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24.風の声

「実はさっきの部屋に面白いものがあったんだよ」

「ほう」

「聞きたいかい?」

 ハンカーはイェルドを振り返って尋ねる。

 しかし、イェルドは暗闇の奥から視線を外さず、無愛想に答える。

「それほどでもない」

「そこは『聞きたいです! 教えてくださいッ!』って懇願するところだろ!? 君はまったく……」

 呆れたようにため息をついて、ハンカーはまた前を向いて歩き出した。

 結局、彼は勝手に話し出した。

「実はね、さっきの部屋に石の机があっただろう。その下の床に文字が書いてあったんだ。古語だったから、結構古い神殿らしいね。きっと神官か誰かがこっそり書いたんじゃないかなあ。あの部屋は結構しっかりしてたし、香炉台もあったからきっとそうだろう。まあ、神官、あるいは――」

 彼は話しながら考えているようだ。その目は真剣そのものだ。虚空を見つめているようにしか見えないが、きっと彼の頭の中の紙に書き留めているのだろう。

「それで?」

「なーんだ、やっぱり興味あるんじゃないか」

 ハンカーは笑って言う。最初からそう言えばいいのに、と呟きつつ彼は話を続ける。

「”彼方より(Lontan)来りて(Venirix)我らに富を(Auriar)恵み給え(Dorini-nos)白き衣(Albastarr)を翻し(Ventilix)我らの船を(Navis-nos)導き給え(Duxix)誰よりも速く(Rapistette)翔け(Aserix)我らに命を(Vidas-nos)与え給え(Donarix)”」

 ハンカーはまるで吟遊詩人のように、つややかに柔らかく、それでいて力強くその一節を読み上げてみせた。

「古ユヌス語か」

「よく知ってるね! 床に書いてあった言葉だよ。古の詩の韻律は詠んでいて気分がいいからすぐに覚えてしまうね」

 それはお前だけだ、と思いつつイェルドは今度は自分から尋ねる。

「その詩はどういう意味なんだ?」

 ハンカーはにやっと笑って言った。

「どういう意味だと思う?」

 イェルドは顰めっ面をした。

「はは、さっきの仕返しだよ」

 しかし、どういう意味なのだろうか。イェルドは考えた。

――彼方、白き衣、命……? だめだ、わからん。

 その時、それまで黙り込んでいた少女が何かに気づいたように、息を吸う音が聞こえた。

「ん? 何か思いついたのかな、お嬢さん」

「…………」

 少女はイェルドの顔を窺うように上目遣いで見た。

 イェルドは少しして、少女が発言の許しを求めているのだと悟った。食事の時もそうだが、彼女は命令されなければ自発的に行動しない。言動すべてに許しが要ると思っているのだ。

 イェルドは頷き、少女に発言を促す。

 すると少女は唇を動かし、何かを伝えようとする。その唇の動きを見ると、イェルドには彼女が何を言いたいのか分かった。

「"かぜ"と言いたいようだ」

 そう声に出した時、イェルドは瞬時に合点がいった。

 風について詠った詩だと仮定すれば、全ての言葉の辻褄が合う。

 この娘は話すことこそできないが、実は案外聡いのかもしれない。イェルドは感心した。

「風…………つまり、遥か彼方は空、白き衣は雲、命を与える――つまり、風が風車を動かすということか?」

 ノクサルナは、夜の国であり、風の国だ。ここの人々は古くから、風車の力とともに生きてきた。

「昔の奴らは喩え言葉が好きらしい」

 少女は少し嬉しそうに、うんうんと頷く。

「ご名答。お二人さん、賢いね。特にお嬢さんはすごいよ。僕の後を継ぐ気はあるかい?」

 きょとんとする少女に、ハンカーは冗談だよと言って笑った。

 彼の興味はすぐに別のところへと移った。

「しかし、風とは? 風を呼ぶための神殿なのか? それとも、風を起こす神獣を祀る神殿なのか? 僕はこの先に答えがあると思ってる」

 ハンカーはそう言うと、待ち切れないといった様子でずんずん前へ歩いて行く。

 ところどころ採光窓があるが、中は暗い。三人の足音が建物の中に反響する。

――ヒョォォォォ――

 奥の方から奇妙な音が聞こえる。

「風の音、かな」

「それにしては低い。魔獣の唸り声のようだが――」

「それとも違うね」

 音は時折調子を変え、歌のようにうねっている。

 ところが、一行は少し進むと行き止まりに辿り着いてしまった。

「ええ! こんなのってあり?」

 円形に模られた部屋。地面と天井には古ユヌス語と思われる文字――文章が彫られている。

 ハンカーはわかりやすく落ち込んでしまっている。腕をだらりと下げ、非常に悲しそうな声で言う。この部屋よりももっと衝撃的な発見を期待していたのだろう。

 しかし、ハンカーはまた床と天井の文字をすべて書き留めて言う。

「うーん……これは魔術文かな……どう思う?」

「……ああ、確かに唱文のようだ。だが……ここに書いてある言葉だけでは意味を成さない」

 少女も首が痛くなりそうなほど天井の文字をじっと見つめている。

 忙しなく動き回っていたハンカーが、あっ、と声を上げた。

 見ると、彼は壁の一部に耳を近づけて音を聞いていた。

「この奥からあの音が聞こえるんだ。きっとこの奥には何かあるよ。空洞になっているんだろう」

 見ると、その壁の上部には少女でも通れない程度の小さな穴が空いている。穴の周りには文字と金属装飾が施されている。

 ハンカーはその壁の石を叩いたり、押したりしてみて、結局肩を落とした。

「残念だけど、引き返そう。とても残念だけど、通れないんじゃあ仕方ない。とてもとても残念だけれどね」

 とは言いつつ、救いを求めるような表情でイェルドを見上げる。

「……待て。俺が見てみよう」

 イェルドは前に進み出て、立ったりしゃがんだりして岩を観察した。確かに風の通り道がある。彼は積み重ねられた岩のひとつを両手でがしっと掴んで前後に揺すった。すると、岩が少し動いた。

「もしや、動かせそうなのか?」

「できないことはない」

「さすがはティタンだ! 僕らひょろいニンゲンとはわけが違う! よっ、イェルドの旦那!」

 役に立ちそうだと分かった途端におだて始めるハンカー。

 イェルドは失笑した。

「しかし、いいのか? 廃れているとはいえ此処は神殿なのだろう?」

「学問的探究心の前にはどんな壁も意味を成さないのさ!」

 騒ぎ立てるハンカー。イェルドは仕方なく作業に取り掛かった。

 壁が崩れぬよう、慎重に選んで岩を向こう側に押していく。

 ひとつ目の石を押し出すと、それまで絶え間なく聞こえていた唸るような音は、掠れたような不快な不協和音へと変質した。

 少女が思わず耳を塞ぎ、しゃがみ込む。

 イェルドは一瞬、体内を巡る魔力がぐいっと地面に引き寄せられるような感覚を味わった。彼は壁に手をつき、口を抑えた。弱い吐き気はすぐに去っていったが、どうにも気持ちが悪い。

「……止んだ」

 ハンカーが呟く。いつの間にか、空気に含まれていた重みのようなものが、無くなっていた。

 少しすると、その得体の知れない不快さは鳴りを潜めていった。

 イェルドはそのまま作業を続け、やがて石壁の隙間から外の光が見えた。

「――ふっ!」

 イェルドが大きな石を退けると、ようやく通れるようになった。

「ああ、見てくれよ君たち!」

 突然、ハンカーが大声で叫んで走り出す。

 イェルドは溜め息をついた。

 見ると通路の先には一際大きな広間があった。両脇には広間の先へと続く階段があった。

 地面には先程と同じ様に、古ユヌス語によると思われる言葉が円形の広間全体に渡って、同心円状に彫られている。

 しかし、ハンカーが指さしたのは、正面の巨大な壁だった。

「これは……」

「…………!」

 イェルドと少女もそれを見て、言葉を失った。

 そこにはひとつの生物を描いた巨大な壁画があった。

「…………この生き物は、まさか」

「そう、そのまさかだよ! これは竜だ!」

 ハンカーは広間の真ん中まで走っていき、もう一度壁を注視する。

「すごい、これはすごいぞ! 鱗のひとつひとつまで丁寧に描かれている! 素晴らしい!!」

 ハンカーは興奮で我を忘れているようだ。

 一方、少女は瞬きもせずにその壁画を見つめている。目を見開き、凝視している。

 それはイェルドも同じだった。その絵を見ていると妙な胸騒ぎがした。

「この鱗、髭、たてがみ、翼、そして四本の脚……これは間違いない。亜竜ではなく本物の竜の存在を示す壁画だ! しかもこの竜……」

 壁画の竜は、不思議な外見をしていた。四肢を持ち、背中には六枚の翼を有している。頭頂部からは飛竜の長い皮膜のようなものが生えている。また、顎には豊かな髭が見て取れた。首と尻尾は同じくらい長い。

 竜の飛ぶ下には、このロワルスの山々と思しき地形とそこに暮らす人々が描かれている。この絵と人々を比べると、竜は相当に大きいということになる。

「見てくれよ、イェルド君!」

「なんだ、その呼び方は……」

 言いつつ、イェルドはハンカーの指さしたものを見るべく近寄った。

 ハンカーが指さしたのは、翼だった。六枚の翼は波うって描かれている。

「もしや、あれが詩にあった白き衣か?」

「おそらくそうだろうね。それと、頭から生えている皮膜もそういうふうに見える。つまり、こいつこそがさっきの詩にあった、風に関する力を持った竜なんだろう。非常に興味深い」

 ハンカーは羊皮紙を取り出し、竜の壁画と地面の言葉について余すこと無く書き取っている。

 その間、イェルドは手持ち無沙汰だったので、広間を支える太い十本の柱のうちのひとつに寄りかかって、絵を眺めることにした。

 少女も、自分はそうするべきかと迷いながら、結局はイェルドの足元に寄って来て、一緒になって絵を見た。

「竜……」

 イェルドはほとんど無意識に、そう呟く。少女は自分の身を抱きしめる。

 彼はそんな少女を横目に見て、重苦しい息を吐く。

――この娘も、何か竜に思うところがあるのやもしれない。

「イェルド君!」

 先の見えない思案の霧を吹き飛ばすような、楽しげな声が聞こえた。

 ハンカーが手を振って駆け寄ってくる。

「あの壁画……周りに九つの頭のような不気味な影が見えるだろう?」

 言われて、イェルドは初めてその存在に気付いた。白い竜を囲むように、九つの影が見える。

 このノクサルナ南部で、九つの頭と聞いてあの竜を思い浮かべない者は居ない。

「――悪竜イドラの伝説か」

「そうだよ! これはノクサルナの古い神話に伝わる、九頭の悪竜イドラだ! この壁画は、ノクサルナ南部を脅かしたイドラを、この白翼の竜が人々を助けて打ち倒し、封印する場面を描いているんだ! あの詩は、この白翼の竜への感謝と、イドラ封印による平和を詠っているのだよ」

「すると、あの白い竜は……」

 ハンカーは嬉しそうに、目を輝かせて頷く。

ルバ(Lba)ヴェンタラ(Ventala)で間違いないだろう。かつて、そして今も人々の希望であり続ける竜だよ」

 古ユヌス語で、白き翼を意味するそれは、かつて毒と水害で人々を苦しめた悪竜イドラを当時のノクサルナ王と共に退け、封印せしめた風の竜に与えられた名だった。

――希望たる竜、か。

 イェルドは黙って壁画を見上げる。

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