19.門出
まだ日が昇って来た頃である。霧に覆われた街は、風が吹くと寒く、肌がひんやりする。
少女がぶるりと身震いをする。すると、イェルドは広い外套を前に持ってきて、少女の体を覆ってやった。
「……」
少女は外套の端を小さく握った。感謝を伝えようとするが、声にならない。
「どうした」
イェルドには伝わらなかったようだ。
少女はひとり肩を落とした。
門の前には多くの人が並んでいた。入ってくる人よりも出ていく人のほうが多いように見える。
昨日の魔獣騒ぎのせいか、門のあたりはどこか張り詰めた空気が漂っていた。
門を通る人々は皆、一人ずつ通行証の確認を受けている。
漆黒の馬に乗る巨漢と少女は、全身を覆う外套のお陰で周りにうまく溶け込んでいた。二人共、頭巾を深く被っているので顔はよく見えない。
「お前は何もしなくていい。妙な動きをすれば怪しまれる」
そう低い声で言って、イェルドは少女に目隠しをした。赤い目はこのあたりでは目立ちすぎる。
「俺がいいと言うまで外すな」
二人の乗った黒馬が門の前まで歩を進めた。
「止まれ。通行手形を見せろ」
軽装の鎧に身を包んだ門番が言う。イェルドは印が押された小さな木の板を取り出して門番の眼の前に出した。
ただでさえ身体の大きいイェルドが大型種の馬に乗っているので、門番の男は精一杯背伸びをして見なければならなかった。
十六に満たぬ者には通行証は発行されない。そして、少女は見るからに十六に満たない。
「……っと、よし。問題ないな。そいつは……あんたの娘か?」
「ああ、そうだ」
少女には、イェルドが自分を守るためにそう嘘をついたのだとすぐに分かった。
「実は昨日から行方不明者が多くってな」
少女は自分の胸がどくんと鳴るのが分かった。
「昨日の魔獣騒ぎのせいだよ。まったく困ったもんだよなあ。一応、顔を見せてくれないか」
イェルドは頭巾を脱ぎ、少女の頭巾も脱がせた。少女は目隠しをしている。
「その子の目はどうしたんだ?」
少女は指先に力を入れ、拳をぎゅっと握った。
「ああ、すまないな。この子は昨日の火事で煙に目をやられてしまっていて、目が開けられないんだ」
「そうだったのか……気の毒にな。よほど大変な目に遭ったんだろう」
門番は本当に気の毒そうな声でそう言う。昨日より着込んでいるとはいえ、少女の腕や頭の包帯は目立つ。
「これからどこへ行くんだ?」
「セウダ・ノクサルナだ。この街はもうこんなだからな。祖父の家に戻るつもりだ」
「そうだなあ……まあでも、また来てくれると嬉しいぜ。あんたの爺さんの家は?」
「ノクサルナの西のアルヘラーツって街だ」
門番はイェルドと少女の容姿をしっかりと観察し、何かを記入している。
「そっか。俺は行ったことないなあ……どんな街なんだ?」
「雨は降らないが、羊はたくさんいる。地下水もある」
「そうかそうか。お前も……うん、大丈夫だな」
少女にはなぜ門番がそんなどうでもいいようなことばかり聞くのかわからなかった。門番と話すイェルドの雰囲気、口調も、少女が知るものとは少し違う気がした。イェルドがどこまで本当のことを言っているのか、少女にはわからない。でも、どこかいつもより口調が明るい気がする。
考えあってのことか、イェルドが門番に尋ねる。
「探し人か?」
「いやなに、白髪青目の荒々しい感じの大男を探してるって人が居てね。ちょうどその子くらいの女の奴隷を連れてるって話なんだが、あんたらは……」
「それは確かに、少し似ているような気もする。だが、残念ながら違ったようだ」
イェルドの髪は、白髪交じりの黒髪のように見えていた。
「ああ。奴隷は馬に乗ったりしない」
門番はそう言って、また何かを手元の紙に書いた。
「問題ないな、通ってよし」
イェルドが馬を進めて門番の横を通り過ぎようとした時、門番がイェルドを呼び止めた。
「あ、おい待て!」
少女はびくりと肩を震わせた。嘘がばれたのか。
焦る少女。
彼女は気付いた。さっきの数々の質問――雑談に聞こえて、実のところあれは検問だったのだ。イェルドの受け答えが怪しければどうなっていたか分からない。
イェルドは剣の柄に手を置いたまま振り返る。
ところが、門番はイェルドが手形を仕舞った胸元を指さして言う。
「手形の印が薄くなってきてるから早めに再発行したほうがいいぞ。止められてからだと遅い」
イェルドは柄から手を放して頷き、馬を進めて少女とともに門を出た。
視界をほとんど塞がれた少女は、それでも門から出ると、何かが変わったのを感じた。
馬の歩く音、イェルドの落ち着いた息遣い、背中に感じる体温、ごうと吹く山風。
――――肌を指す、冷たく熱い空気。
しばらくして、イェルドが少女に言う。
「もういい」
イェルドは少女の目隠しを外した。
陽の光に目がくらみ、一瞬視界が白に染まる。
次の瞬間、少女は思わず、目を見開いて眼前の景色に気を取られていた。
そこには――彼らの遥か前方には、雄大な山々が連なっていた。上の方は白く雪化粧をしている。
少女たちとその山々との間に横たわる広大な谷間には巨大な川が悠悠と流れ、谷底を削って細長い平野を作っていた。川のまわりに点在する集落が点のように小さく見える。
谷から昇ってくる風がごうっ、と音を立ててふたりの髪を持ち上げる。
イェルドは目を細め、深く息を吸い込む。
それに気付いた少女も、真似をしてすぅーっ、と胸いっぱいに息を吸った。冷たい空気が肺を刺す。不思議と不快ではない。少女は何度か吸って吐いてを繰り返した。
少女は深い青色の、何か底知れぬ恐ろしさのある空を見上げた。頭上にありながら、限りなく続くような濃い青さ。
彼女は少し口元を緩める。
遥か遠く、どこまでも青い空を、雲が風に吹かれて流れていく。
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