意味のない仕事の、意味
「この人、また“異動候補”ですか……?」
私は思わず、モニターに向かって問いかけていた。
リストに載ったのは、経理部の酒井優斗(35)。
社内評価は「協調性あり」「人当たりは良好」「業務改善の提案多数」
――にも関わらず、「部署との相性は不一致」「能力発揮の兆候なし」と、AIは判断していた。
「有村さん、その人、三回目だよ」
背後から林くんの声が飛んできた。
「三回目?」
「うん。去年も、今年も、AIは彼を“適正外”って判定してる。でも、毎回見送られてる。なぜかは知らないけどね」
「それって……」
「たぶん、“異動させる理由も、させない理由も、明確じゃない人”なんだと思う」
酒井さんとの面談は、ある意味で穏やかだった。
静かで、礼儀正しくて、受け答えも無難。
ただ――そのすべてが、“諦めた人”の声だった。
「異動って……“今のままじゃダメ”ってことですよね」
「いえ、そういうわけでは……」
「そうじゃなきゃ、AIは候補に上げないでしょ」
彼は笑っていた。
でも、その笑顔の奥にあるものが見えた気がした。
「俺、たぶん会社の中で、“いてもいなくても困らない人”なんですよね」
ふと、彼がデスクの引き出しから小さなタッパーを取り出した。
「どうぞ。余ったので」
中には、個包装のチョコとキャンディがぎっしりと詰まっていた。
「うちの部署、3時になるとこれが出ます。“おやつ当番”とかないけど、俺が勝手にやってる。これくらいしか、俺にできる“貢献”ないんで」
私は言葉を失った。
チョコを配る。
ありがとうを欠かさない。
AIには検出できない小さな善意が、彼をギリギリ職場に“存在”させていた。
「“意味がない”って、誰が決めるんでしょうね」
ぽつりと、酒井さんが言った。
「会社にとっては意味がない。でも、もしかしたらあのチョコをもらった誰かが、“今日ちょっと頑張れた”かもしれない。そういうのって、点数つかないけど、意味あると思うんですよね」
私は思わず、息を飲んだ。
AIには評価されない行動。
上司にも届かない仕事。
でも、それが“人の職場”をかろうじて守っている。
「……異動、したいですか?」
「正直、どっちでもいいです」
彼は静かに笑った。
「でも、“ここで居場所がないまま働くくらいなら、どこかで意味を見つけたい”って思ってます」
オフィスに戻ると、カルマがいつもの声で告げた。
《面談記録を解析中。該当者の異動妥当性は56%。
実行時の炎上確率は21.8%。精神的反発リスクはやや高めです》
“精神的反発リスク”――。
なんて冷たい言葉なんだろう。
私は心の中で、つぶやいた。
あの人の仕事に意味があるかどうかを、あなたに決められたくない。
たぶん、私もまだ、意味のない仕事ばかりしている。
でも、無意味な努力が誰かの救いになるなら――それは“存在の証明”かもしれない。
私はディスプレイの前で、小さく頷いた。