大丈夫
初めてのバイト先(予定)では、どうやら本当にビジネスでしかない関係者の皆さんに迎えられた俺であるが、特に悲観はしていない。"思ってたんと違う"の段階は既に通過した後だ。いるはずの猫が居なかった時点で常識など吹っ飛んでしまっている。冷静に総括すると、セクハラ女性上司と怪しい関西人とブチ切れ美人先輩の下で二世信者を相棒に仕事をしろというミッションなわけで、この状況だけで既に夢も理想もあったものではなく、むしろ非常識に振り切れているのだから望むものなど特に無い。もうこれでいいやと思う。六堂じゃないが、あけすけなのがいっそ気楽で良い。何よりその面々にさえ非常識の扱いを受けているのが俺なのだから何も言えない。有り得ないものみたいに言われてしまったが、特に関係の無い一般の人よりは神寄せの能力を理解し受け入れてくれている人達なのだ。普通に考えたら幻覚を見ていると判断されて何某かの精神疾患の診断が下りるだけだろう。
軽く溜め息をついて見上げれば空を覆っていた雲は薄く千切れ、隙間からは青空が覗いている。辺りは再び明るさを取り戻していた。
「…………あ。
モ……モモンガ!それ、モモンガですよね?」
「え?あ、うん。知ってる?」
ノゼさんがスマホを振ってゆらゆらとぬいぐるみを揺らし、嬉しそうに笑う。
「ガチャで引いたやつ。
推しではないけど、可愛いからさ。」
「解ります。可愛いですよね。」
そうだ、ようやく思い出した。リスじゃない。モモンガだ…!
…………………。
だから何やねん…。
どうやら少し、関西弁が伝染った。
蓬莱さんの車が遠くに見えるとノゼさんは学校の方に電話連絡を入れていた。黒の軽自動車は後部座席を倒して荷物を載せられる広々としたタイプだが、恐らくカスタム仕様車だ。ちょっと意外だけれど、こだわりがあるのは見て分かる。すぐ近くに車を停めてくれたので機材の運び込みはスムーズで早かった。
貰った飲み物はペットボトル入りのものを二本。ゼロカロリーコーラと麦茶だった。寮生の二人は直ぐにコーラの蓋を開けて飲み始めたが、自転車の俺は飲み切れないなら開けない方がいいと思って飲まなかった。炭酸飲料はかごに入れると揺られて最悪な結果になるし、麦茶を飲みたい気分でもない。
見学は以上で終了となり、俺は大して何もしなかったのだけど蓬莱さんと小羽田さんからは御礼を言われて労われた。タダ働きの疑惑については、そもそも未確認事項である為に労働の範囲に入らないらしい。真っ当な業務と認められず、不必要な事をした判断になるそうだ。小羽田さんは納得がいかない様子だったが、一応ウチの親には了解を得ているそうなのでNGな行動ではなかったようだ。但し関係者全員に説明が無かったのは明らかに不備であり、不満が出てもおかしくない。しかし、いつも通りなら何も問題無いものが、俺がいたせいで必要のない事をやってしまったとも言えるのだ。この説明にはブーイングが上がったが、次回からは話すことにすると弁解された。ノゼさんは遠くを眺め、小羽田さんは"次は何十年後やねん"と突っ込み、例外は例外としてきちんと別個報告し記録すべきだとか何とか今後について詰めていた。結果的に、初めて現在と同じやり方で記録された神寄せの継承に関する現象となったらしい。
小羽田さん曰く、こうしてまた"今では正確とは言えない記録"が積み上がる事になる、とのこと。それでもやらないよりはずっとマシだからやる、というのがモチベーションだそうだ。そういう訳で是非とも協力して欲しいと、なんだかよく解らないが社長さんの趣味と呼んでいた企画?に改めて勧誘を受けた。蓬莱さんを通して依頼が来るらしいのだが、結局どんな企画なのかは解らないままなので、これはこれでまた見学から始める事になりそうだ。
ちなみに蓬莱さんの説明によると、エフが動いた後に表象である猫達に屋敷の外で出くわすよりは、俺の方から間仕切りの中に入って撹拌してから拡散させる方が安全なのは本当なのだそうだ。どうやら表象を持つ奴等は勝手に外に出るらしいな…。
俺は技能者のスキルを持たないので六堂とノゼさんにやって貰ったわけだが、そう考えると蓬莱さんは俺と六堂について互いの能力と反応を見るとかいうのは建前で、俺の安全の為に此処に呼んでくれた可能性も考えられる。いや、寮生は本来当直が決まっているのだから、一石二鳥を狙う為にゴリ押しで捩じ込んだと考える方が有りそうだ。小羽田さんには博打に例えられていたことも合わせると、博打なのは事実だが上手く行けば放っておくよりは安全な処置、か…。そうと分かれば家族が半ば強制するのも理解出来る。難しい手術みたいなものと考えよう。そしてその機会が限られていたわけだ。…単純に六堂の予定が合わなかったのだろうか?この屋敷についてはウチの家族が許可さえ出せばいい話である。…もしかしたら俺の身の危険とやらを理解していないのかもしれない。実は俺もサッパリ解っていないから有り得る話だと思う。想像力が有るとか無いとかではなく、普通に生きていたら言葉だけでは想像がつかない。
それに関連して、蓬莱さんからは逃げ出した猫に気を付けて欲しいと言われた。そう言われても、どう気を付けるのかが解らないので素直にそう答えると、少し考えてから何処か含みのある笑顔を浮かべて、大丈夫なはずだけれど見かけたら直ぐに教えて欲しいと言ってスマホの電話番号を教えてくれた。正直、怖い。具体的な対策が提示されないのも、大丈夫と言う割に直ぐに連絡するよう指示されるのも怖い。
解散が告げられてからも蓬莱さんは自転車のところまで送ろうとしてくれたのだけれど、わざわざ歩かせるのは申し訳無いので断った。車がすぐ其処に在るのだから無駄でしかない。一応、子供だから送らなければならないと思ったのだろうか。ノゼさんに言うのなら解るけれど、これだけは俺の場合はよっぽど大丈夫だと自信を持って言える。




