95 今世の俺は長女だから
「ずっと、謝りたかったんだ。本当に、ごめん」
あなたの細い腕に抱かれて、あまりに都合が良すぎると思った。
私は許されないことをしたのに、どうしてあなたは私に謝るのだろうと。
「心の中で、ずっと悔んでた。どうして君を止めなかったのか、どうして気付いてあげられなかったのか」
だからきっと、これは前振りに過ぎなくて、これから私は糾弾されるんだと思った。
甘い言葉で誘っておいて、後から奈落へ突き落とす。
生前私が、あなたに対してやったことを。
再現しようとしているんだと、そう思いたかった。
そう思わないと、耐えられそうになかった。
「全部が全部、本心じゃなかったんだろう?」
それなのに、あなたは私に理解を示した。
「あのとき俺が、勇気を出して引き留めていれば、君を置いていくことなんてなかった。ヒモ一人抱えながら働きに出ることが、どんなにつらいか気付けたはずだった。俺を笑うあなたの言葉の裏の、途方もない心労に気付けたはずだった」
それは違う。私の心の疲れなんて、取るに足らないもののはずだった。
就活に卒論に、新人社員の心労なんて、みんなが経験するもののはずで。
みんながみんな、それぞれの事情を抱えて生きているのに、私だけ特別なはずがなかった。
「どうして……」
私よりあなたの方がずっと大変だったはずなのに――
「どうして、あなたが悪いみたいに言うの……?」
思いの丈は、これ以上堪えられそうになかった。
「悪いのは私。限界だったあなたをたぶらかして、抱きこんで、挙句の果てに捨てたのは私!」
例えそれが、誰もを傷つける言葉だったとしても。
例えそれで、あなたが差し伸べてくれた手を払いのけることになっても。
あなたの言葉を否定したかった。
「あなたを殺したのは私なのに! 自分で死んだみたいに言わないでよ!!」
私は物語の悪役なんだって。
あなたは悪役の魔の手から逃れた、ヒロインか主人公なんだって。
あなただけが救われて、私は破滅を迎えるべきなんだって。
そう、思い込まないと……
「後追いかけた私が……馬鹿みたいじゃんか……!」
私の終わった人生に、意味が無くなってしまうじゃないか。
「ごめんね、アオイ」
「その名前で呼ばないで……」
「……ごめん」
「謝らないで……おねがい……」
それ以上、私を否定しないで。
私が何者でもないって、証明しないで。
「全部お前が悪いって、そう言い切って私を責めてよ……!」
そうしてくれれば、私は清々しく死ねたのに。
「それは、できない」
「なんで……!」
私の最後の願いを跳ね除けるように、あなたは抱きしめた腕を解いて、私の肩に手を乗せた。
それから私を真っ直ぐ見据えて、優しさに満ちた声であなたは言った。
それはきっと、他のどんな言葉より、今の私にお似合いな一言――
「今世の俺は長女だから」
前世のあなたはもう居ないって、そういう意味の言葉だった。
「……ああ。そうだよね」
「……うん」
君から一歩離れて思う。
なんで今まで気付けなかったんだろう。
なんで今まで割り切れなかったんだろう。
なんでわからなかったんだろうって。
「そっか……前世がどうこうって騒いでたの……私だけか……」
「…………」
あなたの……レーダちゃんの中では、もう終わっていたんだね。
包丁持って脅されても、糾弾したりしないわけだ。
「そっか、私だけだったんだ。前世のことを引き摺ってたの」
あなたはとっくに割り切って、前世の未練を捨て去ってたのかな。
「それは、違う」
「……え?」
違うって……何が。
「ついさっき、言ったじゃないか。ずっと謝りたかったって……どうして君を止めなかったんだろうって」
あ……そういえば、そうじゃん。
「俺、正直さ。あの時のやり取りがトラウマだったんだ。本当についこないだまで……もしかしたら今も。ずっとフラッシュバックに悩まされてた」
もしかするとそれは、私が酷く待ち望んだものかもしれなかった。
どこまでも優しい君から、私への……精一杯の糾弾かもしれなかった。
「言葉が心に響かなかったかって言えば、めちゃくちゃ心に刺さったよ。鋭利なガラスの破片みたいに残って、ずっと俺の心をえぐってた…………いや」
君は掌で胸を押さえて、少しだけ俯いて……
そのあとすぐに、真っ直ぐな目で私を見据えた。
「きっと、今この瞬間も残ってる」
私の言葉で傷ついたと、そういう意味のはずなのに。
何故か君は誇らしげに宣言して、私の手を取った。
未だに包丁を握りっぱなしの、私の小さな右腕を……両手で取って君は言う。
「それでも足りないって言うんなら、今ここで俺を刺し殺してくれていい」
包丁の先を胸元へ向けて、覚悟の決まった眼で断言する。
「どうして、そこまでしようとするの」
「わからない。今の自分に余裕があるから、その気になってるだけかもしれない」
「君がわからないって言うんなら、私だってわかんないよ……」
「……そっか」
どんな気持ちで、受け取ればいいのか、わかんないよ。
教えてよ。私はこれからどうすればいいのか。
「だったら……」
教えてよ。
これからどうやって生きれば、君に報いられるのか。
「さっきの言葉で伝わらなかったんなら……もう一回言い直させてくれ」
まるで分からなかった私に、君は思い切り胸を張って答えた。
「今世の俺は長女だから。妹の面倒だって、見られると思う」




