27.夜襲
まだ月の高い頃、イェルドはかすかな気配を感じて目を覚ました。身を起こし、あたりを見渡す。
姿は見えないが、確かにいる。しかも数が多い。
――また襲撃か。しかも夜中に。
イェルドはハンカーの肩を叩いて彼を起こした。
「どうした、イェルド。まだ早いよ」
「ハンカー。囲まれている」
「……何だって? 神殿は安全なんじゃなかったのか?」
「何事にも絶対はない。今は考えている場合ではない。おそらく、山狼だ。俺は他の奴らを起こしてくる。お前はあの子を起こして荷物をまとめてくれ」
イェルドは神殿前で野営をする人々に声をかけるため、近くの天幕へと走る。
「ヒュール、コラン!」
天幕の外から声をかける。コランが先に起きたようだ。不機嫌そうにしている。
「おい、なんだよおっさん」
「狼だ。もう囲まれてる」
「んだと?」
その時。
――――ぎゃあああッ
神殿前の神殿前の空き地付近から絶叫が聞こえる。
「ちッ、遅かった」
イェルドは舌打ちをし、踵を返して駆け出す。
隊商が最初に狙われた。
天幕が密集していて、逃げ場が少なく、混戦になりやすい。
「くそッ、ヒュール起きろ! 敵襲だ!」
岩の陰から盗賊たちが姿を表すのが見える。
イェルドは肺いっぱいに空気を吸い込み、大音声を轟かせる。
「敵襲ーーッ!」
開戦の合図だった。
それと同時に、敵の周囲を自らに引きつける狙いだ。
イェルドは自分たちの野営地へと走って戻る。
ハンカーが少女を起こしているのが見える。
しかし、今夜は月が明るい。丸見えだ。
その背後にはすでに狼が迫っている。
「ハンカー伏せろ!」
イェルドは瞬時に思考する。
どんな魔術にも絶対はない。あの距離では、二人を巻き込むかもしれない。
ハンカーはイェルドの切羽詰まった声を聞き、咄嗟に少女を胸に抱きかかえて地面に倒れる。
イェルドは足を止める。地面の土を長靴が抉る。
剣を逆手に持ち替え、大きく振りかぶる。
腕が撓り、肩の筋肉が波打つ。
唸りを上げ、彼の鋼の剣がかっ飛んだ。
頭骨を砕かれ、その狼は一撃で絶命した。
凄まじい離れ業の跡、無残に潰れた狼の頭を見て、ハンカーは息を呑んだ。
やっとたどり着いたイェルドは、骸の頭から剣を引き抜き、彼に言う。
「木を背にしてそいつを守れ」
岩の陰から狼たちが姿を表す。先頭にひときわ大きな狼がいる。群れを率いる長だろうか。
その狼が一声、二声と短く吠えた。それが開戦の合図だった。
イェルドはちらりと後ろを振り返った。少女はまだ起きたばかりのようで、まだ何がなんだかわからないようだった。
ハンカーは少女に、静かにするように、と仕草で伝えた。イェルドは飛びかかってくる狼を次々に斬り伏せる。群れているだけの山狼など、彼の敵ではなかった。
「……すごい」
ハンカーは思わず感嘆の声を漏らした。相手の攻撃を紙一重で交わしたかと思えば、次の瞬間には急所に一撃を入れ、命を刈り取る。
しかし、数があまりにも多いため、場は混戦の様相を呈していた。イェルドは時折、左手に魔力を集めて魔術を発現させようとした。しかし、結局魔術を使うことはできない。
流れ弾が仲間に当たるかもしれないからだ。イェルドは内心唇を噛んでいた。
――あれほどの神獣の加護ならばと思ったが……誤りだったか。
こういうことも想定して、野営仲間とそれぞれの戦法を共有しておくべきだったのだ。現に、剣で戦うコランを援護するヒュールの炎魔術がイェルドのほうに何度か飛んで来ている。
イェルドはヒュールに向かって怒鳴った。
「ヒュール、気をつけろ! 仲間に流れ弾が当たる!」
「すみません!」
イェルドとハンカーたちに向かってきていた山狼が片付いたのを確認すると、ヒュールとコランが戦っているほうに向かって走った。
「加勢する」
「ありがとうございます!」
「ちっ、情けねえけど仕方ない。頼むぜおっさん」
コランは不服そうだ。しかし、自分が敵わないとわかれば大人しく援護を受け入れる。潔い性格をしているようだ。
「コラン、俺は右の奴らをやる。お前は左だ、いいな?」
「ああ、従ってやるよ。あんたは強いからな」
イェルドは頷き、剣を構える。感覚が研ぎ澄まされ、相手の動きがよく見える。
心臓の拍動が加速し、身体に力がみなぎると同時に、頭は冷静になっていく。
相手は低い姿勢から急加速して飛びかかってくる。地面を蹴って、狼の身体が浮いた瞬間にイェルドは剣を振るう。喉元が深く切り裂かれ、狼は血を流して絶命する。
コランも相手が一頭なら苦戦していないようだった。鉄級の傭兵とはいえ、その上位の実力はあるだろう。
その時だった。山狼の群れの中からひときわ大きな一頭が群れを飛び出し、イェルドたちには目もくれず走っていった。その方向には、ハンカーと少女がいる。
「くそッ」
イェルドは少し遅れて駆け出すが、山狼の全速力には追いつけない。それに気付いたハンカーは少女を背後に隠すようにして立ち上がり、巻物を開いて魔術の言葉を叫ぶ。
「――フランマ・スヒル!」
「違う!」
「え?」
イェルドが叫ぶが、もう遅かった。巻物から噴出した炎の渦がハンカーの目の前に落ちて爆発するように燃え盛る。
「うわぁッ、あちちち!」
「ちッ、伏せろ!」
イェルドが大声で叫ぶ。ハンカーはとっさに少女の頭を下げさせ、自分も身を屈めた。
イェルドの手の先に魔力が収束していく。やがて魔力は空中で停滞する水の矢へと形を変える。
「――バヘシュ」
その言葉を唱えた瞬間、水の矢は凍りついた。一瞬の出来事だ。その過程を目にとめたものはいなかった。
「ラピエス・アセリス」
四つ目の言葉で、三本の氷の矢は突如として加速する。
一本目の不意打ちはイェルドに背を向けた狼の背に突き刺さり、ニ本目は身をよじって避けようとする狼の胴に、そして三本目は二本の氷矢を受けて怯んだ狼の頭を貫いた。
頭を射抜かれた狼は絶命し、地面に崩れ落ちた。
「怪我はないか、ハンカー。お前も」
イェルドは、魔術で火を消しつつ、二人に駆け寄った。少女は少し震えていたが、ハンカーは落ち着いていた。
「大丈夫だよ。僕もこの子も、大した怪我はない。僕はちょっと火傷したかもだけど」
「呪文を間違えたくせに落ち着いているのは癪だな」
「スルヒシュ、だったね」
ハンカーはさっき間違えた呪文の正しい発音を知ってはいるようだ。
しかし、イェルドは声を和らげようとはしなかった。
「お前、分かっているのか? 魔術の呪文を間違えてお前だけ燃え尽きるのは構わないが、周りの奴らも危険に晒すのは――」
魔術の言葉を間違えると、さっきのように自分や守るべき人や物に強力な魔術の影響が及びかねない。だから、魔術が苦手な者でも魔術を発せられる巻物でも、使い方を誤れば惨事になる。
イェルドがこれほど怒る理由も、ハンカーにはよくわかっていた。
「分かっているつもりだ。本当に済まなかったよ。もっと落ち着いて、ちゃんと言えるように練習しておく」
ハンカーはイェルドに詰問され、目に見えて落ち込んでいた。どうやら、本当に反省しているらしい。
「……ならいい。気をつけてくれ」
イェルドは野営の撤収に取り掛かる。ハンカーも、そそくさと作業にかかった。
毛布をしまい、焚き火を片付ける。二人は黙々と目の前の仕事をこなす他なかった。
しばらくしてから、気まずい沈黙を破ったのはイェルドだった。
「……ハンカー」
「な、なんだい?」
イェルドは目を合わせず、顔も向けずに言った。
「あれを守ろうとやったことだというのは分かっている。感謝する」
「……ごめん」
「謝罪は無用だ」
予想外の言葉にハンカーは顔を上げる。しかし、イェルドの表情はいつもの鉄仮面だった。
ハンカーは破顔して言った。
「……ありがとう」
お読みいただきありがとうございます。
1ヶ月以上も投稿できずすみません。
最近忙しいので投稿ペースは落ちるかもしれませんが、投稿はしっかり継続しますのでよろしくお願いします。




