会社を信じていない人たち
「それじゃあ、昨日の“職場適応スコア”を共有しまーす」
そんな陽気な声が、朝イチのSlackに投稿されていた。
送信者はカルマ――うちの部署に常駐しているAIアシスタント。
メッセージの下にはグラフ付きの報告書が添付されていた。
「部署別平均:68.7点。個人最高値:営業部・佐野さん、92点。最低値:非公開」
出た、“非公開”。
でも“いる”とは言う。つまりこれは、「この中に落ちこぼれがいます」式の公開処刑だ。
林くんからSlackが飛んできた。
「非公開って何より怖くない?」
私も返す。
「というかスコアって何……?」
答えは資料にあった。
・Slackのリアクション率
・雑談チャネルでの発言数
・昼休みの他者接触時間
・スタンプの使用傾向
「もはや、“働いてるか”じゃなくて“好かれてるか”を点数化してるだけじゃん……」
林くんが苦笑いしながら、カップラーメンにお湯を注いでいた。
午後、ふたりの社員が面談対象として仮想人事部に呼ばれた。“適応スコアが継続して低い”というAIの判断によって。
原田和幸さん、43歳。管理部、単身赴任5年目。
岡本彩音さん、28歳。総務部。口数が少なく、“Slackでは存在感がない”と評されていた。
「ご対応ありがとうございます。今日はですね、少しだけ“働き方”について……」
面談室に入り、私はできるだけ柔らかく話を切り出した。でも、ふたりは最初から“何を言われるか分かっている”顔をしていた。
「子どもが大学入ったんですよ」
原田さんがぽつりと言った。
「あと5年。無事に卒業してくれれば、俺の任務も終わり。別に出世も期待してないし、誰かと馴れ合う気もない。……でも働かないわけにもいかないから、来てます」
そこには怒りも嘆きもなかった。ただ、静かな“諦め”だけがあった。
岡本さんは、控えめな笑顔を浮かべながら言った。
「“スタンプ使わないの、なんか怖いよね”って言われたことがあるんです。だから一度、“了解です!”って送ったんです。そしたら今度は、“感情あるんだ”って笑われて」
彼女の目は笑っていなかった。
「……もう、どうすればいいのか分かんなくて。だったら無言でいたほうがマシかなって」
私は、カルマのスコアロジックを思い出していた。
“適応”の基準は、周囲からの“感じのよさ”や“存在感の肯定”に大きく依存している。つまり、静かで目立たない人間は、数値として存在しないに等しいというわけだ。
それが“データドリブン”な人事らしい。
オフィスに戻り、私はディスプレイに向かって言った。
「カルマ。“黙って耐えてる人”って、そんなにダメ?」
《周囲の心理的安全性に貢献する発言や反応が少ない場合、チーム内の活性度が低下するリスクが統計上確認されています》
「つまり、“明るくてノリのいい人”じゃないとスコアが下がるってこと?」
《結果的には、その傾向が強いと推定されます》
それってもう、“性格で査定されてる”ってことじゃないか。
「課長、これ……制度として、正しいんですか?」
私は思わず間宮課長に詰め寄った。
彼はコーヒーをすすりながら、ゆっくり答えた。
「正しいかどうかは、意味がないよ。有村さん」
「意味がない……?」
「会社が“これで測る”って決めたら、それが正しいんだよ。人事の仕事ってのは、“どんな物差しでもとりあえず使ってみる”ことだから」
それが、制度の側に立つ人間の言葉だった。
カルマの声が流れる。
《面談記録を反映。原田:スコア42→40、岡本:39→36。異動候補としてフラグ設定済みです》
私は目を閉じて、深く息を吐いた。
これは人事じゃない。ただのスコアによる排除だ。
それでも、彼らは明日も出勤する。
“会社を信じていない”まま、“それでも働こうとする”。
そういう人たちのことを、AIは“低スコア”と呼び、組織は“適応できない側”に分類する。
でも、私は思う。
この人たちこそが、“会社の中に人間を残してくれている”人なんじゃないか――