死
転生は何よりもまず、死をその条件としている。
もし例外があるとすれば、異世界転生モノの物語においては、「転生に先立つ主人公の死」なるものが、物語の内容にとってそれほど本質的でも、重要でもないことを示唆するだろう。
実際、死に様がほとんど描かれず、あるいは本当に死んだのかどうかも曖昧なまま、転生した事実だけが示される作品が多数存在するのである。
メインストーリーがおもに異世界で進行することを思うと、序章である前世との関連がさほど顧みられないのも、むべなるかな。
しかしそれは逆説的に、「転生に先立つ死」をかえって意義深いものとして復活させるように思われる。
重要でないのなら、なぜ(初期作品や他の一般的な作品の中で)死ななければならなかったのか?という問いとともに。
思うに、死はただに転生という概念の付属物としてだけあるのではない。
異世界というまったく空想上の新世界が、もっともらしく目の前に開かれるための、ある種の儀式としての価値を持つのである。
どういうことか。
そもそもの話、意識が一貫性を保ったまま、いきなり全然違う世界に飛ばされる事態について、あまりにも強引であるという印象の点で、我々は意見の一致を見ることができるであろう。
あらゆる脈絡を断ち、強制的に実行される操作である。
ゆえに、アリストテレスの『詩学』以来のもっともらしさ、ストーリーの一貫性を整えるためには、別世界に身を置くことになった経緯、もしくは理由の提示がここに要求されるのである。
異世界に召喚される場合であれば、たとえば「攻め入る魔王軍に対抗するための戦力として王国が召喚した」などの事例が示されよう。(これもまた一種の儀式であることに留意されたい)
わけもわからず転移した場合にもおいても、この自ずから要請される転移の理由という課題は、ひとつの謎として、物語全体に宿命のようにつきまとうのである。
そして驚くなかれ、これらを一挙に解決するのが、死そのものなのである。
さらに言うなら、死後の存在という、古式ゆかしい伝統なのである。
なんとなれば、死はその性質上、現実世界に起っている出来事の継続を無理やり中断し、まさしく現世での脈絡に断絶をもたらすことで知られているからだ。
これを裏返して言うならば、つまり主人公が死んでさえしてしまえば、生者の我々読者には永遠に不可知であるところの死後の世界観、この設定は(死後がそもそも存在しているということをも含めて)まさに意のままというわけである。
かくして、死後の環境をいかようにも突飛なものにできるという意味で、ひどく突飛な設定の異世界に主人公の精神が移動するという出来事に、もっともらしさを付与することができる。
こうしてみると、異世界転生モノの物語においては、転生という曖昧なプロセス全体よりも、死という現象が決定的に重要な役割を担っていると分かる。
むしろ死ぬことの必要性こそが、転生という手段を呼び寄せ、成り立たせるのだと思われるほどに。
このことは、いかに死を軽々しく扱っている作品においても、同様である。
前に書いた「異世界に移動することの強引さ」が、どれだけ既出の作品の積み重ねによって感覚が慣らされ、違和感が薄れようとも、それらが初期作品の存在を前提しているという意味で、いまだに上記の死の効果の余光に照らされていることに違いはないのだ。
物語の内容にとって重要なものとしてではなく、その内容を成り立たせるための方法にとって重要なものとして。
ーー
そこでこの物語においても、この優れて便利な発明品を、誤魔化すことなく使わせていただこうと思う。
つまりこの物語における主人公、鈴木春希は、死ぬ。
容赦なく死ぬ。
誰が主人公になってもおかしくないのと同じように、鈴木春希という名に大した意味はない。
そもそも名前というものは、名付け親がどれだけ知恵を絞って考えようとも、与えられる側からすれば、無意味な偶然以外のなにものでもない。
「勇」の字が入っているから、勇気ある人間に育つわけでもなければ、「美」の字が含まれているから、美しく成長するとは限らない。
もちろん、名前が人格に影響を与えたり、人生を左右することもあり得る。
俗に言うキラキラネームなどが好例である。
だがこれからすぐに死に、新しい名前を授かる人間にとって、それが何ほどのことであろう?
少なくとも、主人公の前世の名前が、今後の展開に全然影響を及ぼさないことを、ここに誓っておこう。
どうでもいいことと言えば、もう一つある。
主人公の死に方である。
これまで見てきたように、異世界に飛ばされるために必要な契機とは、死という事実そのものである。
ゆえに過程は問わない。
それこそトラックに跳ねられるでも、通り魔に刺されるでも、何でも適当なものをあてがっておけばよろしい。
ただし、なるべく理不尽なものが好ましい。
死を純粋に死たらしめるため、すなわち主人公の死にいかなる意味も含ませないために。
何のためにどうして死ぬのかと言えば、春希の貴重なはずの生は、ただ転生するためだけに終わるのである。
一方で、今後への影響が決して無視できない事項もある。
まずは、性別である。
別に春希という名前だからといって、男とは限るまい。
けれどもここは、素直に男ということにしておこう。
ひとりの男に複数の女が思いを寄せ、あまつさえ関係を持つかもしれないハーレムという構図は、それほど豊富で興味深い材料を提供してくれるのだから。(女の場合にもハーレムという状況を作り出すことは可能だが、男の場合ほど露骨に肉欲を表象すまい)
次に、年齢である。
転生という機能が有効に働くためには、少なくとも、すでに人格がある程度形成されている年齢が望ましかろう。
三歳や五歳が生まれ変わったところで、転生という出来事が大した意味を成すまい。
最低限これさえ避ければ、あとは自由にして構わない。
想像がしやすいよう、読者自身の年齢にでも設定したまえ。
最後に、主人公が頓死する際の「いつ・どこで」がある。
近未来から転生する場合もあれば、別の異世界から転生するも良かろう。
ただ自分としては、ここでも同じく、読者自らに馴染みの深い「時と場所」を想定してもらいたい。
実のところ、これにはもう少し込み入った訳があるのだが、それについては別立ての章で言及することとする。
さて、ようやく物語の幕が上る。
しかしながら、まだ肝心の主人公の死に様が示されていない。
これでは開始を告げるファンファーレの楽の音も聞こえまい。
そこで名付けの時と同様、さしたる重要性もない要素として、勢いにまかせて無造作に決めてしまうとしよう。
かくて春希は、階段を降りている最中、段差を踏み外して、頭をガーンと強かに打つことで、ものの見事に死んでみせるのだった。