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4.ザルボフ

 傭兵の男と奴隷の少女、商人ディヌーン、そして奴隷商の男の計四人は、街で一番大きな屋敷に来ていた。おそらく、領士の館よりも大きいのではないだろうか。この館を管理するには大勢の召使が必要だろうな、と男は思った。

 扉の叩き金を三度打つと、間もなく使用人らしい格好の若い男が姿を表した。

「こんにちは。私は奴隷商のエルモンと申します」

「ど、どうもこんにちは。今日はどのような御用で?」

 出迎えた使用人は背の高い大男にひるんでいるようだったが、少女の姿を見ると怪訝そうな顔をした。少女はばつが悪そうに下を向いた。

「こちらにザルボフ・ロペテ氏はいらっしゃるかな?」

「ええと、応接間にご案内しますね」

 使用人に案内された部屋は、椅子も壁飾りも、全てに華美な装飾が施されていて、なんだか居心地が悪い。誰が見ても、趣味が良いと心の底からは言えないだろう。

 少しして、太った中年の髭面の男が部屋に入って来た。彼は傭兵の大男と少女、そしてディヌーンの姿を見ると、思いっきり顔を顰めた。

 彼はエルモンたちの前の肘掛け椅子を使用人に引かせ、どかっと腰掛けた。

「まあ座りたまえ。エルモン、久しぶりだな。こないだの奴はなんとか役に立ってるぞ」

 彼は小さい声で「まったく、どいつもこいつも少し罰を与えただけですぐに駄目になる」と呟いた。傭兵の男は隣にいる少女を見る。彼女は目に見えて怯えていた。

「それで、何の用だ。なぜディヌーンがいる?」

「お久しぶりです。ザルボフ卿。大したことではないのです。そちらの奴隷の娘、ザルボフ卿のものということで間違いないでしょうかな?」

「ん? ……ああ、言われてみれば…………いや、違う。そいつはもう俺のものではない」

 ザルボフはみるみるうちにまた不機嫌そうな顔になった。

「そいつは仕事を放棄したから追い出したんだ…………なぜ戻ってきた、この役立たず!」

 指を差して怒鳴られ、少女は目をつぶって肩を竦ませる。

「まあまあ、ザルボフ卿。そうはおっしゃられますがね、契約上はまだ貴方様の持ち物という体になっているんです」

「そうか。それで、何か問題でも?」

 エルモンはひたすら腰を低くし、手でごまをすりながら話し続ける。

「実は、こちらのディヌーン殿がこの娘をご所望のようでして。貴方様との契約を解除していただく必要があるのでございます」

「ハッ、ディヌーン。まさかとは思ったが、貴様が私の捨てた奴隷をどうしようと知ったことではない。人が捨てた塵を拾ってどうするつもりか知らないが。貴様の金に汚い品性を考えれば察しがつくというものだ」

「ザルボフ様。あなたは後悔することになりますよ。私の目は確かだ。せいぜい指をくわえて見ていると良い。ふふふ、あなたが地団駄を踏む姿が目に浮かびますよ」

「後悔するのはそちらのほうでしょうな。まあいい。それならさっさと……ん、待てよ。また血が要るのか?」

「ええ、誠に申し訳ありませんが、そういうことになります。どうか、よろしくお願いいたします」

「まったく、面倒な…………こんなことなら追い出したりせずに殺しておけば良かった」

 ザルボフは横目で少女をねめつけて言う。

「……あの女奴隷のようにな」

 傭兵の男には、少女がつばを飲み込む音が聞こえた。少女は瞳孔を見開き、浅く速く呼吸している。こめかみには冷や汗が滲んでいる。

 ここを出る時に何かあったのだろうと、彼は察した。それも、この娘の心が深く抉られるような出来事が。傭兵の男は視線をザルボフに戻した。すると、彼は今度はさも可笑しそうにまくしたてる。

「なんだ薄汚い傭兵め。お前のような低劣な者が高貴な私をそのような目で見るでない。ハッ、浮浪者のようなお前がなぜこんなところにいるのか……。大方、ディヌーンに金を積まれたんだろうがな」

 傭兵の男は黙ったままだった。眉の毛の一本さえ動かさず、ただ対面に座る太った男を見ていた。

「ディヌーンよ、せいぜい立派な娼婦にしてやってくれよ。こいつの使い道なんざそれくらいだからな。なに、別にいいんじゃないか。そこの傭兵のような金の無いやつは、こんなヒョロい不細工のガキくらいにしか相手をしてもらえないなからなぁ、可哀想に――」

 ザルボフは半笑いで、明らかに傭兵の男を見下していた。

 ディヌーンはいっそうにやにやとした笑みを深くする。

 傭兵の男は黙っていたが、エルモンはやけに焦った様子でザルボフを制止する。

「ザルボフ卿! あまりにも侮辱的です。言い過ぎですよ」

「いい。エルモン。俺は気にしていない」

 実際、彼は頬をぴくりとも動かさずに仁王立ちするばかりだった。

 イェルドが全く表情を変えずに気にしていない、と言ったのがかえって癪に障ったのだろう。ザルボフはさっきよりも大声で喚き散らす。

「おい木偶野郎! なんだ、その生意気な態度はァ…………そこの奴隷……俺が命じればいますぐにここで自害させてこの話を無かったことにすることもできるんだぞ、分かっているのかこの間抜けぇ!」

「おやめくださいザルボフ卿――ッ!」

 その瞬間、部屋にいたものは皆、その場の空気が一気に冷えたような気がした。

「――ひィッ!」

 傭兵の男が深い青の目でザルボフを睨みつけていた。

 底冷えのするような目だ。空気が重い。肌にビリビリと感じるような恐怖が部屋に満ち満ちている。パリパリと背後で何かが割れる音がする。

 ――死ぬ。このままでは殺される。何故かわからないが、ザルボフはそう思った。

「わ、わかった! 勿論、そんなことはさせない。じょ、冗談だ今のは! 分かるだろ、なあ! 悪かったよ」

 長机に額をつく勢いで、ザルボフは謝る。すると、すぐに空気が元に戻った。

「すまなかったな。冗談の分からない人間で」

「あ、ああそうとも冗談だ! まったく、ティタンとは皆こうなのか? おい、誰かペンを持って来い!」 

 ザルボフは「まったく、そもそもなぜこんな野蛮な傭兵を交渉の場に……」などとぶつぶつ呟いている。

 エルモンはザルボフの様子を見て、鞄から何やら文章が書いてある紙を取り出した。

「ではここに署名と血印を」

 ザルボフは羽根ペンの先をインクに浸け、自身の名を書き、右手親指の先を小刀で切って血判を押した。

 見ると、少女は手を強く握り締めていた。彼女の右手の親指の腹には切り傷の痕がいくつも見える。

「さ、次はお前の番だ。ちょっと痛いかもしれないが、我慢してくれ」

 奴隷商が少女に紙を差し出す。奴隷の多くは文字が書けないので、彼らは署名の必要はない。

 少女の内心は分からないが、慣れているのだろうか。少女は既に切り傷の痕がたくさんある右手の親指を差し出す。

 傭兵の男は少女に小刀を貸してやった。小さな手でそれを握り、左手の親指を切ろうと近づける。しかし、なかなかうまくいかないらしい。

「貸せ」

 彼は少女の手から小刀を受け取ると、彼女の手首を掴む。ディヌーンはすかさず彼に言う。

「おい、ティタン。大事な商品だ。丁重に扱えよ」

「案ずるな。傷は残らん」

 傭兵の男は親指に慎重に刃を当てた。間違っても他の場所を傷つけないように、指をしっかりと抑える。

 少女はぎゅっと目を瞑り、息を止めている。

「すぐに終わる」

 指の腹に刃を軽く当てたまま、すっと少し滑らせる。すると、皮膚が裂けて赤い血がつうっと垂れた。男は少女の手を取って血判を押させた。

「はい、ご苦労さん」

 奴隷商は紙を受け取ると、なにやら書き込む。

 彼は最後に印のようなものを押し、言った。

「よし、これで契約解除完了だ。このままディヌーン殿との契約もここで済ませてしまおうと思うんですが、構いませんか」

 契約がなくなったからだろうか。少女は首元の隷印をさすり、小さく息を吐いた。

「いいや、まだいい。こいつには俺以外の主の命令を聞いてもらうことになるだろう」

「そうですか。まあいいでしょう。ただし、横取り契約や殺害の危険があることもご承知ください」

「分かっている」

 契約は魔術を応用したものだと傭兵の男は聞いたことがあった。奴隷は術式を表す複雑な文様を首元深くまで刻み込まれている。焼印を押すだけの簡単なものがほとんどだが、重要な戦争犯罪を犯した者や一族代々奴隷の家系である者は入れ墨の印を刻まれる。この少女の場合は後者だろう。

 そして、奴隷の術式に精通したものが奴隷商となるのである。奴隷商を介した正式な手続きなしには奴隷を従えることは不可能だ。しかし、契約は先にしたもの勝ちである。主人のいない奴隷は誰でも契約できるのだ。故に、横取り契約をされたり、誰の庇護下にもない奴隷が殺害されるといった事が起こりうる

「それで、名前は?」

 少女は答えなかった。部屋はひとたび静まり返る。

 やはりか、と傭兵の男は思った。この少女は声を失っているのだ。

 少女は口を開いて何かを言おうとするが、声は出ない。

「ふん、馬鹿め。後悔すると言っただろう。そいつは口がきけないのだよ」

 ちっ、と舌打ちをしてディヌーンは言う。

「そうですか。まあ、関係のないことです。汚い貴族共の相手をするには最悪身体さえあればいい。それに、そういうのを好む客もいるだろう」

 下劣極まりない考えに傭兵の男は内心反吐が出る思いだったが、ただ黙っていた。

「まあ名前なんかどうでもいい。ひとまずは私に従えよ」

 少女は小さく頷くだけだ。そんな少女の反応を見て、ディヌーンは苛立ちを隠さず立ち上がった。

「さあ、もうこんな屋敷に用はない。さっさと行くぞ。来い」

 その言葉に、少女は歩みを進めた。

 あんな小さな少女さえも、大人の――それも屑のような人間たちのために、その人生を消費されるのだ。これが現実であり、同時にこの世の中にありふれた出来事だ。

 彼は奴隷商のあとに続いてザルボフの屋敷を出て、ディヌーンから報酬を受け取ると馬停めに向かった。

 ――彼の知ったことではなかった。ありふれた奴隷の一人や二人がどうなろうと。

 しかし、心なしか踏み出す一歩はいつもよりも重かった。

お読みくださりありがとうございます。

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