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14.救い

 彼は全速力で走っていた。

 坂道の向こうから押し寄せる群衆は、煤に塗れ、半ば炎に追い立てられる獣のようだった。女が赤子を抱えて転び、子どもが泣き叫び、誰も立ち止まろうとはしない。焦げた布と髪の匂いが鼻を刺す。

――鉱山の事故か? いや、それにしては……家々まで燃えている。

 いや、考えるのは後だ。思考を振り切るように、イェルドは足を速めた。

 少し走ると、ティンバーの言っていた娼館をすぐに見つけることができた。見ると、娼館の人々はまだ家財道具を運び出そうとしている途中だった。

 イェルドは指示を怒鳴り散らしている一際身なりの良い男に話しかけた。

「昼間にここへ来た小さい子どもの奴隷はどこだ?」

 男はイェルドの姿を下から上までざっと見ると、露骨に見下した様子で鼻をならす。

 彼は苛立った口調で答える。

「……知らないな。見ればわかるだろう。今はそれどころじゃない」

 道の反対側で娼婦が転ぶ。しかし、誰も彼女を助けようとはしない。

 イェルドは男に視線を戻し、語気を強めて言う。

「いいや、見たはずだ。金の髪に赤い目をした、十二くらいの娘だ」

 イェルドは目だけを動かして男の靴を見た。先端が乾いた血で赤黒く染まっている。

「……貴様」

「知らんと言っているだろう。黙って立ち去れ、ティタ――」

 聞き終わる前にイェルドは胸ぐらを掴んで男の身体を持ち上げ、男の顔を正面から睨みつけて言った。

「次はない。あの奴隷をどこへやった。言わねば指を折る」

 イェルドは左手で相手の指を掴み、関節の曲がる方とは逆に力を加えた。

 男の見下した顔は、みるみるうちに苦痛に染まった。

「――ああああ! 痛い痛い痛い! わかった、わかったからやめてくれ! あいつなら、その道の先の奴隷市の倉庫の奥だ!」

 見ると、男が指さした方角はすでに激しい火の手が回っていた。とても身一つで走っていけるとは思えない。

 しかし、イェルドは迷わず走り出した。彼は火の中へと飛び込んでいく。

 それらしい倉庫はすぐに見つかった。

 幸い、倉庫はまだ焼け落ちてはいなかった。

 しかし、火の熱気があちこちから吹き付けている。梁の軋む音が聞こえる。

 壁には赤いゆらめきが映り、木の焦げる匂いが鼻をつく。

 奥からは煙に咳き込む声が聞こえた。

 イェルドは手で顔を隠しながら倉庫の奥へ進んだ。

 

 進めば進むほど、この倉庫の酷い環境がありありと見て取れた。

 散々売られて使い物にならなくなった女や、痩せて背に骨が浮いた男の亡骸がいくつも横たわっている。

 逃げようとして毒の煙に殺されたのだ。

 イェルドはさらに足を速め、道を塞ぐ瓦礫を押し分けて進んだ。

 炎に照らされる小さな影が見えた。

 また死体か、と嘆息した束の間、イェルドの心臓は跳ねた。

 地面に乾いた血が飛び散っていた。

 黒く変色しつつあるが、まだ新しい。

 倒れている子どもは、くすんだ金の髪をしている。

 

 彼女がいた。

 

 その顔を認め、イェルドは絶句した。

 ――なんて酷い。

 少女の身体からは、あまりにも惨い暴力の痕跡が生々しいほどに見て取れた。

 まぶたは紫色に腫れ上がり、唇は切れて出血し、口元には乾いた血の痕が残っている。

 頬には何度も殴られたようなひどい痣が見える。

 身体のあちこちにも赤黒い痣ができており、左腕が不自然に折れ曲がっていた。おそらく、骨折しているのだろう。彼女は虚ろな目を半開きにしたまま、ぴくりとも動かない。

 イェルドはすぐさま少女に駆け寄り、手袋を脱いで唇に震える指を当て、息を確かめた。

 ――まだ、生きている。

 ほんの僅か、今にも消えてしまいそうなほど弱々しいが、息はある。

 唇の感触に応えるかのように、少女の唇が動く。

『――たす、け、て』

 声はない。しかし、少女は確かにそう言った。

 イェルドはその言葉を理解すると拳を握りしめ、少女に答えた。

「わかった」

 イェルドは壁の金具と少女の足かせをつなぐ鎖めがけて剣を振り下ろし、鎖を断ち切った。さらにもう一度剣を振り下ろし、足かせの間をつなぐ鎖を断ち切る。そして、少女の身体を自分が着ていた外套でそっと覆う。

 剣を鞘に収め、跪いて少女の身体をそっと持ち上げる。

 少女の身体は、恐ろしいほどに軽い。

 しかし、イェルドは腕の中に、それでも確かなぬくもりを感じた。



 



 イェルドは歩いて倉庫の外へ出る。そこで、彼は立ち止まった。彼は、自身の下顎のあたりにぴりぴりした僅かな刺激を感じた。あらゆる感覚を研ぎ澄ませ、魔力の流れを読み取ろうとする。

 重い足音が近づいてくる。鉄や硫黄のような金臭いにおいがする。ひときわ強い熱の波が、鉱山の方角から感じられる。

 炎の明かりに照らされて、暗闇に浮かび上がる魔物の姿がある。

 燃えるような赤い模様が現れた漆黒の体表、ぎょろりとした黄色い目。細長く伸び尻尾の先から背中にかけて、岩のように隆起した赤く輝く鱗が見える。四本の足は地面についており、口元から凄まじい熱気を放っている。

 火蜥蜴だ。

お読みくださりありがとうございます。

遅くなりましたが、なんとか平日投稿できました。

これから私事でかなり忙しくなるのですが、最低でも週に一度は投稿したいと思っているので、ぜひブクマ等よろしくお願いいたします。リアクション・評価もお待ちしております。

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