お茶の間
玄関の引き戸をガラガラと開けると、音を聞きつけて祖母ちゃん以外の家族が揃って迎えに出て来た。こんな事は初めてだ。
「!……ただいま…。」
「おかえり。…どうや?会えたんか?」
真っ先に話しかけてきたのは祖父ちゃんだった。
「会えたんかって…アレ、どういうこと!?」
思わず声が荒くなる。祖父ちゃんを睨む事なんか滅多にないが、曾祖父ちゃんの関係は祖父ちゃんが指揮を取っていることなのでウチでは一番詳しいはずだ。
「まぁまぁ、話すから、はよ来て座れ。」
靴を脱いでいる間にも祖父ちゃん、父さん、母さんの三人はぞろぞろと祖父母の使う居間に移動している。腹立たしい事だしムカつく気持ちもある。けれど何より家族を疑わなければならないこの状況が気持ち悪い。一歩間違うと全員が意味のわからないクリーチャーにも見えてくる。そのつもりでいる自分の緊張感に反して周りの空気は至って和やかだ。それが更に異常さを強調して冷や汗をかきそうなのだけど、とりあえずは黙ってついていった。
「…父さんは知ってたの?」
「や、詳しいことは何もわからん。
俺はお前と同じことを言われてた。」
歩きながら尋ねた俺に父さんは愛用の黒縁眼鏡を指で上げながら、すっとぼけたように呑気な返事をする。怪しい。反射光のせいか眼鏡のレンズが白く光って見える。
「母さんは?」
「私は嫁に来たんだから…。
ただ、アンタのこと相談したら、父さんが…。」
母さんを知っている人には目元が俺と似ていると言われる。愛妻家を自称する父さんは、その相手に厳しい眼差しを送られて薄っすらと笑った。いつもながらよく分からない心理だ。今はもう悪役にしか見えない。てか、やっぱり何か知ってたんじゃん。
まぁ概ね予想通りだ。工作するなら父さんだろうとは思っていた。ウチの家族の中では。祖父ちゃんが何か企む時には独断を押し通そうとするから隠したつもりでも違和感や矛盾が目立ちがちだ。子供とはいえ長年欺き通すなんてやり方は統制が効いているし徹底している。尻尾を隠せないタヌキの仕業ではないだろうと思っていたのだ。
「ウチはそういうことがあるっていうのは、
結婚する時にも言ったはずだよ。」
「そりゃわかってるけど、私には説明出来ない。」
「ああ…それはそうだ。
ちゃんと父さんと俺が話すから。」
「…だってさ。何か知んないけど、
自分の事なんだからしっかり聞きなさいよ。」
よく分かっていない割に偉そうに母さんが言う。しかし本当に何も知らないのならば話の内容次第では味方をしてくれそうな気配はあるな。排除一択ではなさそうだ。
四月も終わりになろうというのに祖父母側の住居の居間にはまだコタツが出してある。八畳間に箪笥とテレビとコタツ、その上には毛糸の入った竹細工の籠、という絵に描いたような日本のお茶の間の空間が祖父ちゃん祖母ちゃんの部屋独特の匂いとともに古き良き日本の伝統を演出して見せていた。膝が悪く冷え性の祖母ちゃんはコタツに入って編み物をしながら待っている。若い頃に一度はまったブームが再燃したらしい。使っている道具は当時揃えたものだと言っていた。シンプルなデザインで世代を選ばないのが良いと褒めたら俺にも膝掛けを編んでくれた。毛糸の手編みはとても暖かい。次はあみぐるみを製作中のようだ。
「おかえり。暖かいからコタツ入るかね?」
祖母ちゃんが編み物の手を止めて声を掛けてきたが、横から母さんに睨まれた。
「アンタまだ手も洗ってないでしょ?」
感染症には五月蝿い、というか清潔さの維持と所有物の管理及びゴミ処理には小言が多いのがウチの母さんだ。我が家の衛生環境を取り仕切っている。俺は小さな頃から外出後の手洗いとうがいを躾けられていて、母親の言う事だからと逆らわず続けていたら当たり前の習慣になった。親子で似ているらしい目付きやガッシリした体格、気の強い印象の口調には若々しさどころか番長だろと言いたくなる雰囲気があって怖い。とにかく家に帰ったら手洗いうがいは欠かせない。ということで素直に俺はまず洗面所に向かう。
小一でこの家に引っ越す前は俺と父さんと母さんは同じ町内のアパートに住んでいた。(ド田舎で選択肢は少ないが一応賃貸物件は存在する。)母さんは俺が高校生になってようやくこの町にも慣れてきた、などと言っていて、馴染むのが遅すぎるやろと思っていたのだが、そんな異質な存在感が周囲に馴染みにくくなる原因なのだろうと推測する。祖父ちゃん祖母ちゃんの前では大人しくしているものの、親子三人だけになると平気で怒鳴るわ机を叩いて脅すわ時代錯誤の恐怖の鬼ババァである。しかも本当は結構口が悪い。アパートで暮らしていた保育園時代には何回か頭を叩かれたことも俺は忘れていない。そんな風に昔の思い出を辿ると、自分のオカンが某大作漫画でジャイアントキリングしまくる兵長に似ているとさえ思えてくるのだった。うなじを狙われる。そんな気がする。
ちなみに俺がデカいのは父さんの背が高い方なのと、叔父さん(母さんの弟)がデカいから遺伝だろうとのことだ。更に母さんの叔父さんはひょろ長く、伯父さんは縦にも横にもデカかったらしい。(今は齢のせいで痩せた。) つまりウチの母さんは、デカい男子には子供の頃から慣れているわけだ。異質に見られがちな俺も親戚の中では特に珍しくはないのだ。
洗面所の鏡に映る自分を気にするようになったのは中学生になった頃からだろうか。それまではどうでも良かったのが、そうも言ってはいられなくなる。馬鹿にされたりイジメられたりする同級生を見ると意識せざるを得ない。他人の評価は分からないものだから考え過ぎも良くはないだろう。とはいえ、好き勝手に詐欺まがいの行為をされて黙っていい子にしてろと言われる程には終わった人間ではないと自分を信じる。人は見た目ではないけれど、家族が例え見た目で決め付けていたとしても言い返せるくらいには、きちんと生きてきているはずだ。大丈夫。俺は割とちゃんとしている。
手を洗いながら鏡の中の自分に目を合わせて意志を確認した。弱いとか気が小さいとか、そんな事を気にしなくてもいい人生が在るなら羨ましい。昔、確かうっかり怒らせてしまった友達と仲直りが上手くいかなくて悩んでいた時に、母さんに言った事があった。母さんはデカくて丈夫で力がある方が羨ましいわ、と両手に持った買い物袋を片方渡してきた。"アンタには価値があるとアンタ自身が思ってないと、勿体ないやろ。"と言われたのを覚えている。結局荷物持ちをやらされただけの話なのだけど、母さんはいつも一応お礼は言ってくれる。なんでかあの一言は今でもよく覚えていて、一人でボーッとしている時に不意に思い出すことがある。それが何故なのかは実は自分でもよく分からない。