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15.炎の蜥蜴

 イェルドは胸に少女を抱いたまま、巨大な魔物に相対する。

――火事の原因はこいつか。良くないな。デカい上に、これ以上ないほど怒っている。

 四つん這いの状態でも、周囲の民家ほどの背丈をもつ。それは即ちイェルドよりもかなり体積が大きく体重も重いことを意味する。火蜥蜴にしてはありえないほどの成長している。長い間地下で競争を勝ち抜いて育った特殊な個体だろう。

――俺一人の手には負えない。

 弱りきった少女を抱えたまま戦うのは愚策もいいところだ。

 火蜥蜴に目を合わせたまま、イェルドはじりじりと後退した。五歩後ずさったところで、イェルドは地面を蹴って後ろに跳躍する。

 何かがイェルドの鼻先をかすめ、熱風がイェルドの顔面を叩きつける。その"何か"は鞭のようにしなり、イェルドの頭の代わりに地面を叩きつけ、土を抉った。

 尻尾だ。細長いといっても、イェルドの立つところまで届くほどには見えない。しかし、一歩遅ければ頭を殴打されて首の骨が折られていたかもしれない。それは驚異的な伸縮性を持った攻撃のための道具だった。

 イェルドは尻尾による攻撃の間合いから逃れた瞬間、踵を返して全速力で走った。

 背後から、火蜥蜴が追走してくる足音が聞こえる。

 このままでは追いつかれる。そう思ったイェルドは横っ飛びに跳んで家の陰に隠れる。唸るような、風を切る音が聞こえたのとほとんど同時に、イェルドは家の陰を飛び出した。またあの尻尾だ。土で固められた壁はいとも簡単に砕かれ、周囲に飛び散った。

 イェルドは背を丸くして少女を守りながら走った。


――トカゲとはいえ、地下で暮らす奴の視覚や嗅覚はそれほど優れているのか……?


 イェルドは体内の魔力の回転を速め、脚をもっと速く動かした。角を曲がるたび、突進する火蜥蜴は正面の建物に激突しながら追ってくる。


「イェルド殿、こっちです!」


 正面からティンバーの声がする。やはり彼ほどの傭兵なら魔物の存在に気付かないはずがない。ティンバーはイェルドの後ろについてくる魔獣が何者か分かると目を見開いたが、すぐに走り出す。手を振りながら走るティンバーについて、歓楽街の複雑な道を右へ、左へと走る。

 二人は走りながら大声で会話する。


「イェルド殿、その子は?」

「死にかけている。早く手当てをしたい」

「わかりました。ひとまずこの化け物をどうにかしましょう」


 どうにかすると言っても、逃げ回っているだけでは埒が明かない。

 イェルドは少し逡巡してから言う。

「――氷術が使える」

「…………イェルド殿がですか?」

 ティンバーの声音は硬かった。

 当然だ。魔術が使えることを黙っていた。それは非難されて仕方のないことだった。隊商を守るためには、皆がお互いの実力を正しく把握する必要がある。

 しかし、ティンバーとてそれを今咎めている暇はないことが分かっていた。

 イェルドは短く答える。

「ああ、ここなら使える」

「イェルド! こっちだ!」

 正面にリドの姿が見える。巨人族の全力の声は人とは比較にならないほど大きい。今まではイェルドのほかには見向きもしなかった火蜥蜴の注意が少し逸れた。

 瞬間、イェルドはぐっと速度を上げた。リドの脇を走り抜け、市街地の奥へと向かう。

「かかってこい、トカゲ野郎っ!」

 リドが啖呵を切るのと同時に、後ろで大きな衝突音が聞こえる。イェルドは振り向かずに走った。家々は空で、通りは人でごった返してはいた。

 イェルドは人だかりから少し離れた道の脇にゆっくりと少女を下ろした。

 少女は浅く息をしていた。聞こえているのか定かではないが、イェルドは言う。

「……少し待っていろ。すぐに戻る」

 イェルドはそれだけ言うと、リドとティンバーのもとに戻った。

 リドの足の下の、人の往来で踏み固められた土が、彼が踏みつけるたびに少しずつひび割れていく。

「……まだまだ」

 もう一歩、象のような足音を立てて前へと踏み込む。

「おおおおおッ!」

 革の手袋は既に熱で溶け、手の表面の皮は焼け焦げている。巨人族の体力をもってしなければその絶えず発される熱気に耐えられなかっただろう。

 今、二つの巨影がぶつかり合っている。巨人族の男は巨大な火蜥蜴に生身で立ち向かっていた。

「ぐッ……イェルドはまだか!」

 蜥蜴は右へ、左へと体重を移動してリドの拘束を振り解こうとする。地面が更に深く削れ、リドは徐々に押されていく。彼の背後には未だ逃げ切っていない人々が大勢集まっている。それに街の大通りは門へと直接繋がっている一本道だ。外にも避難した人々がいる。

 だから、ここを通すわけにはいかないのだ。

「ここは、通さないッ!」

 気合を糧に、もう一度火蜥蜴を押し返す。その時、後ろから聞き覚えのある太い声が聞こえた。

「すまない。遅れた」

「……へっ、余裕だぜ」

 イェルドはリドの横に並び立つ。

「リド、魔術を使う。もう少し下がれるか?」

 魔術、と聞くとリドは目を丸くしたが、すぐに言う。

「……おう、そりゃあいい。まかせとけ! よっ、と」

 火蜥蜴が唸り声を上げ、リドはまた押される。ずるずると少しずつ後退しつつ、横目でイェルドと目配せをする。冗談を言う余裕があるなら大丈夫そうだと思いつつイェルドが頷くと、リドの後退は止まった。

「――イキュア・バハル・アルーレ」

 イェルドが呟くと、彼の手のひらの先の空気が白く凍りついていく。その冷気が覆う範囲は段々と広くなり、やがて蜥蜴の足元は真っ白な気で満たされた。

「バハル」

 先程よりも強い声で、イェルドがもう一度唱える。すると、周囲の温度がさらに奪われる。先程まで熱気に覆われていたリドは一気に寒くなったせいでくしゃみを必死に堪えなければならなかった。

 寒気に弱い火蜥蜴の動きは著しく鈍くなった。今ならば大規模な攻撃を仕掛けることができる。

「今だッ!」

 リドの大音声が街の門の前に響き渡る。

 リドの巨大な手が大柄なイェルドの体をいとも容易く持ち上げ、リドはそのまま横っ飛びに跳んで火蜥蜴から大きく距離を取った。

「撃ちます!」

 後方からティンバーの声が聞こえる。

 

 重く風を切る音。

 

 次の瞬間には火蜥蜴の脇腹に杭が撃ち込まれていた。

 巨獣は堪らず苦悶の呻き声を上げる。

 街の門の上には大弩が配置されていた。ティンバーはそれを知って、門の上に登って時を待っていたのである。 

 火蜥蜴の皮膚は冷えると溶岩の如く硬化するが、それより先に身体活動が衰える。その短い時間を狙ったのだ。

 しかし、巨獣の息の根を止めるには十分ではなかった。

 火蜥蜴は最後の力を振り絞り、口腔内に巨大な魔力の塊を形成する。それは熱の力へと姿を変え、急激に温度を上昇させるとともに発光した。大きく開いた口は、大弩のティンバーを狙っている。

「まずい! 炎の息吹だ!」

 そう何度も放つことができるものではないが、その威力は凄まじい。周りの家々にも間違いなく被害が及ぶだろう。

 ティンバーが次の矢を装填する時間はない。リドも誤射を避けるために離れたばかりで、走っても間に合わない。

 こうなれば、もはやイェルドの魔術だけが頼りだった。

「イェルド!」

 見ると、その魔術士の掌に魔力が集中している。彼が掌を翳すと、青白い光の帯が渦になってうねる。

 彼はすでに詠唱を終えるところだった。

 イェルドの掌の魔力が生き物のように蠢き、一条の束が練られていく。

「――――スピラリス・ラピーシュ・アセーレ」

 言葉を紡ぎ終えた途端、空気中の水分が劈裂する鋭い音とともに冷気の光束が放たれる。

 光束は大きく開いた火蜥蜴の口の中を通って、魔獣の身体を内側から急速に凍りつかせた。

 火蜥蜴はついに、全く動かなくなった。火蜥蜴の命はもう絶えていた。

「お見事だぜ、イェルド! お前の魔術、凄まじいな」

 リドが嬉しそうに叫ぶ。

 しかし、答えは返って来ない。

「イェルド?」

 リドが振り返ると、彼はすでにそこには居なかった。

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