神
三人称で書かれる小説のうち、神の視点と呼ばれる形式がある。
これから起こる出来事や、登場人物の内情について、全知の立場から書くという方法である。
これほど開き直った態度も珍しかろう。
まさしくこの物語がそうだ。
前章でわざわざ主人公のあれこれを、ゲームのキャラメイクよろしく設定してみせたのは、それこそ徹底的に開き直らんがためだったと言える。
なにせ一人称視点や三人称一元視点など、ほかのどんな方式を採用しようとも、こと物語世界において作者が全知全能であることは、逃れられない真実なのだから。
それも異世界転生モノの物語においては、より一層、その法外な権能を隠しおおせないのである。
ここまで、転生において死が果たす役割について見てきた。
主人公が経験する世界の不自然な断層、つまり現世と異世界の接点に配置されることによって、死は環境の強引な切り替わりに、それなりの説得力を持たせるのだった。
しかし、これだけでは転生は完了しない。
死が、死後の新たな世界の可能性を無限に拡張したとするなら、次に目指されるべきは、
なぜ無数にあり得る世界の中から、このイセカイでなければならなかったのか?に対する解答を用意することだ。(たとえゲームの世界の登場人物に転生する作品の場合であれ、やはり転生先が「ゲームの世界」である必然性はどこにもない)
難問である。
いや、答えなら分かりきっている。
作者自らがそれを望む、これ以外にはないのだ。
ここにおいて、作者はついにその神のごとき全能を、あからさまに発揮することを余儀なくされる。
多くの作品の中で、主人公に死を告知する神という存在は、この使命を帯びた作者の紛うことなき依代であり、隠れ蓑なのである。
「おい、鈴木春希。お前は階段ですっ転んで、頭打って死んだぞ」
春希は肩をすくめる。「ひどい話だな」
神はそれから、主人公を異世界へと送り出すことを宣言するかもしれない。
特別な措置ででもあることを付け加えた上で。(主人公の転生が、全ての人間には適応されない、ある種の特例でなければならない理由については、次章で見ていくこととする)
「実を言えば、お前は、こちらの手違いで死ぬことになってしまったんだが」
「は?」
と驚きつつも、その実春希は怒りもしなければ、悲しくもない。
手違いではない、いわゆる正当な理由で死んだからといって、それが一体何だというのか。
神にとってどうかは知らないが、人間にとっては、たとえ天寿を全うしようとも、死はつねに不条理な制約にすぎなかった。
「だから、まあ詫びと言ってはなんだが、お前はこれから異世界に転生することになった」
「はあ」
しかし惑わされてはならない。
一見して「送り手」と思われるこの役割はひとつの偽装、作者による恣意性を覆い隠すための技巧なのであり、
あくまで神が果たす機能上のおもな役割とは、死後の異世界がこのイセカイでなければならないことに、根拠を与えることなのである。
ただし、次のことに留意されたい。
神の存在を設定することによって、作者が実際に成し遂げることは、上の疑問に明らかな答えを与えることではなく、相変わらず、その解答を避けてまぬがれることだということ。
もちろん、神が作者の思った通りに行動するということ、つまり物語において「神のすること」と「作者のすること」とが、依然として同じであることに間違いはない。
しかし同じひとつの行動でも、ここに「神」と「作者」というふたつの主体を設置することで、それぞれに別々の意図があるかのように装うことができるのである。
「そら、おまけに、現地の人間たちを手もなく圧倒できるだけの力を、生まれながらに持つことにしといてやろう」
「いや、待ってくれ。話が全然見えてこない。……死んでしまったことは、今更もういい。でもその結果、何がどうなって異世界に、それも好条件まで恵んでもらって、生まれ変わることになるのさ?」
「なんだ、不都合でもあるのか?……理由?決まってるだろう、そんなこと。神様である俺が、そう望むからさ」
かくてここに、作者は合理化の義務をまぬかれ、新しい世界の創造を含めた、(創作上の)行動の責任は神に転嫁される。
そうして神は、上に述べた願望の意図と理由について、明らかにする必要はないのである。
まさに“神のみぞ知る”というわけだ。
しかしだからこそ、いくつかの作品においては、必ずしも神が主人公の前に現れる必要はないのであろう。
我々の史実にあってそうだったように、神はその姿を顕さずとも、天上に仄めかされるだけで、すでに十分に世界の在り方の根拠たり得るのである。
人間≒読者としてはただ、その神の御心の推し量り難きを推し量り、その神のまにまに生きるのみなのだった。
さらに言うなら、転生の理由として頻繁に使われる、単なる偶然を装った御都合主義的な法則や原理の存在もまた、結局のところ神の別名にすぎない。
元を糺せば、そうした人知を超えた仕組みや偶然をこそ、かつて神と呼んだとあってみれば。
この事例において、意図せず史実の逆転が起こっているのは、興味深い。
すなわち物語における明らかな神≒作者の実在を、皮肉にもなんと、逆に未知の法則や、偶然の名において説明しているのだった。
「うん、潮時だな。……さらばだ」
いつしか春希の姿は、あたかも霧に閉ざされた海上を一艘の舟で渡ってゆくかのように、遠ざかりつつ、薄れていく。
もう見えない。
波間を縫って届くそよ風に乗って、かすかな声が聞こえるのみとなった。
「なんだって?必要がないのなら、なぜこうしてわざわざ自分の前に姿を現したのかって?」
神とは、ほくそ笑むものなのだろうか。
「そりゃお前、俺がそう望んだからよ」