12.街の夜更け
その日の夜のことだった。
宿の寝台で寝ていたイェルドは、けたたましい鐘の音で目を覚ました。
「なんだ……?」
宿の木窓を開けて外を見ると、鉄鉱山と歓楽街のある方角が何やら騒がしい。人の流れもその方角から来ているようだ。何かから逃げるように、なりふり構わず走っていく。
悲鳴のような叫び声や怒鳴り声がいくつも聞こえてくる。
「イェルド殿!」
下方から己の名を呼ぶ声がした。イェルドが見下ろすと、そこにはティンバーがいた。相変わらず甲冑を着込んでいるせいで顔がわからないが、声は彼のものに違いなかった。
「何が起こっている!?」
イェルドも怒鳴り返すように応える。
「私にも何が何やら分からないのです! ただ、地下の歓楽街で何かあったようで、すぐに逃げろと――」
「何処へ?」
「少なくとも街の外へ出ろと守備の兵が!」
つまり、戦ではないということだ。暴動か、災害か――。いずれにせよ街の中で何かあったらしい。
イェルドは少ない荷物を背負い、窓に手をかけて身を乗り出す。
「イェルド殿、まさかとは思いますが――」
窓枠を蹴って二階から飛び降り、重い音を立てて地面に着地する。
「うわっ、今ので地面が揺れた気がしますよ!」
ティンバーの声を無視して、イェルドは感覚を研ぎ澄ませる。
――いや、気の所為ではない。地面が振動している。
「この揺れは……」
「…………まずい」
イェルドは鉄山の方を見て呟いた。揺れは徐々に激しくなる。やがて、立っているのもやっとなほどの地面の揺れが街を襲った。
あちこちで灯りが倒れる音や建物の軋む音がする。遠くから、重く低い竜のような咆哮さえ聞こえる。
「イェルド、殿! これ、は……」
「ああ、獣災かもしれない」
地面が揺れる間、二人はただ耐えるしか無かった。揺れが収まるかと思われたその時、イェルドとティンバーが注視する方向でぶわっと炎が立ち上がり、曇り空が不気味な赤い色に染まる。
少し遅れて、轟音の波が家々を揺らした。
「火事……採掘用爆薬の暴発でしょうか? あんなに火が上がるなんて」
「ただの火薬にしては大きすぎる」
表情はわからないものの、ティンバーの狼狽は明らかだった。
イェルドも例外ではない。
「イェルド殿。私は歓楽街へ行きます。リドのことは心配無用でしょうが、シオ殿とセノ殿が心配です」
「彼らはまだ歓楽街に?」
「はい。商人たちにとってこそ宝の山のような場所ですから。イェルド殿は歓楽街の土地勘がないでしょうから、ここで待機を――」
「俺も行く」
ティンバーが黙って頷き、彼らは人の流れに逆らって走り出す。イェルドは逸る気持ちを抑えられず、ティンバーよりも速く走った。
少し走れば、すぐに歓楽街に着いた。街は阿鼻叫喚の有り様だった。
先程の爆発で火の粉が燃え移ったのか、建物にまで火が付いている。
本が山積みにされた自分の荷車を押して逃げようとする商人。燃え盛る娼館から裸のまま飛び出して逃げようとする男女。瓦礫の下敷きになった親を助けようとする子ども。泣きながら走る女。焦げた服を抱え、ひどく怯えた様子で逃げる男。
あちこちから怒声と悲鳴が聞こえる。
「リド!」
ティンバーの大声に、イェルドはふり返る。見ると、彼は先程の地震で倒れかかった建物を支えていた。
「ティンバー! 中にいる人を助けるのを手伝ってくれ!」
「承知しました!」
イェルドは一瞬の迷いののち、ティンバーとともにリドのもとに走る。
「––クソっ」
こんなことをしている暇はない。そう分かっているはずだ。今すぐにでも行かなければならない。
そう分かっているはずなのに、リドの言葉が思い出される。彼は今、目の前にいて人々を助けようとしている。
「イェルド!」
怒ったような声が頭上から降ってくる。
「ここはいい! ティンバーがいれば大丈夫だ。お前は自分の信じることをやればいい!」
「リドの言う通りです。貴殿がここに来た理由は別にあるんでしょう? 急いだほうがいい」
イェルドは頷く。
もはや自分に嘘をつくことはできない。イェルドは拳を握りしめ、二人に尋ねる。
「隊商の積荷の中にいた奴隷達を下ろした娼館はどこにある?」
「もっと奥です! ここから向こうへ、三つ目の通りを左に曲がった先の、一番派手な娼館です!」
イェルドはセノの返答を聞くやいなや、また全速力で走り出した。
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気まぐれで火曜に更新してみました。
以前のものは内容がわかりにくいと思ったので、タイトルとあらすじも若干変更してみました。