ようこそ、仮想人事部へ
「――有村さん。異動ね。“仮想人事部”へ」
その言葉を聞いた瞬間、私は思わず聞き返していた。
「……すみません、仮想って、バーチャルの“仮想”ですか?」
「うん。会社的には“次世代人材戦略ユニット”って呼んでるんだけど、現場では“仮想人事部”で定着しちゃってるのよね。まあ、有村さんなら向いてると思うわ」
向いてる……? なにが?
私は有村璃子、25歳。入社3年目。
経営企画部で、資料作成・議事録・社長案件の根回しまで、地味に幅広くこなしてきた。
評価は“便利屋枠”止まり。でもまあ、嫌いじゃなかった。
ただ、最近AI導入関連のプロジェクトにちょっと関わっただけで、なぜか突然この部署に。
異動先の正式名称は「次世代人材戦略ユニット」
だが社内では“仮想人事部”と呼ばれている。
理由は簡単。
「AIが出した“仮の人事判断”を、実際に人間が検証・運用する部署」
つまり、AIに判断させるけど、最後は人間が責任を取る“中間管理職AIフォロー部隊”らしい。
そしてもう一つ。
「社内的に仮置きされた部署」――人員も案件も、いろいろ“訳アリ”が集まってくる。
初出勤の日、7階の端にある“元・書庫”スペースを改装したオフィスの前で、私は5秒ほど深呼吸した。
扉を開けると、狭い部屋に6つのデスクと、目立たない観葉植物。
壁には「共創こそ、革新のカギ」――社長のサイン入りポスター。
「おはようございます。有村璃子と申します。今日からこちらに……」
「おっ、有村さん、来た来た。ようこそ仮想人事部へ!」
出迎えたのは、少しクセの強そうなスーツ姿の課長、間宮さん。
眼鏡の奥の目は穏やかで、なんだか妙に馴れ馴れしい。
「われわれはね、有村さん。“人類の行間”を読む部署なんだよ」
「……はい?」
「AIじゃね、そこが読めないんだ。嘘と本音、建前と地雷、そのあたりをなめらかに処理するのが我々の仕事なのさ」
うっすら笑っているけれど、目はまったく笑っていない。
朝のミーティング。先に着いていたメンバーが4人。
係長っぽいバリキャリ風の女性、ヘッドホンを首にかけた若手男性、ゆったり紅茶を飲む年配女性、そして。
《おはようございます。有村璃子さん。
AI人事アシスタントの“カルマ”です。今日からよろしくお願いいたします》
天井のスピーカーから、女性の声。やけに丁寧で、感情がない。
「……しゃ、喋った……AIが……」
「うちの部署にはね、AIの“魂”がいるんだよ」
「課長、それホラーに聞こえるんでやめてください」
若手の林くんが淡々とツッコむ。
《璃子さん。あなたの業務適性に基づき、初日のタスクを割り当てました。
“異動候補者リストの一次レビュー”です。あなたの判断力を評価しています》
「……異動候補って、社員の?」
《はい。カルマが選出した、配置最適化案です。人間による最終検証をお願いします》
それってつまり、「この人をどこに飛ばすか」ってこと……?
初日からそれ、私がやるの?
「仮想って、つまり、“仮”の判断って意味なんですか?」
ふと疑問がこぼれると、田端さん――紅茶を飲んでいた年配の女性がぽつりと答えた。
「仮ってのはね、“責任取らない前提”って意味でもあるのよ」
「え……」
「ここは、AIが出した答えに“人間のフリ”して判子押す場所。
そして会社にとっても、都合よく“仮置き”できる部署なの」
私の中で、何かが冷えた。
これは思っていたより、ずっとヤバい場所かもしれない。