信頼関係
物事には順序があるもので、相手のある事には特に礼を払い丁寧に確認することで間にある信頼関係も堅固になるものだと母さんから説教を受けたのは一度や二度じゃない。しょっちゅうそれを無視して親に対して好き勝手振舞っている子供も多分俺だけじゃないはずだ。普段は不親切な人間が慎重に行動し始める時、本気で考え始めたなと思うのは自分が何時もそれをやっているからである。
「部活の後、自転車置き場で待っといて。
話がある。」
「……わかった。」
五時間目の授業が終わると次は音楽で、移動教室だった。音楽室までは少し距離があるから急がないと移動が間に合わない。休み時間に入ると直ぐにロッカーに置き勉している音楽の教科書を取りに廊下に出た。同じくして既に教科書を持って俺の近くに駆け寄ってきた堀井は、伝えたいことを一応は小声で囁き、俺の返事を聞くと一言"ごめん"と謝った。意味が理解出来ない訳ではないけれど、コイツの世界では大した意味の無い謝罪であることも想像出来る。社交辞令だろう。成程。人に言うからにはやらないとな。
ちゃんと視線を合わせて様子を伺おうとしているのが珍しい。此方は普通に何でもない顔をしていた。何処か他人行儀な態度の堀井は、用事が済むとさっさと踵を返し、そのまま一人で廊下を歩いていった。
…謝る程のことでもないけどな…。
正直、見くびられた様にすら感じる。
…待てよ?…もしかして、まさかとは思うけど、
…自分が思う以上に顔に出ていたとか?
有り得ないとは思うが自覚が足りないだけだったとしたなら有り得る。…俺自身よく解っていないが、例えばアレが恥ずかしくなるくらいのラブコメ要素だとしても、あの場に居た人間は堀井以外の誰も水池を知らないのだから大した問題ではないはずだ。
…だよね?それであってるよな??
てかその手の話を気にしてゴチャゴチャ考えるのは性に合わない。面倒臭過ぎてやってられん。こんな性格だからこそあんな事態になるのかもしれないが、今更時は戻らない。極力忘れよう。…そんな事よりも、俺には最近気になっていることがある。
堀井が一人で移動しているところは少し前から目にする様になっていた。周りから浮いているのは俺もそうだから特に何も思わなかったのだが、どうやらこのクラスの女子には性格の悪い奴が何人か潜んでいる。堀井京の個性が強烈なことは同期の文吾中学校出身者なら皆知っている。どれだけ隠しても無理があるのだろう。かといって、俺も常々思っていることだけど、同調を強要される筋合いも無い。ある程度浮くのはもう仕方がない事だろうし、本人もそれを気にしている様子はない。ただ、文吾中学校ならアイツはそういう奴、で済んだものが高校ではそれで済まなくなっているのだ。
今のところ休み時間の度に他のクラスに行っているようで特に落ち込んだ風ではないけれど、中学校の時ほど存在は目立たない。集団の中でわざわざ馬鹿をやるタイプではないから周りに合わせているだけだろうとは思うものの不自由な環境ではある。(文吾中学校は割と優等生でも馬鹿をやるノリがあったからこそ頓珍漢だった。)もしかして羽目を外しがちな言動はラインを引いていたのかもしれない。高校とは集団の中で生存戦略を身に付けるところであると考えれば納得出来なくはない。学生である俺達はまだまだ勉強中ということだ。
堀井の他のクラスの友人が誰か名前までは知らないが、西高には文吾中学校出身者の女子もまだ他に二人いるからそいつ等かもしれない。自分の周りは結構ドライな付き合い方なので中学より楽になったのだけど、攻略法を手探りしてゆく過程の息の詰まる感じは自分の時も他人の場合を見ていても落ち着かないし、なんだか胃が痛い。勿論男子にも性格の悪い人間は居るのだけど、だいたいの奴は暴力を好まないのなら敢えて波風を立てる様な真似はしないと思う。やりたい放題やる衝動が抑えられない中学までの方が空気は悪かった。少なくとも西高はそこまでじゃない。けれど、ここの女子の場合は陰険な婆さんみたいな真似をするらしいのだ。
堀井は基本的には優秀な生徒だと思う。まぁこれは男女変わりないけれど、同じように優秀であれば仲間になる訳でもない。ライバル意識もあるだろうし嫉妬もあるだろう。偶然にも滅多にないシーンを見かけただけかもしれないが、女子の何人かは優秀であることに嫌味を言ったり、少しのミスで大袈裟に落胆してみせるところがある。それを大っぴらにやるのだから見ていて気持ちの良いものではない。イジメというほどのものでもないのがまた嫌なやり方だ。実力では敵わないからじゃないかと思う。
…そんな事してると将来独居老人になるぞ?
ド田舎の事情知ってるか?
こんな人間もいるんだなと思うのは堀井に対しても同じだけど、面白がってからかうのと出る杭を打つのは加害行為としてレベルが違う。どちらも許していいものでは無いだろうが、アイツが俺に全く気を遣っていないわけじゃないのは解っている。だからこそ、ちゃんと話そうとするし謝るのだ、と思う。これでも昔馴染みというのは伊達ではなく、堀井が俺を怒らせた事は一度や二度ではない。俺も小学生の頃は女子が相手だろうが普通に遠慮なくキレていた。釈迦や菩薩でもあるまいし、そんな昔から完成しているわけがない。堀井はちゃんとそうならないラインで会話している。…いや、別に今の俺が完成している訳でもないし、今回はかなりギリだけど。
自分ではこれが普通の感性だと思うのだけど、出来る奴が打たれている所なんて見たくない。正直嫌になる。女子達の言っていたことが自転車預かり所のブチ切れ婆さんと変わらなかったのも哀しい。人間は過ちを繰り返すというのは本当なのだろうか。それは逃れられない運命だとでも言うのか。いや、嘘だろそれ。将来あんな婆さんが大量生産されてしまうことになるのかって話、誰も信じたくないだろ。……あ〜ヤバイ。相当疲れてるかもしれん、俺…。




