5.入隊試合
翌日、傭兵の男は街の傭兵ギルドに向かった。
彼は名をイェルドと言った。
簾のように長く伸びた髪に、親指の先ほどの長さの髭。背中には二本の剣を背負っている。おまけにたいそうな大男なので道行く人々は彼を少し避けるように歩いていく。誰が見てもそれとわかる大陸北方出身の男である。
ちょうどそのときは朝市が盛り上がりを見せていた。
その大男――イェルドは腕を組み、壁により掛かりながら、ぼんやりと朝市の喧騒を眺めていた。旅の支度は大してかからなかった――少しばかりの乾物と、水筒の水、それだけだ。
「お待たせしました。イェルドさん」
「お主がイェルドか」
見ると、小太りで身長こそイェルドより低いものの、如何にも商売人らしい目つきをした男と、頭巾で顔を隠した女性が立っていた。
隣の女狩人はナルフィーネという名だ。イェルドには以前、森の中で狩りをしていた彼女に助けられたという恩があった。そして、今また彼女の人脈の世話になろうとしている。彼女は何かの故あって人前では常に頭巾を被っているようだが、イェルドはその理由を察していた。それはおそらく――彼女の種族柄からだろう。
「イェルドだ。よろしく頼む」
「気が早いな。ナルフィーネさんの紹介ともなれば無碍にするわけにもいかん。だが――」
「実力で判断する、と言いたいのだろう」
「話が早くて助かる」
イェルドは頷いた。傭兵稼業とはそういうものなのだ。
彼らの後ろから屈強な男が二人ついてくる。一人は金属の甲冑鎧で全身を覆った人間。もう一人は信じられないほど図体が大きい――巨人族だ。彼は高めに作ってあるギルドの建物の入口を、それでも幾分窮屈そうにくぐって出てきた。多くの男より身体の大きいイェルドよりもさらに身長が高く、筋肉もついている。
それに二人共、歩き方、佇まい、よく手入れされた鉄製の鎧と武器――どれをとっても申し分無い、一流の傭兵と見受けられた。
「どちらが俺の相手を?」
「どちら、か。両方でも構わんのだぞ」
イェルドは思わず身構えた。見るからに強者の風格であるこの二人が揃ってかかって来れば、普通に戦って勝てるかどうかわからない。
「ハハッ、安心せい。冗談じゃ」
「……あまりからかわないで頂きたいが」
イェルドはしばし思案した。巨人族と戦うとなると、派手な立ち回りが必要だろう。結果、周りに力を見せつけることになる。
では、人間の方ではどうか。恐らく、強さで言えば巨人族よりも彼の方が一枚上手だろう。その証拠に、その男からは尋常ではない気のようなものを感じる。魔力はそれほどではないが、それでも並よりは上だ。派手な戦いにはならないだろうが、それなりの使い手が見れば警戒するだろう。
そこへ、甲冑でくぐもってはいるものの、よく通る気持ちのいい声が聞こえた。
「お話中失礼。私はティンバールートと申します」
その男は名乗りあげ、恭しく一礼する。イェルドもそれに応えて名乗った。
「貴公はどうやらなかなかの使い手と見えます。是非御手合わせ願いたい」
都合の良いことに、目立たぬ方を引くことができそうだ。そう思ったイェルドは勝負を受けることにした。
「承った」
「では、訓練場に移動しましょう。こちらへ」
イェルドはティンバールートに続いて訓練場へと向かった。
訓練場は大抵の傭兵ギルドに併設されている。要は、屋外の固い土でかためられた地面だ。
新米から熟練者までさまざまな装いの傭兵たちが見える。ティンバールートはそこそこ複雑なギルドの建物内部を迷わず進んでいく。どうやらこのあたりを拠点に活動しているらしい。
「大丈夫ですよ、イェルドさん。なにも勝て、というわけではありません。彼に勝つことが条件なら、誰も護衛を任せては貰えないでしょう」
ナルフィーネはイェルドの横を歩きながら言う。
練習場を囲む形に円形に作られた屋根を柱が支えている。その回廊のような場所を彼らは歩いていた。
「それに、彼――シオさんは、一度実力を認めればとことん甘いことで有名なんです」
「聞こえとるぞ」
「でも、本当のことでしょう?」
ナルフィーネはふふっと口元を緩ませて笑った。相変わらず顔全体は見えないものの、その声や僅かに見える口元だけでも男を夢中にさせるには十分なようで、ギルドに入ってからは常に視線を集めている。
二人に続き、巨人族の男と商人も訓練場に入る。ティンバーは試合の勝敗の決め方について宣言するように言った。
「では、武器は練習用のものを。先に円から出たものが負け、ということに致しましょう」
練習場にはもともと円形の白い線が引かれている。軟白石という柔らかい石を粉砕して作った粉だ。先に円から出たものが負けというのは判断基準としてよく使われる方法だ。
両者とも武器立てから剣を選び、円の端と端に立つ。
「勝敗はこのナルフィーネが判断します」
ナルフィーネが二人の間に立つ。審判はやはり、武術や魔術の心得がある者が行うのが通例である。
「両者、準備はよろしいですか」
双方とも無言で頷く。いつの間にか、練習場は静まり返っていた。二人の試合は注目を集めている。この街では有名な腕利きであるティンバールートと、ナルフィーネ推薦の大男との戦いなのだから、当然だ。
「では――始め」
先に動いたのはイェルドだった。ティンバールートのもとまで数歩、一気に距離を詰めると凄まじい速さで中段の突きを放つ。
ティンバールートは軽く横に躱すと、イェルドのがら空きの側面に横薙ぎの剣で攻撃を仕掛ける。手本のような美しい南方剣術だ。
イェルドは難なくそれを弾き、両者は再び睨み合った。
――なるほど。愚直な剣だ。
歩法をとっても剣の扱いをとっても、ティンバールートの性格はとてもわかりやすかった。
――だが、それ故に強い。
ある流派の基本に忠実な剣というのは、人々が長い間積み重ねた剣術を踏襲しているわけだ。それが厄介なのは当然のことだ。
「どうした。もっと来い」
「そちらから来ては?」
イェルドが挑発を入れるが、それに乗っては来ない。当然といえば当然だ。南方剣術はいわば守りの剣術なのだ。鉄壁の防御を誇りつつ、相手の一瞬の隙を突いて大きな隙を作り、そこから勝利に繋げる。
「では、こちらからいくぞ」
イェルドは再び両手で剣を正面に構え、相手に斬り込む。そこからは、またイェルドの攻勢が始まった。
ティンバールートは少し焦っていた。それもそのはず、彼はイェルドの剣術に見覚えがなかった。だが、見慣れない剣術にも対応できるのが南方剣術の強みでもある。鉄壁の守りはそう簡単には崩れない。ティンバールートはイェルドの剣撃を悉く弾き返す。
イェルドは攻め倦ねている上、体力を消耗している。
しかし、ティンバールートも徐々に後退している。イェルドの隙の無い攻撃は、遂にティンバールートを白線の際まで動かすことになった。
「はッ!」
ここぞとばかりにイェルドが渾身の突きを放つ。
だが、ティンバールートは全く動じなかった。イェルドの視界は反転し、体が宙を舞った。踏み込みが甘かったのだ。出した右足を掬われ、剣ではなく体術によって決着がついた。
「勝者、ティンバールート」
ナルフィーネの凛とした声が熱気の籠もった訓練場に高らかに響いた。見ると、かなり大勢の人だかりが出来ているではないか。
「参った。俺の負けだ」
「イェルド殿、貴公の剣もなかなかでしたよ」
「いや、あなたには全く敵わなかった」
「……はは、面白いことをおっしゃる」
ティンバールートは手を差し伸べてイェルドを引き起こす。同時に、外側から大きく手を叩く音が聞こえてきた。
「はっはっは! 見事! 見事だったぞ。お主、隊商の経験は?」
先程とは打って変わって上機嫌な商人が近付いてくる。
「東ロワルス越えの隊商を、一度だけ」
東ロワルスとは大陸中央に位置する大山脈のことで、その大きさでありながら大ロワルス山の外輪山にあたる。
「東ロワルスか……ま、詳しいことはティンバーあたりに教えて貰ってくれ。山越えの経験とその腕があれば雇う価値は十分にある。ナルフィーネさんには感謝しないとな」
「では、認めていただけると?」
「無論だ。ティンバーの前であれだけ長く立っていられる奴はそう多くない」
イェルドの予想通り、ティンバールートはここらでは有名な剣士のようで、端から勝てるとは思われていなかったらしい。彼を相手に善戦しただけでも隊商の護衛としては十分、ということだった。
商人は手を前に出す。
「改めて、わしはシオ・ディリウスと申す。よろしく頼むぞ」
イェルドは彼が握手を求めているのだと気付き、手袋を外して応じた。ごつごつとした手に豆があるのがわかる。鉱夫か傭兵の経験でもあるのだろう。
自然と、イェルドがシオを見下ろす形になった。彼はイェルドを見上げて言う。
「お主、見たところ北の出だな。北の者はそろいもそろって頑強だ。お主も頼りになりそうだな。明朝には出発だ。それまでに準備をしておいてくれ」
シオが離れると、今度は大勢の傭兵たちがイェルドに群がってきた。
「あんた、イェルドだっけか。よくティンバー相手にあそこまでやれたな! 俺がやりあったときは向かっていったと思ったら一瞬でのされてたよ」
「新人よ、今回負けたからといってそう腐ることはない。なにせティンバーはここらで一番の実力者だからな。鍛錬を続ければあいつに勝てるかもしれんぞ」
イェルドは適当に相槌を打ってのらりくらりと汗臭い男たちを交わしながら出口へと向かう。彼は人だかりが苦手だった。
ギルドの外に出ると、ティンバーと巨人族の男が待ち構えていた。
「イェルド殿。明日からよろしくお願いします。ついては、装備やら物資やらの確認をしたいのですが、この後時間は?」
イェルドは先程シオから聞いた話を思い出した。今回の隊商は山越え。厳しい道程になるだろう。こういうときは、慣れた傭兵を頼るのが肝要だ。
断れば、かえっていらぬわだかまりを生むこともある。傭兵というのは自分の縄張りでの仕事に少なからず誇りを持っているものだ。
「あなたが教えてくださるのなら心強い。宿に荷を置いたらすぐまたここに来よう」
「では、また」
イェルドとティンバーはそれぞれの方向へと歩き出す。
ティンバーはすれ違いざま、イェルドにしか聞こえない声量で呟いた。
「次こそは全力で、お願いしますよ」
イェルドは去っていくティンバーの背中を振り返って見た。彼は背を向けたまま手を振って去っていった。
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