英雄
そういえば今日は朝からおかしかった。父さんも母さんも仕事を休んでいて、祖父ちゃんと祖母ちゃんは二人で親戚の家に出掛けると言って支度をしていた。足の悪い祖母ちゃんの為にわざわざ車椅子まで出していたから歩く予定があるのだろう。父さんからは昨日の時点で今日は学校から帰ったら酒を持ってお参りに行くようにと言われていた。両親が仕事を休んだ理由は聞いていないが、もしかしたら祖父ちゃん達が会いに行った親戚というのは曾祖父ちゃんの関係かもしれない。
「狐でも人間でも同じやろ。
目の前に居るのは変わらんのやから。」
「…化けてんの?」
「ん?…なんか、感じ悪なってない?
そら化けてるけど、
それで態度変えるなら丁寧にしてほしいな。」
「留奈さんもなんか…五月蝿い感じになってる。」
「五月蝿いって…。
そらそうやん。御使いは偉いんやから。」
「…………。」
開き直ったように仁王立ちをして斜め上から俺を冷たく見下す従姉妹の表情も初めて見るものだった。あの留奈さんが、嘘みたいに怖い。偉くなったから態度が変わるのも嫌じゃない?…違うか。偉い存在だったのに親戚のお姉さんらしく見えるように演技をしていただけか。
「正体を明かしたからにはね、
最低限の振る舞いがあるの。本当は。
まずは、穢れを避けるとか。」
「ケガレ?」
「次郎右衛門が亡くなったやろ?
普通は神社には参らへん。死は穢れやから。」
なんとなく解る。穢れね。
「…四十九日は過ぎてるはずやけど。」
「そう。やからお参りに来たんやろ?
…考え方はいろいろあるけど。
重くんには幾つか言っとかんとアカンな。」
そうだろうな。俺も聞いておかないといけない。こんな異常事態に何の情報も無いなんて耐えられない。
「穢れって、死ぬこと?」
「……弱ったり具合の悪い状態かな。
決してそれは人に邪悪とは限らんのやけど、
人にはあるのに神様には無いんよね。
怪我も病も障害も死も、根本的にな、
神様と人間とでは意味が違うから。
…まぁ勝手な我儘やし、人と神様の間にある、
線引みたいなもんやと思ったらいいと思う。
神様は性格によっては怖いしな…。」
「持ち込むなって、怒るの?」
「まぁ…一般にお参り出来る神社には、
そこまで怖い方はいないやろうけど、
神域に入るのは丈夫な人等に任せたらいいよ。
弱ってる時は当たり前にあるもんに感謝して、
信じて手の届くとこで頑張ったら良いんやって。」
「弱ってる本人は行かん方が良いんか…。」
「無理してまで来るなというだけ。
養生して誰かに頼って祈ってもらい、ってこと。
今ならいくらでも電話も出来るしな。
そら、そんな時ほど助けて欲しいやろうけど、
自分で動きたいんなら、助けたり救ったりは…、
メジャーなのは如来様や菩薩様やろうね。
お寺行ったら良いんやと思うわ。」
宗教にメジャーという概念が無かった。そもそも俺はそのメジャーな仏教ですらよく知らず、如来様と菩薩様がどう違うかも解らないしお経も禄に読めない。
「寺と神社が違うのは解る。」
「OK。人様の教えはよく知らんけど、
権現様は元々神様やったらしいし、
お釈迦様なんか祭もあってええよね。アレ。」
「…あ〜、花祭り。やってたな。」
ついこの間の事だ。近くのお寺でお参りに来た人に甘茶を配るイベントがあった。神様が祭好きというのは聞いた事がある。御使いの狐さんは、あまり節操なく祭好きのようだ。
「重くんがどう理解してるかは知らんけど、
連盟では独自の定義があるんやって。
神様は御利益やら恩恵と呼ばれるものを、
与えてくれたり、新しくもたらしてくれる…かな。
あらゆる生命を巡らせるとか、言われてたり。
まぁ、本人らに奪う必要がないから、
与えたもんが勝手に廻るんやろな。」
「与える存在……与えられてるのか…。」
「そう考えるのが気にいらん人も多いし、
かえって迷惑なこともある。重くんみたいに。」
「……俺?」
「そういう御利益欲しさに、同族から、
また上手く使われようとしてる、やろ?」
「また…。」
イラッとする言葉だ。なぜなら心当たりが山程あるから。小学校に通う頃には既に平均的な同級生よりも頭一つは上に飛び出た身長をしていた俺は、とにかくやたらと力仕事やら子供代表やら見張りやら付き添いやら旗立てて飾り持ってて等などと声をかけられては、大人から仕事を任され手伝わされがちだった。要は、使われる事に慣れすぎているのだ。自覚する程に。
いや、いいのだ。役に立つなら俺も用なしではないと思えて安心出来る。良い意味で目立てるし胸も張れる。ただ、自分がその立場に慣れすぎて最早お手伝いさんにしかなれない人間みたいで嫌なのだ。指示待ちとか言われそうで。周りの人間からもそう認識されているように思う。これは実は結構前から気にして考えていたことなのだけど、このままで本当にいいのかと思いながら未だに何の解決策も無く決着がつけられないままでいる。
「…留奈さんもやろ。」
「それこそ私は知らんやん。人間やないし。
あまりにも重くんが知らされてないから、
意思確認すらしとらんな、と思ってさ…。」
静かに、哀れみを込めて言われてしまった。そんな、どうしようもない輩を見るような目で見ないで欲しい。なんか知らんけど、多分俺のせいじゃないでしょ。
「…何の意思確認?」
「やよな。ええて。この際気にせんとき。
あ、あとな、大事な事やからよう聞いてな?
化かしてるから穢れも何も言わんかったけど、
私くらいなら申し訳ないと思うだけでも違う。
ただ氏神様にはやめときなさい。」
「そうなの?…弱いのはそんなに駄目?」
「弱いのが駄目なんて一言も言ってない。
神様の前に立つには相応しくないだけ。
穢れは正しい状態ではないということやから。」
「正しくないと駄目なんか。」
「あ〜…信念とか理想やなくて、礼儀な?
そもそも人間には極端すぎる考え方やのに、
昔は人の世も思いっきり差別があったの。
…けどな、そういう歴史があるからこそ、
昔から神様達には強靭な人等が対峙して、
場合によっては尊い犠牲になってる。
それが流儀みたいに。…伝説もあるやろ?
人間には英雄かもしれんけど。」
不思議だ。話を聞いているだけなのに、なんだろう。なんだか嫌な予感がする。
「…犠牲を強いるのはおかしくない?」
俺の言葉に留奈さんは目を丸くした。
「おお…。なかなか見所あるやん。
神様は自ら穢れると妖怪と呼ばれて、
他愛もない人等は人間とそう変わらん…、
と、私には見えるけど、
力の大きな方が堕ちると天地揺るがす大事件や。
人間はそうして悪くなってしまったモノたちと、
闘うことを繰り返してきてるわけよ。」
「自ら穢れるって、自業自得でしょ。」
神様を悪く言ったのが良くなかったのか、再び目を丸くした御使いの狐さんは真顔で口をポカンと開けている。
「じ…自業自得…うん。それで暴れるんやから、
そうや…本当やわ。控えめに言って最低やな。」
「英雄は気の毒だよね。」
「気の毒…まぁ次郎右衛門も、
英雄にしては相当おかしな末路やしね。」
突然の非難にギクリとする。いや、騙し続けてた事も大概非常識だろ。しかしそれと同じくらいに、曾祖父ちゃんについては非難されて然るべき事情があるのだ。
「……俺にはどうにも出来んかった。」
「それこそあの英雄が、
なんで一人で死ななあかんの。」
「…そんなの……。」
英雄の由来は知らないが、その通り。曾祖父ちゃんは孤独死だった。死後二〜三週間という状態で、お裾分けの野菜を届けに来たお隣さんに見つかった。同じ町内に居ながら、こんな事態を招いたのでは責められるのも仕方がない。
「俺は勝手に近づくなって言われてたから。
…なんか、変な信仰がどうのこうので、
関係無いから近寄るなとか言って…。」
「知ってるけど、亡くなる時まで??
死に際まで関係者だけに絞ったんか?…まさか!!
……散々助けて貰っといて放置してるのも、
そういやおかしな事やもんな?人間には……。
…ふ〜〜ん…私等が近寄らんのをいいことに、
あいつら目を盗んで舐めたマネしやがるわ。」
「…………。」
急に口悪くなった…。
あいつらって…関係者って…六堂達?
ようやく核心に近づいてきた気がする。留奈さんには英雄とも呼ばれる人物で、神寄せの次郎右衛門の二つ名を背負った曾祖父ちゃん…まさかとは思うけど…この話の流れだと…。
「俺が曾祖父ちゃんの…、
代わりに何か、英雄みたいな事せなあかんの?」
反応を見るつもりで推測を言ってみただけなのに、留奈さんは酷く疲れた様子で溜息をついた。
「…はぁ〜〜っ…。………重くん。私はな、
それを承知で来てくれたと思ってたんやで?」
!…なんてこった。
「本当に俺、なんも聞いとらん。」
「わかった…とりあえず今日は帰り。
私は連盟の奴等と、貰った一本開けるから。」
「未成年…。」
「歳は内緒。覚えてへんし。
氏神様へのお参りが済んだら、また来てな。」
「あ、……はい。」
そっか。人間じゃないんだから問題ないか。