無関係
活発なイメージの森川の母さんはチャキチャキと手早く床を掃いていた。白髪混じりのショートカットが不思議とお洒落で老けて見えない。たまに外で煙草を吸っている森川の父さんは奥でお客さんの顔剃りをしながら会話していた。理髪店がメインなのだが、父親が理容師で母親が美容師なのだそうだ。美容師さんがいるのでパーマやセットもやってくれる。ここならだいたい老若男女の誰でも綺麗にしてくれる便利なお店である。
販売用のヘアスプレーやシャンプー等が飾られた棚の上にテレビが一台点けっぱなしになっていた。壁にはヘアスタイルモデルや海辺の写真のポスターが幾つか貼られている。壁の白と海や空を写した青との色の組み合わせが気持ち良くて、あまり好きではない煙草の匂いを気分的に中和してくれる。灰皿は入口付近に置いてあり、喫煙は外のベンチで済ますのがルールである。きちんと守ってくれているのでツベコベ言うことではない。
ぼんやりと考え事をするよりは漫画でも読んでいた方がいいと思って、座っている椅子の近くの本棚から漫画雑誌を二冊引き抜いた。待っているお客さんも常連さんらしく、森川の母さんは一緒に見ているテレビのバラエティー番組について話していた。何でもない会話を聞き流しながら気に入った連載漫画を追いかける。受験生の自分には贅沢な時間の使い方に思えた。
文吾中学校では三年生は夏が終われば殆どが部活動から引退する。そういう時期、そういう立場に自分はいるのだと考えるようになっていた。偶々この日はバレー部も体育館という活動場所の使用制限により休みだった。バスケ、剣道、卓球等の各部活とのローテーションが組まれている為、土曜の活動は隔週なのである。
「はい。お待たせ。こちらどうぞ。」
森川の母さんから声を掛けられたのは二十分程後だった。俺の前のお客さんは失礼だけど見るからにカットするものがあまり無い感じのお爺さんだったので予想通りに早く済んだ。カットを終えた森川の父さんは休憩に入るらしく、幾つか夫婦で言葉を交わすと部屋の一番奥にある家の方に繋がるドアから出て行った。俺のカットは森川の母さんが担当してくれた。
違和感はあった。俺がカット用の椅子に座った時から何かが喉につかえた(詰まった)ような話し方をしていたし、顔の表情も妙に暗かった。首にタオルを当てて、散髪用の着るシートを用意して、霧吹きをかけるとようやく言いにくそうに話し始めた。
「…学校で、ウチの子のこと、何か聞いてる?」
「?何かって?」
「…知らんのやなぁ…。
あの子ね、今、学校行けてないの。」
「…え?」
「ここ一週間くらいなんやけどね…。」
失態を晒したように感じた。一週間程度なら見かけなくても不自然じゃない。厄介な風邪でもひいたかと思うくらいだ。ここで話を聞いて初めて俺は、森川が同じクラスの奴の暴力が原因で学校を休んでいることを知ったのだ。
ついさっきまでの穏やかな日常が急変した。森川の母さんが言い淀んだのはそういう理由だ。解ってはいたのだろう。学校で大きな話題にならないのも恐らく同じ理由と考えられた。不登校の生徒は他にも居るから皆も割と慣れている。実際にこんな状況に置かれてみると難しさが多少は分かってきた。あくまでも多少は、だ。加害者が野放しにされて校内に暴力がのさばるならば総ての生徒は無関係ではなくなってしまう。
相手の名前を聞いて納得した。何人か子分の様な取り巻きを引き連れて、やりたい放題している奴だった。森川の何があいつらの気に触ったのか知らないが、大した理由など無いと考える方がしっくりくる。そういう奴等だ。敢えて理由を上げるとすれば、森川は大人しく理性的に成長してきた人間であり、あいつらはいつまで経っても馬鹿ガキだということだ。変わる気もないのだろう。
怖いけれど俺は失態だと思った。あってはならない事だと考えるなら、しっかりしろと自分を鼓舞した。それがその時に出来る全てだった。俺は森川本人から何も話して貰えなかったし、俺が森川の立場でも話さない。俺だったら関わらせたくない。アイツが何を考えたのかは解らなかった。それだけに直接話を聞かなければ何も出来ないと思った。せめて自分の意思表示はしっかりしたいと焦るだけで全くの無力だった。




