時間通り
自分だけかもしれないが、同性の顔が美しいとか醜いとか、ただでさえ定義の難しい問題をいちいち周りの人間にまで適用させて考えること自体があまり無い。変に気にして自ら気難しくなるのも気まずくするのも嫌だ。そんな自分でも芸能人の誰それに似ているなと頭の中で比較して遜色ないと思うくらいにウメムラさんは綺麗な顔をしていた。ちなみに頭に浮かんだのは演技派と呼ばれる俳優である。ウメムラさんの方がずっと歳下だから、その俳優の若い頃をイメージさせた。
一通りの挨拶が済んだ後でアカザワさんは連盟の二人の方に駆け寄ると、能勢さんと何かの話題で盛り上がっていた。何となく女子同士で話す時の能勢さんは表情豊かでいつもより明るい気がする。言葉遣いも軽やかだ。やっぱり同性の方がリラックスして話せるのだろう。アカザワさんはもう帰ると言っていたから、それを告げに行ったのだと思うけれど、それだけにしてはやけに長い。
歳上の男性二人との話題が見つからない事は分かりきっていたし、此方から話を振るのも生意気に映るだろうかと考えた結果、俺はただ立ち尽くして華やぐ女子トーク?を暫く観察していた。あまりジロジロ見ると変態みたいだから様子が分かったところで少し目線を外して遠くの緑を眺める視力回復法(民間療法)に努める。ぼけ〜っと視界を深い緑色に吸い込まれつつ聞き耳を立てていると、どうやらアカザワさんはやはり歳上で大学に通っているらしく、能勢さんが興味津々に聞いているのは大学生の日常やキャンパスライフについての話だった。そういえば高校三年生のはずだから能勢さんは大学受験をするつもりなのかもしれない。こんなバイトをしている場合ではないのでは…いや、私立の一貫校なら推薦とかの枠があるのだろうか…。
アカザワさんは神寄せに会ったのは初めてのようだった。俺も自分なりに調べてみたのだけど、文吾町で行われる神寄せの神事についての情報はごく僅かで、全国的には殆ど知られていない。それはそうだろうとは思っていた。普通に"神寄せ"をネット検索すると、他の地域で使われる言葉の意味として出てきたのが神様の合祀(ごうし。幾つかの神や霊を合わせて祀ること。)である。名称は同じでも文吾町周辺に伝わる"神様と親しみ交流する為の神事を執り行う人間"とは全く異なる意味の別の言葉だ。しかし"神事によって神様の力を借りられる"という部分では、似たようなものとして"神降ろし"があった。これは知っている。
何故知っているのかと問われれば殆どの文吾町民には子供の頃から神仏への敬意が刷り込まれているからだと俺なら答える。神降ろしは神寄せとは全く違う神道の儀式、或いは祭礼である。だいたいの一般文吾町民は神社を大事に考えるから神降ろしは格式高い神事だと思っている。神様に関係する事について人間が勝手に順序を付けて良いものではないと俺は思うのだけど、神道よりも神寄せの方が神様に近いと考えているのが神寄せ信仰の信者だという認識だ。改めて深掘りしようとすると確かに神寄せ信仰の人達には少し違った考え方があるのだと思う。詳しく語れる程には知らんけど。
神降ろしは神社で祭りの様な形で催される神事である。神様に失礼があってはならないから厳格に執り行われる。祭りの場には神様や神霊が降りてくる。巫女さんに宿り、神託等が与えられるとも言われている。
しかし神降ろしの様な大きな儀式は、神道にはそういう神事があるのだということをお参りの時等に神職さん達に教えて貰っただけで実際には見たことも無い。そんなに余裕のある規模の大きな神社がそもそも文吾町近辺には存在しないのだ。それがあったら神寄せも必要とされなかったのではないかと思う。辺境の過疎地域には余りにも色んなものが足りなかったのではないだろうか。何も無く与えられなかった。それでオリジナル路線を作ってしまった、とか。有りそうな話だ。俺も実際にその能力を体験する機会が無ければ、ずっとそう思っていただろう。
帰りの電車に乗る為にアカザワさんがホームに移動しようとする頃に、反対側のホームに停まった電車から小羽田さんが降りてきた。デカい旅行用バッグを肩から下げている。ほぼ時間通りの到着だから蓬莱さんも同じ電車なのかと思って探していたら、六堂が見つけて声を上げた。視線は駅舎の外にある踏み切りの更に先に向けられている。どういう訳か住宅地の方から歩いて来る蓬莱さんの姿が見えた。




