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幕間1.滅びた村

 僕はある時、ロワルスの深奥を見てやろうとロワルス中を回っていた。

 これはその時に偶然立ち寄った村での出来事だ。

 立ち寄った、というよりも、迷い込んだ、という方が正しい気もする。


 何しろ僕はその場所がどこか覚えていないのだ。僕が森を歩いていると、だんだんと霧が濃くなって自分の場所がわからなくなった。それくらい濃い霧だった。これが噂に聞く魔法なんじゃないかと思うほど急な出来事だった。

 でも僕は、こういう時は上を目指すべきだと知っていた。上を目指して雲を抜ければ自分がどこにいるのかわかるだろう。反対に、下れば下るほど森が深くなってますます迷子になってしまう。

 脚と体力に自信のあった僕はここぞとばかりに勇んで歩みをすすめた。

 もちろん、怖くないわけがない。僕が歩いているのはあのロワルスの山々の一角なのだ。想像もつかないほど強力な神獣がわんさか潜んでいるという、あのロワルス。僕は震える脚を無理やり前へ前へと動かした。恐怖を忘れるためだ。

 ところが、その魔法のような霧は僕を捕らえて離さなかった。

 方向が全くわからなくなってしまったのだ。もはや、どっちが上で、どっちが下なのか。どっちが北でどっちが南なのか。どっちが右で、どっちが左なのかすらもわからない。

 そういう意味で、それは本当に魔法の霧だったのかもしれない。

 僕はますます怖くなって無我夢中に走った。


 幸か不幸か、僕のその行動は僕をある場所へと導いた。

 突然霧が晴れて、小さな村が姿を現したのだ。

 霧は嘘のように姿を消してしまっていた。

 簡素な木造の家々が無秩序に建てられていた。

 

 嫌なのは臭いだった。

 生臭くてどこか甘いような、気持ちの悪い臭いがする。

 胸のあたりから何かが逆流してきそうな気持ち悪さを覚え、たまらず僕は鼻と口を手ぬぐいで覆った。

 少し奥へ進むと、その臭いの正体がわかった。

 

 死臭だ。


 腐りかけた肉の臭いがあたりに満ちていた。

 ひどい有様だった。

 無数の人間の亡骸が道端に横たわっていた。虐殺と言っていい。

 不思議なことに、そのどれにも虫はたかっていなかったし、鳥についばまれたような形跡もなかった。


 僕はひとつの家の扉を開け、その奥へ進んだ。

 寝室と思しき部屋に、二つの死体があった。

 一つは、もう一つの死体をかばう形で死んでいた。

 大人の方は、背中から心臓を正確に刺し貫かれているようだった。とんでもない馬鹿力か、恐ろしいほどの精密な剣使いに違いないだろう。

 覆いかぶさられた死体は子どものそれだった。頭の骨が凹む程の拳で一撃だ。この子どもは苦しまずに死ねたのだろうか。

 どうにもやるせない思いだったが、僕にはどうしようもない。


 外へ出て、村のさらに奥へ向かった。

 僕は驚愕した。

 ――一頭の竜が死んでいた。

 正直、竜の存在なんてお伽噺だと思っていた。竜を描いた壁画だとか、物語を記した巻物、あるいは吟遊詩人の唄なんかも僕の竜研究の対象ではあったが、やはり初めて実際に見るまでは完全にはその存在を信じられていなかった。

 夢にまで見た竜との出会い。できれば生きた個体に会いたかったところだが、生きた個体にはできない調査もある。

 まだ新しい死体のようだ。

 状態からして、氷の魔術によるものに見えた。臓器が腐っていなかったのだ。

 内側から強力な冷気で凍らせたかのようだ。


 僕はひとしきりその竜を観察したものの、細部まで書き留めておくことができなかったことが悔やまれる。

 あまりの死臭と気分の悪さに耐えられなかったのである。


 それでも一応、観察できた限りのことを書き記しておこう。

 竜らしい巨大さだった。頭から尾までの長さは僕十人分の身長では足りないだろう。全身が深く鈍い赤色で、角や背中に走る背膜、翼の先端が黒くなっていた。竜の姿は死してもなお美しい。

 その竜は、四本の脚と一対の翼を持つ、最も標準的な形をした竜だった。足の爪は鋭く、あたりの建物や木に引っかき傷のようなものが残っていた。

 首の少し下、みぞおちの真上にある逆鱗が貫かれている。死因は明らかにこれだろう。正確無比の一突きだ。どうやったのか想像もつかない。

 僕が考える限りでは、氷の魔術で動きを封じてみぞおちに一撃、といったところだが、竜を相手にそう簡単にいくものとも思えない。

 竜の全身に新しい傷はほとんど見当たらなかった。両前足とみぞおちの傷の、計三箇所。

 その代わり、何十年も前に塞がったであろう古い傷は体中にあった。鱗が傷ついていたり、鱗の生え方が少し歪んでいたりするのだ。

 そして、竜の喉元を慎重に開くと、そこには竜袋と呼ばれる器官があった。彼らが魔力を人間の何倍もうまく扱える理由だ。まだ仄かに赤く光っていた。火の竜だったのだろう。不思議なのは、その竜の喉まわりや竜袋には少しも炎症がないことだった。

 火の竜は自身が多少火に強いとはいえ、炎を吐く度にその喉が自らの炎で焼かれると聞く。傷や腫れが少しもないということは、この戦いやそれ以前の生において火を吐いていないのだろう。いや、もしかすると一度も火を吐いたことがなかったのかもしれない。おとなしい老竜だったのだろう。


 こんな巨大な竜を凍結させるほどの氷魔術の使い手を、僕はそう多くは知らない。

 その、あらゆる獣の頂点とさえ言われる竜の亡骸の向こうにも、さらに十数人ほどの亡骸があった。

 みな剣で命を奪われているようだった。


 旅の行程を振り返っても、あれほど胸糞悪い体験をしたことはあの時を除いて無かっただろう。

 しっかりと葬ってやろうにも、僕一人では不可能なことは明白だった。

 僕は聖教式の弔いの言葉を捧げてその村をあとにした。



 ――ハンカー・ゲシュヴィント『神獣探訪記』より

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