25.竜に捧ぐ唄
神殿の奥の階段を登った先にあったのは、茜色に染まりつつある空だった。
西の空には赤々と燃え盛りながら沈んでいく太陽が見える。
「…………なるほど」
ごうごうと強風が吹き付けるそこは、山の頂上だった。ひらけていて見晴らしが良い。
イェルドの後ろに着いてきた少女は、夕日の眩しさに思わず目を瞑った。
地面は切り出した石を円形に並べて床を作ってあった。さらにはその周辺に十本余りの石柱が立ててあった。
「まだ道が続いている」
イェルドが示した方向には、確かに道が続いていた。しかし、道の終端は崖に向かってせり出した峰だった。崩れかかっているが、人が立てるくらいの石の台が置いてある。
「ああ、あれは人々が竜と交流するための場所だろう。ああいう場所に立って、神獣や竜に最接近するんだ。そうして、彼らの意思を聞き取るんだ。あるいは――」
イェルドを振り返ったハンカーは神妙な面持ちだった。彼はゆっくり口を開く。
「さっき、詩があった部屋の話をしただろう。もしかすると、あれは神官ではなく巫、あるいは巫女の控え室かもしれない。あそこで詩を覚えたのだろう。竜や神獣はときに生贄を欲するということだ。本当かはわからない。なにせ彼らに相見えるのはとても難しいからね」
ハンカーはまた峰の、その先の方を見やった。
「巫や巫女は生贄として差し出される事がある。彼らは若いことが重要だとされている。竜達も生贄が新鮮な方が嬉しいだろうからね。あとは、特定の血筋の者がそういう犠牲としての役割を負うことも多い」
「……巫女か」
イェルドは少女を見た。彼女はイェルドの足元から崖の方に数歩歩いてそこで立ち止まった。
彼女には年相応の無邪気さというものがない。目を離せない程の危なっかしさは無いものの、イェルドは何か別の危うさを感じていた。
「彼らはさっきのような詩を一句たりとも間違えることなく歌い、そして最後には自らその身を竜や神獣に委ねる」
乾いた風がびゅうと吹き、ハンカーの茶色の髪を持ち上げた。
「この辺の集落じゃよくあったことみたいだ。ここもそういう使われ方をしたのかは、まだわからないけど」
「――恐ろしい生き物だ」
竜は人を救いもするが、人を滅ぼしもする。
「でもここ数百年で竜がめっきり減ったらしい。だからこの神殿も打ち捨てられたんだろう。あの白い竜の骨はどこかに埋まってるのかな?」
イェルドはまだ、少し離れたところで壮大な夕日に目を奪われる少女の小さな背中を見つめていた。
いつもならくすんで見える金の髪が、今は夕日を吸い込んで輝いている。風に吹かれていっぱいに広がり、時折きらきらと輝く。
「ま、そういうのを調べるのも僕の仕事だ。待っててくれよ。僕が神獣たちの謎を解き明かしてみせるから」
ハンカーは夕日に向かってそう言った。
イェルドはハンカーの背から目を逸らし、言う。
「もう日が落ちる」
イェルドは少女に手招きをした。少女はそれに気付くと、小走りで駆け寄ってきた。
「そうだね。この辺りの探索は明日にしよう」
ハンカーも夕日に背を向け、神殿の内側へと足を向けた。
一行は来た道を戻った。
◆
長い廊下を歩いて神殿の外に出ると、何人かの声がした。
神殿前の開けた空間には、三組の旅人や傭兵らしき人々が各々天幕を張り、火を起こして野営の支度を進めていた。
こういう使われなくなった神殿の前ではお馴染みの光景だ。
入口付近には隊商と思しき大所帯が、道を塞がぬようまばらに野営の準備をしていた。
「おや、貴方がたは――」
一番近くにいた二人組の、旅人の装いをした男たちのうち髪の長いほうの一人が声をかけてきた。
ハンカーが進み出てそれに答える。
「やあ、こんにちは」
「こんにちは。遺跡の中を探索しておられたのですか?」
「うん。僕は学者みたいなことをやってる人間でね。こちらのお二人は僕のわがままに付き合ってくれたのさ」
イェルドは前に進み出てあいさつをする。
「俺はイェルドだ。よろしく頼む」
「私はヒュールです。こっちはコラン。そっちの子は?」
ヒュールと名乗った男の後ろでは、コランと紹介された男がにやりと笑ってこちらを窺っている。
イェルドはどう説明したものかと迷って、結局、短く言った。
「奴隷だ」
イェルドが答えた途端、ヒュールの後ろから馬鹿にしたような声が聞こえた。
「おいおい……そんなガキを連れてこの山を越えようなんて正気じゃないぞ」
「コラン! なんてこと言うんだよ」
ヒュールはヒュールに向かって怒鳴ると、イェルドに向き直って頭を下げた。
「すみません。こいつ、礼儀の"れ"の字も知らないもんで」
「なんだと、ヒュール。お前、殴られてえのか?」
イェルドはちらりとコランを見た。その男は背が高く、体格がよかった。おまけに、腰に鈍色の傭兵章が見えた。
「気にするな」
立ち去ろうと踵を返すと、背後からまた声をかけられる。
「おい、おっさん。ロワルスを舐めないほうがいいぜ。なんかあった時に先に死ぬのはあんたじゃなくそのガキだ」
確かにその通りだろう。
しかし、必要以上に関わるまいと、イェルドはさっさとその場を離れてメルーのもとに向かった。
イェルドが野営の道具を馬から下ろしていると、ハンカーが近寄ってきた。
「へえ、君の馬すごいなあ。素人の僕が見ても名馬だってわかるよ」
しかし、イェルドが語気を強めて声で静止する。
「止まれ。それ以上近寄るな」
ハンカーは驚いたのか、ビクッとして立ち止まる。
「な、なんだい急に」
「蹴られて死にたいか? つまらない死に方をしたくなければやめておけ」
ハンカーは筋肉が隆々と盛り上がる馬の脚を見て、ぶるっと震えた。
「わかった。ご忠告感謝するよ。ずいぶん気難しい子なんだね。名前は?」
「メルーだ」
ハンカーはほう、息を漏らし、メルーの佇まいを観察した。
「屈強な体格に反して美しい響きだ。確か、ユヌスの北方民族のことばで"北風"という意味だっけ?」
「よく知っているな。さすがは学者だ」
ハンカーは得意げに言う。
「一度だけ冬の王国に行ったことがあるんだ」
「ほう、それはすごい」
冬の王国、と聞けばさすがのイェルドも驚かずにはいられない。冬の王国とは、極北にある国だと聞く。そして、世界に冬を齎す女王が治める国だ。
古い文献に存在が示されているものの、ここ最近で到達できたものは片手で数えるほどしか居ないということだ。
イェルドは馬を止めてあった低い草が茂っているあたりに砂が見えているところを見つけた。大きめの石を持ってきては円形にそれを並べた。
火を起こして夕食をとるころにはもう日は落ちてあたりは暗くなっていた。
イェルドが火打ち石を使って枯れ草に火をつける。少女は興味津々といった様子でそれを眺めていた。
「平和だねえ」
ハンカーが呟く。この男は当然のようにイェルドたちの隣で野宿をするつもりのようだ。もはやイェルドは何も言う気にならなかった。
少女のために干し肉を細かく裂きつつ、周囲を見渡す。旅人や傭兵たちも各々食事をとり、早くも眠りにつこうとしている様子だった。
ここが神殿跡でなければ、共に野営をする仲間にはある程度身分を打ち明けておくのが普通だ。魔物が現れた際に共闘することがあるからだ。しかし、加護の残る神殿ならその必要もないと考えているのはみな同じのようだ。
ヒュールとコランの方を見ると、コランがこちらに気づいた。彼はイェルドを薬指で差すと、そのままその指で地面を示し、そしてまた意地の悪そうな笑みを浮かべた。それが主に南方で使われる侮辱の印であることをイェルドは知っていた。
イェルドはそれを無視して少女に細かく千切った干し肉を渡してやった。
少女はそれを受け取ると、いつものように許可を待った。イェルドは毎回それに頷かなければならなかった。しかしもうこれには慣れたもので、そのやり取りはイェルドが頷くだけで済んだ。
少女の様子を見ていると、イェルドは昔世話になった家で飼っていた犬を思い出さずにはいられなかった。世の中の奴隷には犬以下の扱いを受けるものも大勢いるのだろう。
少女はまた硬い干し肉と硬いパンの夕食をなんとか平らげると、疲れてしまったのか船を漕ぎ始めた。
イェルドは裏に茶色の雪兎の毛皮を用いた外套を脱ぎ、くるむように少女にそれをかけてやった。少女の瞼はもうすっかり落ち、神殿の壁に寄りかかって小さな寝息を立て始めた。
イェルドは小刀を取り出し、焚き火の明かりのもとに座り直す。しゅっ、しゅっ、という小気味の良い音がハンカーの耳にも聞こえた。
小さな鼻歌も聞こえる。彼の低い声が、美しくもどこか切なく、少しの不穏さも感じる旋律を奏でている。
「何をしてるんだい?」
ハンカーは少女を起こさないように小声で聞いた。
イェルドは答えなかった。しばらく待っても返答がないので、ハンカーは諦めてイェルドの手元を見た。
無視したのではなく、気づかなかったのだろう。鼻歌はまだ続いていた。
木だった。イェルドは木を削っているのだった。それはやがて長い円柱状の棒の形になっていく。
いつもだったらそれは何の木だい、とか、何を作っているんだい、と聞くところだったがハンカーはそうしなかった。自分も机の前で考えているときは誰にも邪魔されたくないからだ。
目が離せなかった。彼は少しの迷いもなく、滑らせるように小刀を動かす。ハンカーはその心地よい音を聞いていた。
お読みいただきありがとうございます。
誤字報告も非常に助かります。報告してくださった方、ありがとうございました。
二週間連続で投稿を休んでしまってすみませんでした。お知らせをする暇もありませんでしたが、今日から通常通り投稿を再開します。よろしくお願いいたします。




