関係機関
どうやら神寄せとは神の使いを呼ぶ神事、或いはそれが出来る人のことを指すようだ。曾祖父ちゃんは本当に神の使いを呼び出して何か仕事に活かしていたのだろうか。留奈さんの言い分によると神の使いは人間の使い走りではないはずなんだけど…。
せっかくスマホを持たせて貰っているのだから大門んちの神社に祀られているのがどんな神様なのかを検索して調べたら何か解るかもしれないと思い付きはしたのだが、ああいうのは結構雑なものだ。小さな神社の正確な情報など出て来るとは限らないし下手したら毒みたいな誤情報を拾うことも有り得る。嘘に振り回されるのはもう懲り懲りだ。留奈さんの話を聞く限り俺はどの道いつかは氏神様(=土地神様)に会う事にはなるのだろう。この際、敢えてその時まで何も考えずにいようと思う。
初対面に先入観は持ち込みたくない。自分自身の感性で判断するべきだ。これは俺の昔からのこだわりでもあって、他人が言う事と自分が感じる事を一緒にして欲しくないと思っている。怖がりで臆病なタイプにはよくあることではないかとも思う。"大丈夫だ""平気だ"じゃねえよ、じゃお前がやれよ、どう考えても怖えだろ、と言いたくなったケースは一度や二度ではない。
今だに根に持っているのが小学生の時の焼肉事件だ。酒に酔った祖父ちゃんが同じような理屈を振りかざし生焼け肉を配り回った結果、酷い食中毒になった。ふざけたことに酒飲みは食べていなかったのに、食べさせられたこっちは身体がデカいだけの子供だ。本気で死ぬかと思った。あれ以来俺は酔っぱらいを敬遠している。悪いけど俺は嫌な記憶を水に流して忘れられる程に気の良い性格ではないのだ。
初めて会う人全てに気後れする人間なので今のところは特に問題なく済んでいる。自然と応対が受け身になるからだろう。ビビリにはそれがデフォルトだ。勿論その代わりに舐められるけれど、なかなか加害まではされないのがデカい人間の最大のメリットである。相手の態度は一つの情報として受け取る。策士を気取る程の頭脳はなく、単純に未知との遭遇に慎重なだけだ。
……!
ふと思ったが、遭遇したのが善いものか悪いものかも俺は分からないのではないだろうか。人間相手でもなかなか判断出来ないことだ。神様と人間の区別もつかないのに、善良な神様と邪神の類が区別出来るとは考えにくい。よく知らないが、いるはずだろう、そういう種類の神様も。
…別に隠すような事ではないんだろうけど、
そもそも理解者が限られるしな…。
相談するとしたら、蓬莱さんか…。
母さんの願いが間違っているとは思わない。幼少期から特殊だと分かっていたら今の俺はきっと存在していない。自分の意識だけの話ではなく、特殊な能力があるならば、それに合わせた環境が用意されるものだろうから。良くも悪くも。
…………。
俺は俺として既に存在しているわけで、
既に在るものにダメージを与えられるのは、
やっぱり迫害ということで、
俺自身がそれを肯定的に考える必要は全くない。
……だよな?
改めて考えてみると、今迄ずっとこだわりが強かったのは当然の反応だったんじゃないか?実際に自分にしか見えないモノを見ているのだから。俺の主張は間違っていなかった。そういうことじゃないか?
怖がりと臆病は自覚している。けれど気が小さいのも弱いのも実は自分ではあまりわからない。これらは他人と比べなければ良いことで、大抵は教師や年配の人達に言われてきた事だ。怖がるのは気が小さいから、気が弱いから。臆病なのは弱いから。自分で自分の評価は難しい。他人の評価を自分の言葉にして自分はそうなのだと言い聞かせているように感じていた。本当のところ、俺の性格の原因を他人が言い当てる事に違和感がある。本人が分からないのになんでわかるの?何を知ってんの?という現象だ。
恐らくそのせいで反抗期とか呼ばれる時期を過ぎても俺は年長者に反発しがちなのだ。納得がいかない、腑に落ちないと感じるのは自分が生きている証拠だと思うくらいだ。考え方も感覚も大きく違うのに圧倒的に年長者は多数であり力がある。
俺の感覚や知覚は否定されてきた。気が小さいから怖がるのではなく、実際に怖いものがあるのに他人は気付かなかったのだ。そういうことなんじゃないか。もしかしたら俺が弱いのではなく、否定の圧が強すぎたんじゃないのか?…文吾町だけかもしれないが。
父さんは常識を重んじて他人に興味関心が薄い。逆に母さんは心配性で何から何まで口煩い。祖父ちゃんは特によく喋るし、せっかちな性格だから違いが際立つ。祖母ちゃんも態度がわかりやすい。わかりやすいが解らない。ハッキリしているのに行動原理が解らないと周りには迷惑に思えてしまうもので、せめて説明して欲しいところだ。家族会議での言動も一体何がしたかったのか解らない。常に謎である。
俺が文句ばかり言っているのは本当だ。だが全て本当の事だ。
わからない。全く解らない。この人達が善いものなのか、悪いものなのか。そして自分はどうなのかも。
昨日の夜に調べたのはお参りのやり方だけではなかった。知識が薄っぺらいので単語でしか理解出来ないが、神衆連盟の様な団体は確かに全国各地に存在していた。不思議な事に保健衛生局という全く関係無さそうなところが取り仕切っているらしい。数年前に発足した、まだ新しい省庁が活動を監督している。
関係機関のツリーを見ると、頂点にあるのは国土開発庁だ。これくらい名前は知っている。その下に特許保安局、環境保全局、保健衛生局、新技術開発推進委員会などの名前が並んでいた。何をしているところなのかは全く分からない。分からないが、更には科学研究調査会、生命倫理審査会という名前があり、生物科学、工業化学、地質、水質調査などの各分野で日本という国の様々な研究結果を集めている。これらのデータは政策等にも生かされる、と簡単な解説が書いてあった。
研究や開発が目的の国の制度というからには宗教が無関係なのは当然だ。重要なのは能力の本質的なところ、感性とか個性なのだろう。あまり考えたくはないが、発達障害とかに近いのではないだろうか。だとすれば保健衛生という名前にもギリ納得がいく。確かに学校教育とは別のところの管轄だ。子供の出産や育児の時に説明があるということは、関連する省庁か自治体との連携が取られているのだろう。
自治体が各団体と協力して活動を支援するからには異能も保護されるべきという考え方のはずだ。逆に言うとやっぱり放置は危険だということなのでは…。(地方自治関連の法律で決められているのか?)その役割を今迄やっていたところに宗教団体が多いから混乱するのだ。多分。社会からはみ出した人達の救済を担ってきたからなのだろうけど。
いっそ新しい組織を国が作ればいいのに。それなら何も気にせず周りの人間に話も出来た。何かやらない理由があるのだろうか。
少し調べた程度では俺の知りたいことは結局分からなかった。異能は保護されるだけではなく、仕事をしているという話だ。曾祖父ちゃんのように。それに関してはほとんど情報が出て来ない。その特性を活かした職務につく人もいます、くらいの記載でおしまいだ。
大門の話を聞いた後では違和感が残る。その界隈の天才、なんて表現は相当ディープな世界でないと使わないように思うからだ。




