君の部屋、特別な時間(オムニバス版)
この作品は、同タイトルで短編として投稿したものを加筆、修正してオムニバス形式として読めるよう連載小説の中に投稿した物になります。
ご承知の上ご一読頂けると幸いです。
私は彼の家に着くとドアの前で一度大きく深呼吸をする。
もう何度も来ているはずなのに、この瞬間が一番緊張する。
――ピーンポーン
「いらっしゃい」
少しすると、ガチャリとドアが開き、彼が出迎えてくれる。
「お邪魔します」
私がリビングを通り、彼の部屋に入ると優しい香りがふわりと広がった。
普段は感じることの出来ない大好きな匂い。
「今日もよろしくね」
私がそう言うと、彼は小さく微笑んで「うん」と頷く。
テーブルにはすでに教科書やノートが広げられていて、彼の几帳面な性格がよく表れていた。 こういうところ、私は結構好きだったりする。
「そこ座ってて、お茶入れるから」
彼の言葉に頷いて、私はそっと自分の服の裾を握る。 今日はちょっとだけ気合を入れて選んだ服。 特別な意味はないけど、ほんの少しでも彼に「可愛い」って思ってもらえたらいいな、なんて考えてしまう。
「今日は何やる?」
「私は数学かな、この前やった範囲が少し難しくて」
「じゃあ分からない所があったら教えて?俺は別の科目やってる」
「わかった」
そんな会話をしながら勉強を始める。 彼と一緒に勉強すると、いつもより集中できるから好き。 だから今日も、しっかり頑張ろう——そう思っていたのに。 ——時々、彼の視線を感じる。
ふと顔を上げると、彼がじっと私を見つめていた。
「……なに?」
「え、いや……」
目が合うと、彼は少しだけ視線を逸らしながら、ぽつりと呟く。
「……今日の服、可愛いなって」
「っ……」
思わぬ言葉に、頬が一気に熱くなる。
「な、なに急に……」
「いや、勉強始める前に言おうと思ったけど、なんか恥ずかしくて」
彼は少し気まずそうに視線を落としたまま。
だけどそんな素直な反応に、余計に意識してしまう。
「……ばか」
小さく呟くと、彼は「え、俺何か変なこと言った?」とでも言いたげに首を傾げた。 その無自覚な感じがまたずるい。
「別に……」
そっけなく答えながら、ノートを開く。 勉強に集中しなきゃ。
だけど、どうしても彼の横顔や仕草が気になってしまって——。
********
勉強を始めてから、一時間ほど経った。
「……ふぅ」
ノートの上にシャーペンを置いて、大きく息を吐く。
結局私はこの一時間、あまり勉強に身が入らなかった。
「ね、ちょっと休憩しない?」
私の言葉に、彼はこくりと頷くと、軽く背伸びをしながら小さくあくびを漏らした。
「……そうだな、ちょっと疲れた」
そんな彼の言葉に、私はくすっと笑う。
「じゃあ、お菓子食べる?」
「いいの?」
「うん、ちゃんと持ってきたんだよ」
私は鞄から、小さな袋を取り出した。
「じゃーん、チョコレート!」
「おお、いいね」
彼は嬉しそうに袋を受け取り、一つ摘まんで口に入れる。
「……甘い」
「でしょ?」
私も一つ食べて、口の中に広がる甘さに思わず微笑む。 こうやって彼と一緒にのんびりする時間が、たまらなく好きだった。
***************
休憩を終え、お互いに教え合いながら勉強を再開したものの、そろそろ集中力が切れてきた。
ふと横を見ると、彼もノートを見つめたまま、ペンをクルクル回してぼーっとしている。
時計をちらりと見れば、一度休憩してから結構時間が経っていた。
「ねえ、疲れたから休憩しない?」
「んー……そうだな」
彼は軽く伸びをして、ちらりとこちらを見てきた。
「……?」
「手、繋いでもいい?」
「え……?」
彼の方を見れば、少しだけ恥ずかしそうに目を逸らしながら、それでも私の返事を待っている。
「……ばか」
小さな声で呟きながら、私はそっと彼の手に自分の手を重ねる。
ぎゅっ——。
優しく握り返してくる彼の手から、じんわりと温かさが広がっていく。
(……ずるいよ、こんなの)
外じゃ素っ気ないのに、家だと甘えてくるなんて。
でも、こうやって二人きりの空間で、そっと触れ合うこの距離が、たまらなく心地いい。
そのまま、そっともたれかかると、彼が後ろから抱きしめてくる。
「……っ」
驚いたけど、彼の腕の中は、思った以上に温かくて、なんだか安心してしまう。
「……落ち着く」
ぽつりと呟くと、彼の腕が少しだけきゅっと強くなる。
「俺も」
その一言が、心の奥にじんわりと染み渡り、大好きな匂いも強く感じられる気がした。
(……もう、こんなのずるいよ)
心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、私はそっと目を閉じた。
どれくらいそうしていただろう。一瞬だったかもしれないし、勉強している時間より長かったかもしれない。
「……離したくない」
彼の小さな呟きに、思わず顔を上げる。
「え……?」
驚く私に、彼はほんの少し照れたように目を逸らした。
「いや……ごめん。なんでもない」
「……ずるい」
「え?」
「そうやって言っておいて、いつもごまかす」
じっと見つめると、彼は困ったように小さく笑う。
「……もう少しだけこのままで」
「……」
胸がきゅっと締めつけられる。 そんなの、私だって同じなのに——。
「……可愛いって言って」
私はそっと彼の腕を掴みながら小声で言う。聞き取れなかったのか、首を傾げる彼を見上げながら
「さっき、可愛いって言ってくれたから…そうしたらもう少しこのままでも……」
私の小さな抵抗に対し、彼は優しく「可愛いよ」と言うと、そっと抱きしめ直してくれた。
「うん」と小さく返しながら、心地よさに身をゆだねる。
(もう勉強どころじゃないよ…)
「……好き」
彼の小さな声が、耳元で囁かれる。
「……っ」
たったそれだけの言葉なのに、どうしてこんなに胸がいっぱいになるんだろう。
「……私も」
そっと囁き返すと、さっきより強く抱きしめられる気がした。
(ずるいなぁ…)
そんな感情を彼に抱きつつも私は心の中で思う。
このぬくもりが、どうかずっと続きますように--。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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