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3.奴隷商

 翌朝、街には濃い霧が立ち込めていた。

 標高の高い山間のこの街には、しばしば霧が出る。あまり人目を集めたくない彼にとってはかえって好都合だった。

 男はまた少女に食事をとらせると、身支度を整え、少女を連れて奴隷市に向かった。

 昨日男は宿の店主にあんなことを言ったが、実際のところ奴隷制は仕方のない、どうしようもないことだと思っていた。奴隷は人に仕えることが仕事だからだ。やむにやまれぬ事情で奴隷になったものも多い。

 彼は少女について考えていた。後ろを歩く少女の様子を、ちらりと確認する。

 うつむきがちに歩く少女の顔からは、どんな感情も読み取れない。彼女がどういう経緯で奴隷の身分で居るのかも知らない。

 きっと、感情が鈍くなっているのだろう。今までどんな目に遭って来たのか、彼には知る由もない。しかし、まともな生活を送ってこなかったであろうことは確かだ。きっと何日も絶食状態だったであろう彼女が昨日スープを飲んだときも、彼に対する恐怖の他に少女の感情を感じ取れなかった。

――さて、どうしたものか……。

 男はひとまずなんとか歩けるまでに回復した少女の手を引いて、雑然とした埃っぽい市場の中へと足を踏み入れた。

 外套を着て、顔と頭を覆う頭巾を被っていても、イェルドの体格の良さは隠せない。人々が盗み見る視線を感じつつ、彼は適当な奴隷商を探す。

「どうも、お客さん。今日はどんな御用向きで?」

 彼が選んだのは、比較的きれいな店構えをしている商人だった。

 店頭に並ぶ奴隷の健康状態も軒並み良さそうに見える。

 商人は奴隷商にしては若い男だった。こんな場所に店を出しているからには商いの腕は確かなのだろう。

「こいつを引き取ってもらいたい」

 彼は少女を前へと進ませた。彼女は全く抵抗することなく、ただ立っている。

 商人は少女を見るなり難しい顔をした。

「うーん、まず口を開けてみせてくれ」

 少女は言われるままに口を大きく開けて見せた。

「うん、吸血鬼ではないようだな」

 目が赤いので吸血鬼を疑ったのだろう。彼も吸血鬼を見たことはないが、幼体はまだ翼が生えていないと聞くし、赤い目の彼女を疑うのは当然だ。幸い、犬歯は不自然に尖ってはいなかった。

「ふーむ。まず肉体労働には向かないとして……魔術の才能はあるのか?」

「わからん。まあ良くて凡人並というところだろう」

 少女はよくわからないといった様子で二人の話を聞いていた。

 あたりの様子をみても動揺しないところを見ると、奴隷市には慣れているのだろう。無論、商品として売られていた経験があるからだ。

「お前は魔術を使えるか? 手から火を起こしたり、水を出したりする技だ」

 厳密に言えば正しくはないが、男は一番わかり易く説明をした。

 少女は無言で小さく首を横に振った。

「エルフの血を引いているわけでもないんだろう? 精霊術も使えない。赤目(レハナ)は物好きにとっちゃいいことだし器量はいいが、こんだけ痩せてちゃ愛玩目的にもならないだろう」

 商人はやれやれ、と首を横に振った。

「正直に言えば、こいつを買い取っても採算が取れないだろう」

「買い取れというのではない。こいつは俺の所有物ではない。誰かが見捨てた奴隷だ」

 商人は目を丸くして、男と少女を交互に見た。

「見かけによらずお人好しだな。噂に聞くティタンてのはみんなこうなのかね」

「いいや、違う」

 男は語気を強めて否定した。

「偶然見つけただけだ。子どもが眼の前で轢死するのを黙って見ているのは、寝覚めが悪かったというだけだ。俺はお人好しなどではない」

 商人は肩をすくめて、おお怖い、と言ってみせた。

「気を悪くさせたならすまないな。なんにせよ、お客さん。こいつが売れる見込みがない以上、私んとこに置いとけば食事代の分だけ私が損をすることになる。他のとこ行ったって同じさ。こいつを引き取ろうとするやつなんだどこにもいないだろうよ」

「頼む。俺はこいつを連れていくことはできない」

 主のいない奴隷は衣食住のつてがなく、生きていくことができない。普通なら主人と奴隷の契約解除の後、奴隷商に再び売られることになる。

 そうされなかったのは、売れる見込みが無いからだ。当然と言えば当然だろう。

「なぜ私が孤児院のようなことをしなくてはならないんだ? 生憎、私はそんなに優しい人間ではない。あんたがたティタンとは違う」

「では、こんな子どもを見捨てろというのか?」

「ならなぜ拾ったんだ? 世話もできないのに拾うお客さんもどうかと思うがね。あんたが連れていけないなら、そこらの路地裏にでも捨てておくしかないだろうよ」

 男と店主が押し問答を繰り広げていると、店先からしわがれた声が聞こえる。

「おい、そこの奴隷はいくらだ?」

 見ると、小太りの男が店先に立っていた。上質な服を着ていて、用心棒らしき者を二人引き連れている。貴族か何かだろうか。

 少女はまさか、と思って貴族の男のほうを見た。しかし、彼女が恐れていた人物ではなかった。

 と、その男が指をさしていた奴隷から視線を外し、大男が連れてきた少女に目を留めた。

「ん? ほう。赤目とは珍しい。薄汚いが磨けば光りそうだ」

 歩み寄ってくる貴族の男に、少女は大男の服の裾をぎゅっと掴んでじっとしていた。

「おい、でくのぼう。それは貴様の奴隷か? いくらだ?」

「いや、違う」

「そうか。では誰がこれの持ち主なのだ?」

「今は誰のものでもない」

 すると、奴隷商の男が口を挟む。

「だが、お前さんは引き取り手を探してはいるんだろう? 仲介、契約なら私に任せてくれ。無論、手数料は頂くが、それだけだ」

「ほうほう。それはいい」

 貴族の男は身をかがめ、少女の全身を舐めるようにじろじろと見まわし、やがて言った。

「ふん、気に入ったぞ。私がこれを貰い受けよう。案ずるな、巨人族の。こう見えて私は、奴隷を大切に扱うことで有名なのだよ」

 何が楽しいのか、男はにやにやしながら勝手に喋り続ける。

 彼は答えなかった。それどころか、貴族の男の言葉には耳も貸さず、ただ少女だけを見ていた。

 一方で、奴隷商は金持ちの貴族を見て商売魂を発揮し始めたようだ。

「前の持ち主は契約を解かずにこの娘を捨てたようだ。なら、この主人のところに行かなければならないな」

「ならさっさと行くぞ」

「まあまあ、そう急かしなさんな。私にも準備というものがあるのでね」

 そう言って、奴隷商人は店の奥へと入っていった。

 こうなってしまえば、男はただの部外者だ。少女の持ち主でもなく、ただ一晩面倒を見ただけの縁。

 彼は貴族の男に尋ねた。

「こいつをどうするつもりだ?」

「どうする? どうもこうも、全て私の自由だろう。私の娼館なら、このちんちくりんでも変態趣味の野郎どもの相手くらいはできるだろう」

 男は何も言わなかった。そういう生き方を強いられる者はたくさんいる。

 こういうとき、本人にはどうしようもない。魔術の才能や心得があれば、あるいは別の生き方もあるかもしれないが、彼の目から見て、この少女に大した魔力の器はない。

「それにこの赤い目……生娘なら大事に育てて、時期が来たらノクサルナの貴族に高値で売るのもありだ」

 確かに、珍しい身体的特徴をもつ人間の蒐集家というのも聞いたことがある。男にとってはまったくもって理解できない趣味である。

 貴族風の男にとって少女は金稼ぎの道具らしい。

「…………そうか」

 この少女がどうなろうと、彼には関係ない。

「旦那、お名前を頂戴しても?」

「ディヌーンだ」

 背の高い男は貴族風の男の顔をチラリと見下ろした。このあたりでは珍しい感じの名前だと思ったが、なるほど、僅かだが西大陸の趣がある。西大陸人の血が混じっているのだろう。派手な服装、そして奴隷市に用心棒を連れて来るところを見ると、商人上がりの豪族らしい。

「それでね、旦那。あなたにこの娘を売ることはできる。私が一旦商品として登録し、それを旦那に売るっていう手続きを踏まにゃいきません。だがね、この前の契約者がまだ契約を破棄していないみたいなんです」

「なるほど。前の主人は?」

「ザルボフ殿だね。隣のそのまた隣の通りの。旦那もご存知でしょう」

 その名前が出た途端、少女はびくりと身体を震わせた。

 ディヌーンという男も、舌打ちをして苦い顔をした。

「ザルボフ……奴のお手つきというわけか? いや、奴に幼女趣味があると聞いたことはないな」

「私がザルボフ殿に契約破棄をお願いしてもいいのですが、それだとあとあと面倒なのでは?」

 男は話を聞くうちに合点がいった。ディヌーンというこの商人と、ザルボフとかいう貴族はこのあたりでは競争相手同士ということで有名なのだ。どちらがより多くの使用人を持っているかとか、そういうくだらないことで絶えず争っているのだとか。最近立ち寄った居酒屋で聞いた話だった。

 ディヌーンは少し考え込んだ。

「おい、ティタン。名はなんだ?」

「貴様に名乗る理由はない。好きに呼べ」

「まあ名前なんぞどうでもいいが、俺に雇われる気はあるか?」

 ディヌーンはにやりと笑ってそう言う。男は面倒くさそうに答えた。

「金次第だ」

「銀十でどうだ。奴の家を訪ねる間だけでいい」

「貴族の家に行くだけで俺のような護衛が要るのか?」

「ふん、分かっておろうに」

 男はため息をついた。要は、競争相手のザルボフに対する牽制の道具だ。

 彼はディヌーンの顔、服装を眺めた。随分と羽振りが良さそうだ。

「金一だ」

「金一? 十倍だと? 随分自己評価が高いようだな」

「己の安売りはしない主義だ」

「まあよかろう。やるのか、やらんのか、どっちなんだ」

 大男は自分の見た目についてよく理解していた。髪は肩にかかるほど長く、顔には昔受けた傷がある。身体は巨人族ほどではないが、確かに巨人を疑われてもおかしくはないほど大柄だ。こんな護衛がいれば威圧感を与え、契約を滞りなく行う助けにはなるだろう。

 彼は気が進まなかった。そんな反応を見てか、ディヌーンは少女に向かって言う。

「なあ、娘。お前もあのザルボフのもとに戻りたくはないのだろう?」

 少女はその名前を聞くと、肩を震わせて下を向いた。

 そのザルボフとかいう貴族のもとで相当ひどい目に遭ったのだろう。男はひとつ息をついた。こんな姿を見せられて全く何も思わないほど人間を捨てては居ない。

「ディヌーン。お前はこいつの面倒を見る気があるということだな」

「おいおい、傭兵のくせに他所のガキの心配か? お優しいことだな、ティタン様は。まあ、俺んとこはあのザルボフよりはましだな、確実に」

 知っている。ザルボフは自分の奴隷に容赦しないことで知られている。ひと月に一人は殺しているという噂さえ聞く。

 情が湧いた、というわけではない。そう、男は思っていた。ただ、拾った以上は見届けなければならない。そういう気になっただけだ。

「承知した。護衛の話を受けよう」

お読みくださりありがとうございます。

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