落ちる。
しかし、残りの二匹は怯むことなく、左右から同時に襲いかかってきた。傭兵は素早く体勢を立て直し、迫りくる牙の嵐を剣で受け止める。ガキン、と金属がぶつかる音が響き渡り、火花が散った。彼は片方の狼の攻撃を剣で弾き、その勢いのままもう片方の狼の首元に剣を突き立てた。狼は苦悶の声を上げ、その場で絶命した。
残る一匹は、仲間たちの死に激昂したかのように、より一層凶暴な唸り声を上げた。その目は血走っており、傭兵への憎悪に燃えていた。狼は再び跳躍し、傭兵の喉元を狙って襲いかかる。傭兵は一瞬の隙を見逃さなかった。彼は狼の突進を受け流すように体をひねり、その勢いを利用して剣を大きく振り抜いた。鋭い刃が狼の胴体を一閃し、狼は力尽きて倒れた。
静寂が戻った。傭兵は息を整え、剣に付着した血を払い、布で拭ってからゆっくりと鞘に収めた。彼の顔に疲労の色はない。
それを見ていた隊商の商人たちは、あっけにとられて物も言えないようだった。
「すばらしいです。これなら禍獣たちとの戦いも、心配いりません。ねえ、シオ殿」
「あ、ああ……そうだな。これほどとは思わなかった」
シオは一つ咳払いをし、再び指示を出す。
「よし。進行再開だ、セノ」
「わかったよ」
セノはシオの息子の新米商人だ。といっても十五歳の成人はもうとっくに越えて、今は見習いをしつつも自分の隊商を編成するところまで来ている。あと数回同行すれば独立を許されるだろう。
ともあれ、一行は再び歩み始めた。旅先はまだまだ長い。
ノクサルナ王国の王都、ディリ・ノクサルナはロワルス山脈を越えた先にある。
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